
今の時代、「志(こころざし)」を持つのは熱すぎますか?
『イル・ディーヴォ』というアーティストを知っていますか?
海外出身のイケメン4人組で、私と私の母は、来日コンサートにも行ったほどの大ファン。
それなのに、私がウガンダへ移住してしばらく経った頃、
「これだけは、今はとても聞くことはできない」
と、母が私に言った曲があります。
いったい、そのワケとは?
母が「今は聞けない」と言った曲は、『ふるさと』。
「うさぎ追いし あの山~♪」で始まる童謡です。
昔、小学校の音楽の授業で習ったはずなのですが、恥ずかしながら私。
移住するまで、歌詞の意味をじっくり考えたことがなく、
「『うさぎ おいしい』ってどういうこと?」
と、本気で思っていました。
実際、小学生の頃に住んでいた地域では、野うさぎを食べる習慣があり、私も食べたことがあります。
それにしてもなぜ、
母はこの曲を聴くことができないのか?
不思議に思って聴いてみると…。
初めて聴く曲の3番に、こんな歌詞がありました。
「志(こころざし)を果たしていつの日にか 帰らん」
この部分を聴いたとき、母の想いが理解できた気がしました。
新しい夢と人生のために、遠いウガンダへ旅だった娘(=私)を想い、その志を応援したい気持ちと、
「その志を果たして帰って来るのはいつだろう?」と待ち焦がれる気持ち。
きっと色々な想いが込み上げてきて、「聴くことができない」のだと。
私も胸がつまりました。
その2年後に、私は一時帰国をしていますが、
私の胸の中にはいつも、この「志を果たして帰る」の言葉があります。
今は特に、
◆自分にもっと欲張りに、ワガママに生きていい。
◆自分の好きなことで自由に生きる。
◆そのままのあなたで十分だよ。
とか、
しんどいことや嫌いなこと、苦手なことは避けて、できるだけ簡単な方法で楽に生きるー。
このような生き方が良しとされている風潮がありますよね?
「努力不要論」なんていう言葉もあって、ビックリします。
もちろん、それが自分の価値観であり、求める生き方であればいいのですが…。
こんな時代に、「志」なんて言うと、熱すぎると感じますか?
でも、
生きる使命や自分の役割、それを果たすのが人生の目的だとさとって
人生を再スターとする時、
つらい、しんどい、嫌い、苦手…
こういうものは、飛び越えられてしまうのです。
いちいち、
◆好きか嫌いか、
◆できるかできないか、
なんて関係なくなる。
そのために必要だからやる。
できるようにする。
だから、「努力をしている」という感覚すら、なくなっていくんです。
「自分だけが満たされて幸せ」ではなく、
相手の役に立てることや社会に貢献できること、誰かが喜んでくれること。
それが自分の喜びになり、幸せになっていく。
だからと言って、見返りを求めるのではない。
たとえ相手から感謝の言葉はなくても、自分で必要だと思うことを淡々とやっていく。そして、相手に起きた変化によって、自分の行いを評価する。
これは、
脳外科病棟に勤めていた看護師時代、
脳の病気によって、話すことや理解することができない、または意識がない患者さんに看護をする経験を通して私が培ってきた、「人生に通用する、生きるスキル」です。
こんな風に言うとまたどこかから、
「他人のために、自己犠牲をしていいのか!」
と言う声が聞こえてきそうですが、
そういうの、私からしたら、「へ理屈」としか言いようがありません!
本当の使命や人生の目的であれば、「自分を犠牲にしている」なんていう考え自体、出てくることはなくなります。
あなたに、「志」はありますか?
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