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毎日、メガネ屋 2021.08.11~南極観測隊のサングラス~

南極観測隊のサングラス

2008年の第50次南極観測隊から約10年に渡り、メガネナカジマでは観測隊員の特注サングラスを製作しておりました。それまで観測隊のサングラスは、それなりに価格が高いサングラスが一律で支給されていたのですが、実際の極地では使い物ならなかったそうです。

私が携わっていた期間の南極観測隊は3つの隊が編成されていました。南極で1年を過ごす”越冬隊”、夏の間だけの"夏隊"、そして3ヶ月間、南極でテント生活をしながら隕石を探す"セールロンダーネ隊"。このセールロンダーネ隊というのがまぁ過酷な任務でして、スノーモービルで移動しながら隕石を探し続けるという壮絶なことをやっていました。(ちなみに当時の日本は、南極での隕石発見数はアメリカに次いで2位でした。)

当然、学者や研究者の方が行かなくてはならないのですが、安全にミッションを遂行するために、日本を代表する登山家やスキーヤー、極地に秀でたフィールドマスター達が同行します。

当初、このセールロンダーネ隊向けにスペシャルなサングラスを用意してほしいとの依頼がメガネナカジマへありました。そして、手探りながらも南極観測隊のサングラス作りがスタートしたのです。まずセールロンダーネ隊の隊長さんからヒヤリングをすると、危険極まりない状況のオンパレードです。スノーモービルの速さで移動しながら、素早くクレパスを目視することが出来るレンズカラーを求められました。

また隕石を探す学者・研究者からは、隕石を見つけやすいカラーの依頼があり、さらに度付が必要で遠近両用レンズも欲しいという難解なオーダーです。そして頭を悩ませたのは耐久性。メガネ・サングラス・レンズは、高温になる場合の検査は比較的やっているのですが、-40℃にもなる極寒冷地のデータは皆無でした。

そして次の課題は凍傷対策。金属が使われているフレームは使えません。そして、光がサングラスの隙間から入り込まないような工夫も必要でした。

当時のスポーツサングラスメーカーに色々と相談したのですが、どこもお手上げで責任が持てないと断られました。しかし、イタリアのRUDY PROJECT(ルディプロジェクト)は、世界的な登山家やクライマーをサポートしていて、全面的にサポートしてくれました。最初に納品したセールロンダーネ隊分のサングラスは全て無償で提供してくれたほどです。

しかし、セールロンダーネ隊の隊長は、RUDY PROJECTの製品をそのまま使うことに難色を示しました。レンズカラーやレンズの解像度、フレームの隙間から入り込む光に対して、もっと改善して欲しいとの事。当時、メガネナカジマではオリンピック選手のサポートをしていて、アスリートがレンズ素材の違いをちゃんと認識できているという事を知っていました。全く同じことを隊長さんも言うわけです。市販モデルのカスタマイズが始まりました。

レンズはNXTレンズを日本で取り扱うIC JAPANの社長 チッティ・ジャンピエロ氏に相談し、日本未入荷のレンズを調達してもらいました。そしてどうしても必要で、作らなくてはならないレンズカラーもあり、その後10年使っても余るほどの大量ロットをメガネナカジマが負担し製作しました。NXTレンズはOAKLEYなどが採用するポリカーボネート素材よりも解像度が高く、フィールドでのテストでは抜群に視認性があがるとのインプレッションでした。ポリカレンズよりも価格が10倍高いのがネックなのですが、、、。

フレームも隊員の方のニーズに合わせ、4タイプを用意。その中には度付をどう対応させるかなど、難しい問題に直面しました。後にHOYA社(日本のレンズメーカー)が開発したカーブフレーム対応設計のレンズを、先行で使わせて頂くまで本当に度付きレンズは苦労しました。HOYA社のレンズを使うまで、カーブレンズに慣れづらい隊員の方が少しいたのですが、カーブ専用設計のレンズはそういった不具合を解消してくれました。こういった一つ一つの経験が、メガネナカジマの製品選びや商品セレクトにフィードバックされていきました。

