生きていた五十嵐ワタル ~読みづらい文章を書くために~

 先日パソコンを触っていたらフォルダーがあってそのフォルダーは忘れてたから何があったか思い出そうとしたのに思い出せなかったから仕方なく思い出すためにフォルダーを開いた。それでそのフォルダーには色々なファイルが入っていてそのファイルにはテクストファイルが多くてでもpngファイルとかPDFもあってpngファイルとかPDFは見ればすぐ分かるからテクストファイルは読まないと何が入っているのか分からないしだったら先にテクストファイルを見ようと思ってテクストファイルを見ることにした。それでテクストファイルは名前を見れば分かるやつと分からないやつがあって名前を覚えてるやつは分かるからそれは別に良かったから分からないやつを見たら何のやつか分かった。それで分かったやつだけどそれには本の名前が書いてあってでも正確には本当にある本の名前じゃないやつも混じっていてそれはつまり存在しない本の名前も混じっていた。そしてその中にあったのが『なぜあなたの文章は読みづらいのか 心理カウンセラーが教える伝える技術と文章を考える時には毎回意識して実践する習慣化しておくべきこと』だったのだ。
 単純に言えばフォルダー整理をしている際、実在の書名と架空の書名をごたまぜに書き連ねたお遊びのファイルを発見し、その中にひどく読みづらい架空の書名を見つけたという話である。

 文章を書いていると、時折読みづらい文章を書きたくなる。それは可読性を求められる反動でもあるし、あるいは読みづらさから発生する諸々の効果を利用したいという実践的な要請でもある。何かにつけ読みやすさや簡潔さが文章には必要だとされるが、少なくとも創作に使用する際はそんなことはない。読みやすい文章も読みづらい文章も、適宜場面に応じて適切に使い分ける手腕が必要である。
 ギャグ漫画日和の「生きていた五十嵐ワタル」は、そんな読みづらい文章を逆手に取った漫画だ。数日前、五十嵐ワタルは敵に敗れた。死んだかと思われた彼だったが、因縁の敵の悪事の前に再び立ち上がる。そう、彼は生きていたのだ。その瞬間を描いた3ページの漫画だが、五十嵐ワタルのセリフは要領を得ない。彼がなぜ生き延びられたのか、説明はひたすらダラダラと続き、読者も登場人物も困惑の中に取り残される。ページ数から予測されるあっさりとした読後感などはなく、疲労したのかしていないのか分からない微妙な疲労感と、一発ネタ特有の呆れ笑いが混ざったような独特の味がクセになる一編だ。
 この読みづらさが絶妙で、極めて現実感をもった筆致で書かれている。生々しいグダグダ感、そしてそれを面白さに昇華する手腕はただたださすがの一言だ。今回はこの漫画を参考にし、読みづらい文章を書くにはどうすればよいのかを軽く考えていくことにする。さっそく見ていこう。

読点を省く
 これは王道だ。ただの文章ならばこれだけでもだいぶ読みづらくなる。読点を全く使わない前提だと文章構造が若干違ってくる気がするので、単純に読点を消すというよりも、始めから読点なしで考えたほうが自然に書くことができると思う。
 漫画で使う際は、一般的な文章と読点の扱いが異なることには留意しておきたい。基本的に漫画のテクストには読点がなく、その代わりに改行をしたりフキダシを変えたりして読みやすく整えられている。それを知っておけば漫画でも対処は可能だ。改行するべきところで改行しなければよい。「3日も海に落ちて経っていたというから丸太にしがみついてたのがよかったんだ」というセリフでは、「経っていたというから」という明らかに区切りのいい箇所を無視し、直後の「丸太に」の後に改行を入れている。

一文を意味もなく長くする
 読点を省くのと同様に、読みづらい文章ならばぜひ押さえておきたいポイントの一つである。注意するべきは「意味もなく」という点だ。筋道だてて書かれた長文は意外と読みやすい。したがって読みづらくするには筋道なく続けていくことが必要なのだが、これがなかなか難しく、自分ではどうすればよいのかまだ分かっていない。話し言葉の方が文章の全体を見通しづらいため、一度ボイスレコーダーにアドリブで吹き込み、文字に書き起こすという作業を挟めばいい感じにだらだらと続けられそうな気がする。

接続の仕方を統一し、同じ接続を連続で使う
 「そして砂浜に行って気がついたらたすかって目が覚めたんだ」という文章からも伝わる通り、五十嵐ワタルは「〜って」という形で話題を繋げていくことが多い。読者としては刺激が少ないように感じるうえに、微妙なニュアンスの違いが全て一つに押し詰められるため、何が何だかよく分からなくなる。さらに連続で使えば文章構造も見失いやすくなり、この効果は倍増するだろう。

一言で済む部分を詳細に説明する
 五十嵐ワタルは父と母の形見であるペンダントによって命拾いをした。この説明も、彼にかかれば非常にまどろっこしくなる。
「このペンダントは胸に入れてて亡き父がオレに一つだけくれるというからオレは何がいいか聞かれてこのペンダントをもらって胸のポセット…ポケットに入れてたんだが」と始まる部分がそれだ。思いつきで話している雰囲気を出すため、できる限り後追いで情報を加えていくように意識した方がよい。この例は「胸に入れてて」というところから始まり、そこから形見であることを解説しようとしているが、まさにこの段取りの悪さを目標とするとよいだろう。

近いところに同じ言葉を配置する
 「オレの母親がオレを産む時にオレを産んで産むと同時に死んでから」の部分に使われている。一度言えば済む単語を複数に増やすような感覚で考えると成功しやすい。また、これを応用すると、文の構造の一貫性を失わせることに応用することができる。今実践したのがまさにそれだが、推敲の甘さをアピールする非常に有力な手段であるため、積極的に活用していきたいところだ。
 この亜種として、ほぼ同じ意味の言葉を連続させる方法もある。「海に落ちた時に生きていて助かったんだ」や「これが割れててこいつでたすかったと思ったんだ」の部分が該当する。

 ざっくりとした説明は以上である。もちろんこれは現在の私が読みとったことであり、時と場合により違った読み取り方をすることもできるはずだ。読みづらい文章に興味を持った方は、ぜひ自分なりに研究し、読みづらい文章を極めてほしい。


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