魅惑のチキルームから見るチキ “tiki” 文化-アメリカ文化から見るディズニーランド
魅惑のチキルームというアトラクションをご存知だろうか?
「チキチキチキチキチキルーム♪」
この軽妙な音楽と共に奏でられるフレーズをディズニーマニアならご存知の方も多いだろう。
このアトラクションは南国風の建物の中で鳥や神様と一緒に音楽を楽しむことができる。
ちなみに現在のTDLのアトラクション名は「魅惑のチキルーム:スティッチ・プレゼンツ アロハ・エ・コモ・マイ!」となっている。スティッチも一緒に楽しい時間を過ごしているわけだ。
さて、そもそも「魅惑のチキルーム」の「チキ」とは何か考えたことはあるだろうか?
私はかつて鳥が歌っていることから「魅惑のチキンルーム」だと思い込んでいた。
しかし、本来はチキルームである。
チキとはなんぞや?その正体を考察していこう。
チキ”tiki”とは
チキ”tiki”とはポリネシア地域の神々の総称だ。「ティキ」とも表記される。(発音的にはこちらが近いのか?)
ポリネシアの民芸品等の木彫りの人形を見たことはないだろうか?
これがチキだ。
起源はマオリの神話にあるようだが、文献が少ないため詳しいがいたら教えてほしい。
アメリカの中のチキ”tiki”
さて、ここからが本題である。
チキとディズニーランドの関係についてだ。
実は、ここでいうチキについては元来のチキとはまた少し違った文脈が存在する。
それが「チキ文化」だ。(ポリネシアン・ポップ Polynesian-pop とも呼ぶ)
チキ文化とは、アメリカの中で誕生したポリネシアの文化に影響を受けた娯楽・大衆文化のことだ。
チキ文化は1930年代のカリフォルニアに端を発する。
当時の人々は、禁酒法時代(1920–1933)から解放されアルコールを求めていた。そこで流行したのが「チキ・バー」"tiki bar"と称されるポリネシアンムードの店内で、トロピカルなカクテルを楽しむスタイルのバーだ。
その元祖と言われるのが、退役軍人であるドン・ビーチ”Donn Beach”がハリウッドで開いた「ドン・ザ・ビーチカンバー」”Don the Beachcomber”だ。
そして、第二次世界大戦中に米軍の主要な中継基地だったポリネシアの島々の文化は、帰還兵が戦争と共に母国へその文化を持ち帰り、チキ文化は花開く。
この流行の背景には、一種のオリエンタリズム・プリミティヴィズムがあるのではないかと考える。
オリエンタリズムとは、西欧近代における東洋・異国趣味のこと、プリミティヴィズムは未開的・原始的なものに対する憧憬のことである。
双方ともに、西欧近代社会の「秩序」から見た、東洋や「無秩序」への関心が含まれる。
戦争は混乱も引き起こすが、文化の融合も果たす。
アメリカの人々にとって、それまで遠い存在だった異国のポリネシアの島々は、遠い異国への憧憬とロマンティシズムをくすぐる存在だったのではないだろうか。
アメリカの中でも温暖で椰子が茂るカリフォルニアで、擬似的にポリネシアムードを体験しようとしたのもなんだか頷けるし、娯楽化してしまうところがいかにいもアメリカらしい。
ディズニーランドのチキ"tiki"
さて、話をディズニーランドへ戻そう。
本家のディズニーランドにある「魅惑のチキルーム」」がオープンするのは1963年のことだ。
先述の通り、ディズニーランド誕生以前からカリフォルニアにおいてチキ文化はすでに流行していた。
では、なぜチキがディズニーランドにあるのかを考えよう。
チキルームが存在するエリアは本家・ディズニーワールド・東京ともに「アドベンチャーランド」”Adventure Land”に位置する。
アドベンチャーランドとは直訳すれば冒険の国だ。
ウォルト・ディズニーはアドベンチャーランドのコンセプトを、文明から遠く離れたアジアやアフリカの辺境のジャングルを思い浮かべたと語っている。
つまり、魅惑のチキルームは、既にアメリカ文化の中で涵養されたチキ文化を存分に具現化したアトラクションであるということだ。
南国の色鮮やかな鳥たちがさえずり、チキの精霊たちと共に歌う。
それまで人々の頭の中にあった"チキ"が明確に空間・物体として存在する。
魅惑のチキルームは偶然そこに置かれているのではなく、必然性を伴って作られたアトラクションだということがわかる。
今回は、魅惑のチキルームと共にアメリカの中のチキ文化について見てきた。
みなさんもぜひディズニーランドに行かれる際には、チキの精霊に思いを馳せながら歩いてみてはどうだろうか?
Referance
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