「一夜」~書き出しの組み立て~

「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と髯ある人が二たび三たび微吟して、あとは思案の体である。灯に写る床柱にもたれる直き背の、この時少しく前にかがんで、両手に抱く膝頭に険しき山が出来る。佳句を得て佳句を続き能わざるを恨みてか、黒くゆるやかに引ける眉の下より安からぬ眼の色が光る。
「描けども成らず、描けども成らず」と縁に端居して天下晴れて胡坐かけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語にて即興なれば間に合わすつもりか。剛き髪を五分に刈りて髯貯えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室の中なる女を顧みる。
 竹籠に熱き光りを避けて、微かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。
「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬほどは艶なる居ずまいとなる。

青空文庫 夏目漱石「一夜」

 一人の男がふとつぶやく。もう一人の男がそれに続ける。最後に女が後を継ぐ。登場人物はこれで全てだ。
 かねてよりこれを超える書き出しを知らない。などと言うと言いすぎではあるのだが、それでも特に印象的な書き出しとして私の心に残っている。一人、また一人と言葉をつなぐ。おなじ個人ではないのだから、そこには前の人間の意図せざる文脈が加わる。各々が思い思いにつぶやきながら、しかし紡がれる言葉にはよどみがない。この淀みのなさのうちに登場人物はすべて出揃い、出揃ったあとにはおおよそ各々の特徴がつかめている。
 行われていることはきわめて儀礼的だ。登場人物紹介という味もそっけもない言葉を使えばそれで終わる。幕が上がる。それだけでは何も分からぬ。分からないので役者に話をさせる。話をするうちに、どうやらこの三人で話が進行することがなんとなく得心される。書き出しの巧拙とは、この一連の流れをいかに止めることなく闊達に描けるかにかかっている。その面でこの書き出しは自然だ。舞台を照らす照明は、次々に引き継がれる言葉により連続性を担保し、三人を順に浮かび上がらせる。どこまでも自らの務めに忠実な職人の仕事だ。観客の意識を散らせることもなく、役目を終えればすぐに消える。後になればそこに人為がはたらいていたことにも気づかない。
 さらに驚嘆すべきは空間の表現だろう。この一連の流れの中で、読者の視点は自然に室を一望のうちにおさめることになる。「一夜」は一幕劇のようにこの室内のみで話が進行するが、舞台の概形をすでにこの一連の流れで捕らえさせていることに気づくものは少なかろう。登場人物と同様、舞台も劇を構成する重要な要素であるが、いざ紹介しようとすれば登場人物以上に退屈になる。あとで建て増すのは凡手だ。ならばともに進行させればよい。言うだけなら易いが、いざ試みると手が止まる。およそ勢いでごまかせるものではなく、全体を見せるように計画した演出をしなければならない。そこに至ればこの書き出しの無駄のなさが理解できるだろう。およそ450字の短さでありながら、ここに示された情報には不足がない。ただ誘導されるままに視線を移せば事がすべて済む。導入としてこれ以上の要件はあるまい。
 無論書き出しのみで小説が成り立つわけではない。ここから掉尾まですぐれた筆致はとどまることがないのだが、無粋に解説をつづけ、楽しみを損なうのはやめておこう。三人が同じところに集う。あとは寝入るまで話し続けるだけだ。

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