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6月の日記

6月某日
大好きな音楽P同士の対談。長いけど、好きすぎた。


彼らに根底するのは創作物への敬意と創作行為への投資。目の前にあるものに対応する強さ、機械オタクなのもまさにそのタマモノ。目の前のやりたいことがあって、それを乗り越えるために知識知恵を身に着けるその結果としてのオタクさ。
ごく個人的なものである果ての社会性みたいな力強さ。逆説的だが彼らにはそれがある。小さくて大きい。記事を読むと、創作意欲が膨らむ、とりあえず文字は書くとして自分なりのアウトプットを出したい。嘘をつかないことを目標にしたい。

6月某日
作業量は多くないのに、ダラダラと集中を薄く持続していると疲れる。結果として、仕事終わりにインプットやアウトプットができなくなる。趣味では多用してるポモドーロテクニックを導入してみるか?ただ集中を一定にまで持っていくのもある程度の時間が必要。一日に何回もその反復運動をするのも大変な気もする。
積極的に外に出たりして、強制的に絶ってみる。雑なYouTube見るよりはいいだろう。

6月某日
母親より仕送りが届く。贈与論を読んでから、受取手であることも肯定できるようになった。受け取り手がいることは送り手にとっての活力になるということ。

6月某日
友人と飯。森岡毅のすごさと、自分は実は大学の就活のときからお世話になっているという古参アピール。そういうオタクっぽい性質を感じなかった友人だからそういうのが出てきてよい。好きなものを好きと言う単純なことが自分の生活を彩るし、生きる指針にすらなる気がしてる。

6月某日
中川家Youtubeにて「中野らへんは売れない芸人とか劇団員がいっぱいおって傷の舐め合いしてる」って話がなんとなく頭に残る。 売れてない芸人を無価値とするのか。みたいなことを考える。ピース又吉の火花と同じような話だと思った。後者は無価値と切り捨ててはなかった。生きていること自体(それが社会一般的にウケなくても、)肯定されるべき。

6月某日
油画体験にて初めて油画を書いた。
貧乏性が出て、与えられたインクを使いきれなかった。
大胆になれず何回も線書いてまうから元絵より汚い花が主張でかくなった、まあ逆にこれくらいでよかった説もある。
正解というか元絵に寄せようとしすぎて話や茎の画面に対する比を考えたりしながら構図をとってたけど、一緒に体験に参加していた子供はそんなことなく自分の形でやってた。大人になる過程で失った部分を見た。まあなんというか確かに絵ってのはその人の個性が出るなと思う。

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