なぜ人は穴を掘るのか
子供が掘った落とし穴
私は小さい頃団地に住んでいた。以前TVで芸人さんを落とし穴に落とす番組が流行った時、近所の男の子が団地の出入り口に落とし穴を掘っていた。余程穴掘りが楽しかったらしく、出入り口だけでなく、駐車場へ続く通路や中庭などにもモグラのように穴を沢山作っていた。しかしバレないように穴をカモフラージュはしていたものの、そこだけ土の色が違っていて、明らかに「ココ掘りましたよ」って感じでバレバレだったので落ちることはなかった。
家に帰るのに落とし穴に落ちないように注意深く避けながら帰っていると、「なんで家に帰るだけなのにこんなに気をつけて帰らないといけないんだろう?」と若干不思議な気持ちになった。もちろんしばらくしてその男の子はお父さんにこっぴどく叱られたみたいで、何日か後に穴はキレイに埋められていた。
子供って時々、大人の理解を超えたことをやってしまう。とても危なっかしいというか、特にやんちゃな男の子なんかはケガをしたり、色々といたずらをまたやらかしてしまわないか見ていてハラハラしてしまう。
実はその男の子が放課後ひとりで夢中になって穴を掘っているのを見かけたことがあった。ただ単純にお笑い番組を見てまねしてみたいと思っただけだとは思うけれど、なぜ穴を掘ってそこに人が落ちると笑えるのか、改めて考えてみるととても奇妙に思えた。
ドリフの金だらいが頭に落ちてくると笑ってしまうのと同じように、穴に落ちると反射的に笑ってしまうのは何なのだろうと思った。
きっと遺伝子に組み込まれた笑いのエッセンスみたいなものがあって(日本人が笑える共通認識みたいなもの)その欲求というか、本能に突き動かされてその子供は黙々と穴を掘っていたのだとしたら、穴に落ちようが落ちまいが、掘っているその行為がもうすでにすごく面白いと思ってしまった。
現代美術家の初期の活動
私は現代美術が好きでよく美術館に行く。美術家の作品だけでなく、作品を作るプロセスや思考、活動や経歴、時代背景なども加味してのアートなのだとつくづく思うようになった。
そんな美術家たちの活動プロセスを見ていくと、やっぱり初期作品は洗練されて有名になる以前のその人となりというか、人間味というか、試行錯誤の跡が垣間見えてとても興味深い。そしてなぜか初期作品には『穴を掘っている』美術家が多いように思う。未知の世界への興味や実験、穴をただ掘ってただ埋める、穴に自分が埋まってみる、穴から着想を得て形を作る(古墳のような)などなど、大の大人がクソ真面目に夢中になってそんなことをやっているのを静謐な美術館で見ていると「近所の子供と同じじゃないか」とツッコミどころ満載で笑ってしまう。
犬の穴掘り
私が小さかった頃、父が狩猟をしていたため、家には猟犬がいた。父から犬を触ってはいけないし近づくなと言われていたが、私が犬の名前を呼ぶととりあえず尻尾を振ってこっちを見てくれる程度の仲だった。
学校から帰ってきて暇な時は遠くから犬を見ていた。猟犬なのでペットみたいな可愛らしさは全然なく、後ろ姿は情けないおっさんのようだった。時々犬小屋の裏で狂ったように穴を掘って餌を埋めたりしていた。そして数日後には餌を埋めたことはすっかり忘れていて、また新しい場所で狂ったように穴を掘って餌を埋めていた。
全国穴掘り大会
ネットで穴掘りについて調べていると『全国穴掘り大会』という大会が毎年開催されているらしい。『ただひたすら穴を掘り、深さを競う、風変わりなイベント』と記載されていたが、電気やガス、水道工事、土木系の職人さんたちをはじめ、家族や仲間で参加している人も多く、穴掘りがイベントやレジャー、競技スポーツのようになっていて興味深かった。
大人も子供も動物も、ただひたすらに穴を掘る。それぞれ目的は違えど『なぜ人は穴を掘るのか?』その答えを探すために掘らずにはいられない魅力がそこにはあるのかもしれない。