光の入り込む問題は、最後まで私を悩ませました。母に依頼して手製の革製シールドまで試作したくらいです。これも最後は釣具メーカーが作っていた後付のサングラス用サイドシールドを特注して、10個だけしか必要ないところを1000個作るロットを引き受けました。

こんな実験的な投資をしていたので、南極観測隊のサングラスはずっと大赤字のプロジェクトでした。しかし、この試みは今日に至るメガネナカジマのノウハウを強固なものにしたと思います。


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セールロンダーネ隊での試みを見てくださり、観測隊本隊のサングラスもお願いしたいという依頼がありました。本隊は60名の大所帯です。ヒアリングを進めると、フィッティングと度付対応について何とかして欲しいという意見が多くありました。それまではサングラスだけをポンっと支給して、あとは自分でなんとかしてねという対応だったそうです。

毎年、8月のお盆明けに、全隊員を集めたミーティングをやるという話を聞きました。そこで私は、その日に全ての隊員の方のフィッティングをやろうと考えました。ただでさえ、年に1回しか集まれないタイトなスケジュールな日にやりきれるか自信はありませんでしたが、やるしかないと決めました。

毎年、度付きを希望される方が20名ほどいるのですが、視力測定を希望される方には全て対応しました。「今掛けている度数と同じで」という方が多いと思っていたのですが、約10年間やりましたがそう言われる方は毎年1人か2人しかいませんでした。どうせ作るなら測定して欲しいという方が圧倒的に多かったです。

そしてメガネナカジマの視力測定はドイツ式両眼視測定。少なくとも店頭では30分以上掛かっています。私はそこに手を抜きたくなかったので、時短はしましたが無謀なまでに両眼視測定をやり通しました。

最高で1日に32人の両眼視測定をした年があったのですが、抜け殻を超えた感覚になったのを覚えています。だいたい5名くらいのスタッフで、60人のフィッティングと検眼、使い方の説明を全体ミーティングの日の早朝・休憩時間を見ながら延べ3時間位でやらなくてはならないのです。さすがに視力測定は延長になってしまうことが多かったです。毎年多くの納入業者が出入りをしていましたが、こんなことをやっている業者はメガネナカジマしかありませんでした。

時は経ち、セールロンダーネ隊にコンテナ車が導入されたり、セールロンダーネ隊が結成されない年も増えていきました。また何度も南極へ行く隊員の方も増えて、スペシャルなサングラスのニーズも薄まっていき、市販品のセーフティゴーグルへ支給が変更され、メガネナカジマはお役御免となりました。

28歳~37歳くらいまでの間、夏は南極観測隊の準備で追われ続けました。1日で全てを行わなければならずミスが許されないことから、その日が終わるまで精神的にも凄く大変だったことが思い出されます。

私の次男は8/22生まれなのですが、生まれてしばらく会いに行くことも出来ませんでした。観測隊担当者から日程を間違えて伝えられ、海外から早朝に帰ってきた足で会場に向かった事もあります。夏はそれで全部が潰れてしまい家族には申し訳なかったのですが、夏のミッションが無くなったここ数年はその時の罪滅ぼしとばかりに満喫しています。

南極観測隊の1日のために通年でスタッフを確保しているようなところもありましたが、現在メガネナカジマは2.5人しかスタッフがいません。もうやりたくても出来ませんね。また全隊員分の"良い"製品を確保することも難しくなりました。本当に良い経験を積み、素晴らしい時間でした。


この内容は「boot」で連載しているものを転載しています。

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中島正貴   1978.04.10生 神奈川県在住
有限会社スクランブル 代表取締役

note.「有限会社スクランブルがやっていること


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Masataka Nakajima
アイウェアに関する独自の取材や、撮影などの個人活動費に使用させて頂きます。