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藤原ちからの欧州滞在記2024 Day 75

水曜日。早起きが続いていたから、ちょっとゆっくり目に寝る。昨日と同じスコットランド・カフェでコーヒーをしながら、我々がやりたいのは万国博覧会でもないし、閉ざされたコミュニティの代理表象でもない、でもそんなことは可能なのか、もし可能だとすればどのようにして理論化しうるのか、そして実際どの程度まで理論化が必要なのか、など実里さんと話す。これはかなり難しい問題だけど、わたし自身はまだアートが複雑さを複雑なままに表現できる可能性(これは横堀ふみさんの言葉でもある)を信じていて、だから作品をつくることでこのアクロバティックな問いを引き受けながら波間をぬうように進んでいけるんじゃないか、とどこかで思っている。我々は政治家ではないのだから、必ずしも彼らのような形で現世と接続しなくてもいいし、そうじゃないやり方をやる人間たちがこの世の中にいたほうがいい、ということも信じている。
 
ミヒャエルと車でアジア食材店に行って買い出し。台車が引っかかって、皿を何枚か割ってしまう。あちゃー。ミヒャエルは、君は悪くないんだから払わなくていいぞ、と励ましてくれたけど、店員が1枚分の価格を払ってくれと要求してきたので、そのようにする。現世のルールに従うのも時には大事だと思う。それが妥協の産物だとしても、人間という種族の生物として、彼らが形成したどこかの社会を渡り歩いている以上、そこの接点でどう折り合うかは大事なイシューではある。木曜日のイベント用の食費は我々が出すつもりだったけど、HyCPが持ってくれるという。ありがたい。別のところで借りを返すことにして、お言葉に甘える。そういうのも社会的生物としての人間のやり方なのかもしれない。
 
帰宅してからミヒャエルと実里さんと3人で明日の仕込み。やってきたクリスディアンに車で送ってもらって、近所のアートスペースへ……と思いきや、それは想像していたようなギャラリーとかではなく路上の橋の下で、その壁面に写真が展示されている。動物の死骸(ソーセージなども含む)を森の中に置いて、そこにウジが沸いてだんだん腐って土に戻っていくプロセスを撮ったもので、ひとつひとつの写真はかなりショッキングだったけど、腐敗していく一連の流れを観ていると不思議と清々しい気持ちにもなる。その企画に関わっているTimさんと話して、彼が植物学者と行った企画のドキュメントブックをいただく。


ミヒャエルと3人で歩いていく。博物館がある。このあたりは20世紀前半に人々がアメリカを目指した港だったらしい。わ……興味あるけど、今回の滞在中にその博物館に行く時間を確保するのはもはや難しそう。しかしこの事実は忘れないでおこう。20世紀前半の人々が夢見たアメリカは、おそらく、ナチス政権下において、ピレネー山脈を抜けてリスボンからアメリカへと目指した(その途上で終わった)ヴァルター・ベンヤミンの人生まで繋がっているはずだった。


さらに歩いてポルトガル料理店へ。それは倉庫街のような区画に忽然と現れる。最初は無愛想に見えた給仕のおねえさんは、ミヒャエルと少し話した後でなぜか急に上機嫌になって、温かく迎えてくれる。美味しい。ミヒャエルは、俺がバーバリアンであることを忘れるな、となんだか急にワイルドさを見せながらポルトガルビールを豪快に飲んでいる。ここは我々が支払ってせめてもの恩返し(実は宿泊費も全部タダにしてもらっている……)。そのままこの店でEUROのポルトガル戦を観る手もあったけど、最初の数分だけ観て去ることに。実里さんが持ち前の愛嬌を発揮して、ひとりのおじさんと親しくなる。ポルトガルにルーツを持つ人たちが、この港町には結構いるらしい。


ミヒャエルと別れて、フェデル駅近くでサッカーが観られそうな場所を探索。ふたつバーを覗いてみたけど煙草モクモクで、興味はあるけど、明日イベントを控えている身としてはつらい……。そんな中、実里さんが、キオスクの奥で誰かがサッカーを観てるのを発見。難易度的に言うと、横浜の本牧の角打ちくらいにハードルが高そうだけど、実里さんはもう入る? 入らんの? みたいでもう人々の注目を集めてしまっているから、突入するしかない。プライベートルームみたいだから、いちおう、入ってもいいすか?と店の人におそるおそる聞いて……。そこも煙草吸ってる人がいて煙いけど、さっき覗いた店よりはマシなのかなあ……。よりによってわたしは魔が差して10度を越える度数の缶ビールを買ってしまい、うわーもうこれはビールじゃないやん、とそのストロングさにやられながら試合を観る。その間に実里さんは外のテーブルで飲んでた人たちと話したらしく、彼らはアルバニアから工事現場の労働者として来ているとのこと。

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