ガラスの靴はその手の中にある

来馬先輩に告白した。
来馬先輩はおれの告白に、目を見開いて、それから口元を抑えて、何度か視線を泳がせて、それから、困ったように眉を下げて、「そっか」と言った。そのとき、その言葉を聞いたとき、おれは、ああ、振られてしまった、と思った。
だけど来馬先輩はやさしいから、「時間をちょうだい」と言ったのだ。それからそっと、あの人は退出した。昨日の、鈴鳴支部での出来事だった。


時間をちょうだい、の時間とはどれくらいの時間なのだろう。昨日の夜は寝ずにそんなことばかり考えていた。やさしい来馬先輩、おれの憧れの、大好きな、先輩……。あの人を心に思い浮かべるだけで、心臓がばくばくと高鳴り、告白のことを思い出すだけで、じくじく胸が痛む。答えを知るくらいなら、あの人が選択から逃げてくれればいいのにと思ってしまう。いや、けれど、あの人はやさしい人だから、悩んで悩んでその挙句、答えをだしてくれるのだろう。いやだ、こわい、知りたくない、拒絶されたくない。あの時あの人の目に浮かんだのは困惑の色だった。男に告白されるなんて思ってもなかったのだろう。あの人のなにもかもを、信頼を、裏切った気分だった。劣情を抱いてるんです、おれ。来馬先輩に……。

「夢見すぎ」
紙袋を目前のテーブルに置いて、太刀川さんが、ため息混じりでそう言った。先日のことを、相談しようと思い、人払いをしてもらって太刀川隊の隊室で向かい合ってるのである。なぜこの人を相談相手に選んだかというと、実はゲイだとか、そういう噂を小耳にはさんだからだ。「別にゲイじゃないけど。偏見はねえよ。ていうか多分、恋愛自体ダメなのよね、おれ」アセクかもしんね、とあくび混じりに言っていたけれど、人選はミスってないと思う。ことの顛末を話すと、冒頭の通りである。
「来馬に夢見すぎだ、お前は。恋は盲目っていうかそりゃ宗教だよ」
「宗教だったら告白してません」
「うん……、うん、そりゃそうだね……」
思わず即答してしまったが、太刀川さんは呆れたような困ったような顔をしただけだった。実際そんなに興味がないのだろう。おれがこの人を相談相手に選んだのはそういうところも含んでいる。
興味がないのだ、この人は。来馬辰也という存在に。けれど彼のことをしらないわけではない。むしろよく知っているほうだと思う。来馬先輩を第一に考えるわけでもない、おれとは違った目線で彼を見てきた人だから。
「お前はさぁ、どうしたいんだ? って、月並みなことしか聞けないけど」
「どう、とは」
「だからさぁ」
ぽりぽり、と頭をかきながら、あー、と言葉を探しつつ、太刀川さんは続けた。
「来馬と、どうしたいの。付き合いたいの? キスしたいの? 手とか繋ぎたいの? デートしたいの? セックスしたいの?」
矢継ぎ早に告げられる言葉におれはなにも答えられなかった。どうしましょう、と聞きにきたのはいいが、確かに太刀川さんの言うとおり、どうしたいか、の部分がぽっかり抜けていた自覚はあったのだ。なんというかーーー焦り、焦燥、おれは……。
やばいな、という感覚はあった。そしてそれが原動力だった。来馬先輩を自分の……ものに、しないといけないと、思ってしまったのだ。
『当たれ……!』
目を閉じずとも、なにも特別なアクションを取らずとも、すぐに思い出せる、思い浮かべる情景がある。先日行われた、ランク戦での一幕だ。那須相手にハウンドを撃った来馬先輩の勇姿。おれはあのとき、肝が冷えるようが思いだった。来馬先輩がどこか遠いところにあると感じたのだ。
あの人はいずれおれを置いてどこかへ行ってしまう。ようやくそのことに気づいた。思えば解離は感じていた。薄皮一枚隔たっているとアフトクラトルの大規模侵攻があったあとからずっと。
「おれは……」
来馬先輩をどうしたいだって……?
「おれは、……来馬先輩の、唯一に、なりたいんです」
絞り出した答えに、太刀川さんが、「ふうん」と頷いた。



