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私の人生について。双極性障害、愛着障害

私は生まれて20年経ちます。
私が生まれた時には、すでに知的障害の姉がいました。父はすでに不倫していました。

私は昔から、母の顔色を伺って生きてきました。

母は、知的障害で落ち着きのない姉のことばかり気にかけていて、私のことはいつも後回しでした。

「○○(私)は昔から大人しくていい子だったよ」
と母は今でも言います。

それは、ママの顔色を伺ってたからだよ。

父の不倫に対する不満と、言うことを聞かない姉の愚痴を小さい頃から、いつも母に聞かされていました。

私は友達関係の相談や、話を聞いて欲しい時もありました。でも、真剣に話を聞いてくれたことはありませんでした。
昔から何を言っても、すぐ否定されてきました。
そのため、自己肯定感が高まることはなかったのです。

姉からの暴力

辛すぎて記憶があまりないですが、姉はよく家で暴力をふるっていました。
家の物を荒らし、投げ、倒す。
母を殴る、髪を引っ張る。
私も包丁を投げられたり、殴られたことがあり、
警察に電話をかけながら逃げたこともあります。
精神的にかなり追い詰められていたと思います。

このとき、父はいつもいませんでした。

双極性障害と気づいたとき

私が双極性障害かもしれないと気づいたのは、
大学2年生の夏でした。
心療内科に通って薬も服用していましたが、
母は双極性障害について理解してくれることはありませんでした。

もう、死のうと思った

その年の秋頃、
もういなくなってしまいたいと思って、
当時服用していた薬を100錠以上飲みました。

次の日、救急車で搬送された際に
「母は泣いてましたか?」と救急隊員の人に聞いたそうです。
この時ですら、母の顔色を気にしていたんだ。

私はそのあと数日間入院しました。

「また同じことをしてしまうかもしれない。」
辛いときに母の前でこう言ったことがあります。
すると、
「中途半端なことしないで、迷惑かけないで」
と言われました。
ただ、
「大丈夫?辛いことがあるなら吐き出していいよ。」
そう言ってほしかった。

愛着障害かもしれないと思った

いつどこにいても、常に周囲を気にして、
自分がどう思われているかを気にしてしまう。
心が休まるときがまったくない。
電車でも、職場でも、家でも。
そのため、人との距離感がうまく掴めない。
恋人にも友人にもすぐに依存してしまう。

私は、自分のことをすべてさらけ出せる人がいません。
気持ちの持って行き場がないのでここに記します。


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