Lisztomania ~アイコニックなスイングとイントロ~

 イントロが鳴るなり強烈なピアノをぶつけられる。五度の跳躍をスイングしながら痙攣的に繰り返すだけのフレーズだが、その単純さゆえに非常に印象的だ。一度頭に入れば最後、決して振りほどくことはできない。挨拶としてこれ以上ない出来栄えである。
 この時点ですでに理解できるが、この曲はこのスイングが一つの基本になって進行していく。ドラムを聞くと分かりやすい。フレーズのはじめはかなりストレートだが、フレーズの終わりはピアノに沿ったスイングをしている。ギターやボーカルも程度の差こそあれ、ストレートとスイングを行き来するようなフレーズが積み重ねられている。メインの楽器の中ではベースだけが例外的にスイングせず、常に安定しているのも面白い。このように、ストレートとスイングの兼ね合いを味わうのは素直な楽しみ方の一つだろう。
スイングは細くなったり太くなったりしながら、それでも最後まで続いていく。たとえばメインの楽器が一斉に消え、キーボードがコードを刻む部分。スイングは消えたようでいながら、“Lisztomania”のmaが微妙にシンコペーションしているなど、ボーカルのフレーズの節々に微妙に残っている。また、二度目のコーラスを終え、ベースとドラムがリズムを強調する場面。ここもかなりストレートだが、それでもギターが後ろで小さくスイングし、このスイングを途絶えないようにしている。
 この兼ね合いの中で一層感動的なのは、再びピアノのみに戻り、それを追いかけて入ってきたシンセサイザーがフィーチャーされる部分だ。今まで気配のなかった音色が次々に加わるが、これらはピアノのようにスイングしない。それでも他の要素と調和しながら互いに盛り上げていき、その勢いを保ったまま爽快に曲は終わる。なんとも心地のいい大団円だ。
 全体の印象は豊かである。音数のメリハリがしっかりとつけられており、また二回目のコーラスが終わったあたりから新しい要素が次々と入ってくるのは非常に心が躍る。かといってそこまでの過程も退屈ではなく、それぞれの楽器の合流の仕方がよく練られているために順当な高揚感が得られる。そしてこの曲の始まりがただ二音の繰り返しだったことを思うと、よりこの豊かさが深く感じられるだろう。イントロはこれから始まる曲への道標である。ここまで単純化して間口を広げたうえで、最後まで聴衆を導いてくれるのは極めて機能的だ。この機能の鋭さこそ、この曲が聴衆の心をとらえて離さない理由のひとつなのである。

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