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▼イッツアスモールワールドにキャラクターがいなかったのはなぜ?|ディズニーランドと万博1

皆さんは「万博」と言われて何を思い浮かべるだろうか?
2025年に開催される「大阪万博」であろうか?
ちょっとした玄人の方は1970年の「大阪万博」の方がおなじみだろうか?

しかしながら、ディズニーランドと万博という二つのワードを並べてピンとくる方はあまりいないかもしれない。

なぜ、ディズニーランドというファミリーエンタメの代名詞というような空間が、政府や国が主導して行う万博と関連があるのだろう?
そんな疑問が頭に浮かぶと思われる。

しかし、実はあの人気アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」も万博と根深い関係があるのだ!

本記事では、ディズニーランドと万博の関係を解説していこう。

万博の歴史

万博(万国博覧会)とは、博く(ひろく)覧る(みる)名の通り、世界各国がさまざまな技術、文化、産業の発展を展示する場のことだ。

第一回ロンドン万博の様子 この万博の目玉は「水晶宮」


最初の国際的な万博は1851年にロンドンのハイドパークで開催された「第一回ロンドン万博」であることで有名だ。

第一回ロンドン万博についてはこの記事も参照されたい。

この「大博覧会」は、産業革命の成果を披露する場=テクノロジーを披露する場として始まり、その後、定期的に世界各地で開催されるようになった。

1889年のパリ万国博覧会の様子

1889年のパリ万国博覧会では、かの有名なエッフェル塔も建設されている。

産業革命期においては、高層建築や新素材(ガラスや鉄)などを使用した建物は、それだけでその国の技術力・国力を示すものだったのだ。

「鉄の貴婦人」とも呼ばれ、パリの代名詞的存在の今日の栄光からは考えられないが、エッフェル塔は建設当初は「醜悪な建物」としてパリの知識人階級からは糾弾されていた。

万博のテーマは時代ごとに変化し、技術革新だけでなく社会問題に焦点を当てることが多くなっていった。


1939年のニューヨーク万国博覧会のポスター
By Joseph Binder - https://www.flickr.com/photos/157979053@N04/44125406064


例えば、1939年のニューヨーク万国博覧会は「明日の世界の建設と平和」をテーマにし、1970年の大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマとした。

また、万博では政府によるパビリオンだけではなく、民間企業によるスポンサー製のパビリオンも数多く出展していた。
また、時として企業によるパビリオンは政府のもの以上のクオリティで人々を惹きつけるものとなった。

なぜディズニーランドと万博なのか?

さて、本題だ。
ここまで読んでいてもまだディズニーランドと万博の関連性はあまり見えてこないのではないだろうか?

しかし、その両者をつなげる鍵が先述の「1939年のニューヨーク万国博覧会」にある。
実はこの博覧会では、ディズニーランドの重要なコンセプトにも繋がる催しが行われていた。

「フューチュラマ」"Futurama"の存在


それが、「フューチュラマ」"Futurama"だ。

「フューチュラマ」は、1939年のニューヨーク万国博覧会で展示された未来都市のジオラマである。コンセプトには当時から見た「20年後のアメリカ社会」が掲げられている。

この展示は、世界最大の自動車メーカーだった「GM社」(General Motors)がスポンサーとなり、1959年の未来都市を、約3,300平方メートルのスペースに展示するというものだった。

特徴としては、観客は移動式の座席で空中から鑑賞し、自動車中心の未来像を見ることができた。

こちらの動画からはより詳細なフーチュラマについて見ることができる。
観客は移動式の椅子に乗り、超高層建築が立ち並ぶ街並みの中を広大な高速道路網が駆け巡り、自動車社会が牽引する明るい未来に想いを馳せたわけだ。

この展示は、ニューヨーク万国博覧会では圧倒的な人気を誇り、連日2万8千人もの観客が訪れたという。(長澤均『パスト・フューチュラマ ― 20世紀モダーン・エイジの欲望とかたち』 フィルムアート社より)

ここで注目すべきなのは、この万博の「明日の世界」"World of Tomorrow"と冠されたテーマだ。

フーチュラマとディズニーランドとの関連性


ディズニーランドのトゥモローランドとしっかりと重なることがわかるのではないだろうか?(解説不要だろうが、ここでいうTomorrowは未来のことだ)

By No machine-readable author provided. Elf assumed (based on copyright claims). - No machine-readable source provided. Own work assumed (based on copyright claims)., CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=583981
By Photo by ARICAD - Photo by ARICAD, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2427338

また、各国のディズニーランドには自動車に関するアトラクションが存在した。
ディズニーランドをはじめ、各ディズニーパークでは「オートピア」(Autopia)の名で親しまれ、東京ディズニーランドのものは「グランドサーキット・レースウェイ」(Grand Circuit Raceway)と名前がついていた。

これらのアトラクションは、フーチュラマのコンセプトを見れば、なぜトゥモローランドに設置されていたのか合点がいくはずだ。

自動車が牽引する未来を象徴したアトラクションであると言える。(今日クローズが相次いでいるのは、自動車が未来の象徴ではもやはないからだろう)

イッツ・ア・スモールワールドの存在


また、誰もがお馴染みであろうディズニーランドの定番アトラクションも、元々は万博のために作られたというから驚きだ。
それは1964年〜1965年に行われたニューヨーク世界博覧会(先述のものとは別物)でお披露目された。

reference: Paul Turner -  https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32637448

誰もが知る「イッツ・ア・スモールワールド」もユニセフとペプシコーラの提供によって開催された万博パビリオンだったのだ。

この動画では、1964年のイッツ・ア・スモールワールドの様子を見ることができる。

現在のイッツ・ア・スモールワールド:
筆者撮影

今でこそたくさんのディズニーキャラクターが登場するようになった「イッツ・ア・スモールワールド」だが、長らくキャラクターは不在だった。

こうしてみると、世界中の文化や民族衣装が一つのアトラクションにわかりやすく詰め込まれたイッツ・ア・スモールワールドからは、現代でも当時の万博の匂いを感じることができるだろう。

皆さんもディズニーランドへ行く際には、かつての万博へ想いを馳せてみてはいかがだろうか?

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