「なったらなったでたいへんそうだけどな、あのエセ博愛主義者の唯一になんてさ」
エセ博愛主義者、と太刀川さんの言葉を反芻する。二文字余計では? なんて言うような雰囲気ではない。太刀川さんはみかんの皮を雑に剥きながらてきとうな声色でおれの相談に応じている。
「あれのさぁ、博愛精神ってどこから来てるんだろうな。おれとしては、誰にも関心がないから。愛の反対は無関心のオーソドックス説。そこに、自己愛を添えて」
「自己愛……」
おおよそ来馬先輩に不釣り合いな言葉だと思ったが太刀川さんはちがうらしい。
「あれに献身的要素を見いだせるのかお前は。だったらただの盲目野郎だよ、」
剥き終わり、白い筋がたくさんついたみかんを、太刀川さんはあむ、と口にくわえた。「ひょっほひょっふぁいあ」しょっぱいじゃなくてすっぱいじゃないだろうか。
「何度もレポートたすけて頂いているのにそんな言い草、どうなんですか」
「そう、そこなんだよな。おれ的に困るポイント。お前が来馬の唯一なんかになっちゃったら、あいつ絶対、おれのレポート手伝ってくんねえよ」
「……関係ありますか、それ」
「あるある」
どうにもなさそうだが。来馬先輩はやさしい人だ。それこそ、博愛主義者だ。確かにおれは、もし、く、来馬先輩とお付き合いできて、そうなったら、来馬先輩にはなるべく、そういうことはしてほしくない。けれど、あの人にもあの人の人付き合いってものがあるし、それを尊重していきたいとも思ってる。だからそれは絶対にありえないのに。
「そーいうーことじゃーないんですぅー。ていうかやめてくれない? 始まってもいない恋人生活のこととか夢に見ないでくんない? むしょうに腹立つんだけど? ヘソで茶が沸くよ!」
どうでもいいがこの人、ヘソで茶を沸かすの意味を、怒ってるという意味で使ってないだろうか。言葉は正しく使ってほしいものだ大学二年生。とはいえ指摘すればどんなお返しがあるかわかったものじゃないおので、太刀川さんの謎語録はスルーする。
「エセ博愛主義者の愛情が、万が一、億が一の可能性で、お前一人だけに降りかかったらどうなるのか、考えて見ろよ」
「えっ、そんな可能性低いんですか?」
「そりゃそうだよ現実を舐めんな」
「……」
「考えてみたか? 重いぞ」
したり顔で頷く太刀川さんには申し訳ないが、……まったく、想像もつかなかった。だって、つまりそれは、おれが来馬先輩の唯一になれば、来馬先輩はもう、今のように誰にもでやさしい来馬先輩ではなくなってしまうということだろう。太一のドジにもやさしいフォローをせず(かといって、どんな反応を返すのかもわからない)、怒る今をたしなめることもせず、……あの人はそんなことさえしなくなる……。
「まるで、罪のようですね……」
「宗教か? やっぱ宗教か?」
はあ、と太刀川さんはため息をついた。
「いいか? くるまどかがほむらかみの手を取ったらどうなる? 世界のために己を犠牲にしたくるまどかの博愛精神、あれがほむらかみを救う報いになればどうなる? わからねえかなぁ」
「え、くるまど、ほむらか、? え?」
「正解は調子にのったほむらかみがくるまどかに叛逆の物語しちゃう、でしたぁ~。あなたを独り占めにしたい、マリーゴールドの花言葉です、もう泣かないと決めてもね、エセ優等生がお前の手を取ってくれたと思ってもね、もしやそれはあなたの妄想の世界ではありませんか? ってな。イニシアチブ大事にね」
「あ、あの」
「よく聞け村上!」
「、はい!」
「博愛主義者の愛情を一身に受けようなんて欲張りさんもいいところだ。ご利用は計画的に! お前のしあわせの裏で泣く誰かがいるかもしれないことを考えよう、例えばレポートが終わらないおれとかな。そんなことよりまどかマギカ見ようぜ」
そ、と太刀川さんは、唖然としてなにも言えないおれに紙袋を持たせた。恐る恐る中を覗けば、かわいらしいアニメのイラストが印刷されたブルーレイが何枚かある。「ちなみにおれはさやかちゃん推しです」この水色の子ね、と太刀川さんが指差す先には、水色の短い髪の女の子がいた。
その日はそのまま帰された。アニメを全部見て、それでも納得が行かなかったらまた来い、と言われた。まったく釈然としなかったが、その日はそのまま帰った。

そして家で、借りたブルーレイを見て、おれは泣いた。奇跡も魔法もあった世界で苦しみもがく少女たちを見、そしてなにより、桃色の髪の少女の最期の博愛的な行動に、おれは彼女と来馬先輩を、そしてその少女を救おうとする黒髪の少女に己を重ねた。黒髪の少女は、最後、桃色髪の少女の思いを胸に、それでも世界を生きようとしていた。おれは泣いた。がんばろうと思った。あとくるまどかとほむらかみの意味もわかった。ありがとう太刀川さん、おれはまどか推しです。




「来馬先輩が返事をくれないんです」
ブルーレイを返すついでに、太刀川さんにそう報告した。ちなみに、あれからもう二週間ほど経っていた。あれから何度も何度もアニメを見返してはティッシュを散らした。母親に消費量について叱られたが思春期なんだよの一点張りでなんとか誤魔化した。
なにより来馬先輩の話である。二週間、二週間待った。けれどもあの人は、なんのアクションを返してくれない。まるで告白なんてなかったかのような振る舞いに、もしかしておれが告白したのはおれの夢だったのだろうかと疑ってしまうほどだ。ちなみにその可能性は七十パーセントほどだとおれは思ってる。もうほとんど夢である。ちくしょう。
「まあそうだろうな。そうだと思ったよ」
「なんですかそれ」
「なかったことにしてあやふや~で終わり。来馬が逃げるときに使う手法だわ。でもいいじゃん拒絶されてるわけじゃないんだし」
「そりゃそうですけど……」
「それにまどかちゃんのことを考えたら手は出さないままでもいいと思ったんだろ? それでいいじゃないか」
「それはそうですけど、でも意識してもらいたいんです。おれは来馬先輩のことを、特別なひとだと見てますよって」
「ストーカーの心理かな?」
紙袋を渡すと、太刀川さんは「久々に見ようかな」と呟いた。結局お前何周したのと聞かれたがノーコメントである。守秘義務があるはずだ。おれにも。
来馬先輩が告白をうやむやにすなら……いやあの人がそんなことをするとは思えないが、もしかしたらおれが告白したとおもってした気になっていたけど相手にとってはそうじゃなかった可能性だってあるわけだし、十五パーセントぐらい、もしそうだったら勝手に期待してるこっちに落ち度があるわけだ。
「何度でも告白します。返事をもらえるまで、何度でも」
ブルーレイをディスクにさしこむ太刀川さんの背に向かって、おれは宣言した。「ふうん」気のない返事である。リモコンを持って、太刀川さんはソファに座った。
「まあ、頑張れば」
画面が暗転して、薄暗い場面から、アニメーションは始まった。



fantasyは始まりません

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