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毎日、メガネ屋 2021.10.11~VマガジンJAPANを創刊した理由~

Vマガジンジャパンの出版権を獲得したかった理由

2015年秋に「Vマガジンジャパン」(ネコ・パブリッシング)は創刊しました。Vマガジンは香港発のアイウェアマガジンです。

香港Vマガジンは特にヨーロッパとのコネクションが強く、2010年以降はアジアのアイウェアシーンを牽引している側面が非常に強かった雑誌です。「強かった」という過去形になるのには、今現在、雑誌は世界的に不況であり、Vマガジン香港も例外なくその荒波に晒されているわけです。日本版Vマガジンも一昨年より、思い切ってフリーマガジン化。それにより1万部以上が皆様のお手元に配布されることとなり、2021年は飛躍の年になりました。

私は2014年にVマガジンの日本発行権の交渉を始めました。その交渉は初めて会ったVマガジン香港のボスであるケイメン氏に、「Vマガジンを日本でやらせてくれ」と直談判したところから始まります。ケイメン氏は「日本側のサポートがあるのであれば是非やろう!」とその場で言ってくれて、帰国後、2週間で出版社のネコ・パブリッシングさんのサポートを取り付け、契約に至りました。

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展示会の立ち話からこういったプロジェクトをスタートするような事は、まず日本のメガネ業界にでは起こり得ません。「これぞ海外!」と当時は思ったのですが、ケイメン氏のようなフットワークの軽い人に出会う事は海外でもそう無いのです。ヨーロッパ・アメリカを何年もかけて行脚しましたが、日本以上に保守的で目眩がするくらい"お堅い"思考です。

私は現在のように国内のブティックアイウェアシーンが、危機的な将来を迎える予測をしていました。奇しくもそれは当たってしまっている最中なのですが、当時そんな予測に共感してくれる人は誰もいませんでした。それ故に、もっとグローバル化させたアイウェアシーンを作ろうと奔走していたのです。

日本のメガネ業界の市場規模はこの20年間で半減してしまいました。しかし世界のメガネ市場は拡大するという予測がされていて、世界的な近視の爆増によりその予測も当たっています。だからこそ、少なくてもアジア圏でのネットワークだけは構築しておく必要があると考えていました。


日本のブティックブランドは海外に通用しなくなる

90年代後半から00年代の前半まで、日本のメガネブランドは香港や台湾で物凄い人気になるのですが、00年代の後半から陰りが見え始めます。国内も真綿でクビを締められるがごとく、徐々に業績が低下していたのですが、見て見るフリというか「どこも悪いから」といった具合な楽観的状況が長く続いていました。

私は香港のアイウェアマーケットを2006年くらいから見ていたのですが、当時は日本のオシャレなメガネ店に影響を受けるメガネ店が多くありました。しかし、2010年を過ぎたあたりから一変します。香港のメガネ店オーナー達はもう日本のメガネ店なんて見ていなくて、独自に日本を上回るようなスペックの高級店を次々とオープンさせていました。

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私がVマガジンを招致している2014年当時でさえ、日本のメガネ業界人はありがちな「日本の方が凄い」という漠然たる自信がみなぎっていて、香港や中国・アジアを言わば「下にみる」ような風潮が大勢を占めていました。

とある有名な日本ブランドの社長は「敢えて香港はここにしか卸さない」と公言し、香港内には1店舗にしか商品を卸していませんでした。その後、海外戦略を本格化させましたがことごとく失敗。香港でも無理やり拡販しましたが、1年も経たずに大セールの叩き売りに遭います。それはそれは見事に全敗と言って良いくらいの敗退です。国内がジリ貧になり、海外へ進出しようしても時すでに遅しだったわけです。

"いざとなれば海外で売れば良い"と考えていた、アテが外れたわけです。


最初から海外で通用するブランドを作りたかった

私はメガネナカジマのプライベートブランド「GROOVER」で世界に出たいと考えていました。2011年のIOFT出展を機にグローバルデビュー。その時点で、すでに国内はセレクトショップと呼ばれた、メガネ店のバブルは弾け新しいブランドを仕入れる余力がなくっていました。

更に「若造の同業メガネ店のブランドなんて仕入れるか!」と、メガネバブルを謳歌した中年バイヤーからは嫌味を言われる始末。さらにその子分みたいな人達も、先輩の顔色を伺い仕入れてくれません。しかし、私の父くらいオーナーの方や、同年代のメガネ店の後継者の方が応援してくれたのです。これは励みとなりました。

そして最初のコレクションから、台湾の代理店と契約する事が出来たのです。間髪を入れず、すぐ香港へ単身で向かいます。最初は飛び込み営業をしたりしましたが、大した成果は上がりませんでした。2014年に代理店契約をすると少しづつ広がり始め、2018年の大規模デモが起こる前で、大きな成果が上がったところでした。デモは本当に残念でしたが、簡単に上手くいかないところがGROOVERらしいなと妙に納得してしまいました。

今ではGROOVERの取り扱いはアジア6ヵ国に広がり、カナダ、アメリカ、フランスへとビジネスを広げ、GROOVERの生産分の約80%は海外へ輸出しています。

本音を言えば国内のメガネ店の方にもGROOVERを仕入れて欲しいのですが、海外で勝負すると決めたデザインは日本のトレンドと少し違います。当然、各国でトレンドの違いはあるのですが、日本だけずっと"クラシック"と呼ばれるデザインが好まれています。売れるからと言って長い間、殆どのブランドがクラシックメガネに傾倒してしまった事が、競争力を失った大きな要因になっているように思います。

そう言ったことに気付いた日本ブランドがいくつかあり、メガネナカジマで仕入れも積極的に行っています。やはり応援したくなるのです。

2011年10月11日にGROOVERは、グローバルデビューを果たしました。今日で10周年。そんな記念すべき日にコラムを書いております。


この内容は「boot」で連載しているものを転載しています。

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中島正貴 1978.04.10生 神奈川県在住
有限会社スクランブル 代表取締役

note.「有限会社スクランブルがやっていること

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Masataka Nakajima
アイウェアに関する独自の取材や、撮影などの個人活動費に使用させて頂きます。