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大宮門街はなぜイマイチなのか?

大宮駅東口初の再開発事業として生まれた大宮門街ですが、正直鳴かず飛ばずの状況です。 そんな大宮門街がのぶりんというYouTuberの方(2024年8月現在登録者数約8万人)に”発見”され、動画が公開8日で46万回再生とヒットしています。 ※10月7日時点で71万回再生 私はこの再開発事業に大いに期待し、そして落胆した一人ですが、この動画をきっかけに改めて大宮門街の何がイマイチなのかという点について、まとめてみたいと思います。 なお、私は再開発関係者でもありませんし、商業

    • 大宮盆栽村の変遷(4/4) ~まとめと今後~

      大宮盆栽村の変遷シリーズ最終回です。 前回、前々回の記事では、個別の盆栽園の変遷を調べてみましたが、今回は盆栽村の全体像をまとめ直した上で、私見を述べます。 盆栽園は大戦で大幅に減り、その後は逓減中盆栽園は最大で35園(1936年)あったとされていますが、1947年の「盆栽村春季陳列会」に参加した園は14園(+不参加の園もあったかもしれません)、1973年の『五十年のあゆみ』の時点で11園となっています。 このほかにもいくつか参考になる資料を基にグラフをつくりました。最初

      • 大宮盆栽村の変遷(3/4) ~閉園・移転した盆栽園~

        すでに閉園・移転してしまっている盆栽園についても、いくつかピックアップしてまとめていきます。(前回の記事はこちら) 今回の記事で登場する盆栽園 清大園(1925年~1955年頃?)1925年、盆栽村移転の中心人物である清水利太郎が開園。(1935年には稲荷神社に「清水瀞庵(清水利太郎)翁紀功碑」という石碑が建てられています。) 『五十年のあゆみ』(『大宮盆栽村五十年のあゆみ』(1973年 大宮盆栽組合。以下、「五十年の歩み」という。)等を見る限り、藤樹園の北西側、しで通

        • 大宮盆栽村の変遷(2/4) ~現存する盆栽園~

          前回の記事では、大宮盆栽村にいくつ盆栽園が残っているのか簡単に調べてみました。 今回は現存するそれぞれの盆栽園の歴史を調べ、できるだけ敷地の変化について注目してまとめます。 今回の記事で登場する主な盆栽園 蔓青園(1925年~)1925年に加藤留吉が開園。盆栽村移転の中心となった園の一つです。 ゼンリン住宅地図や国土地理院空中写真で確認すると、現在の敷地の裏手(北西側)まで盆栽園が広がっているようにみえます。『大宮盆栽村クロニクル』(2008年 宮田一也 著)によれば

          大宮盆栽村の変遷(1/4) ~今、盆栽園はいくつあるのか~

          大宮盆栽村とは関東大震災(1923年)で被害を受けた都内の盆栽業者が、盆栽の育成に適した土壌を求めて大宮に移り住み、1925年に「大宮盆栽村」が誕生しました。今では盆栽園と緑の多い住宅が立ち並んでいて独特の雰囲気を醸し出しています。 来年、2025年には大宮盆栽村の開村100周年を迎えるということで、大宮盆栽協同組合やさいたま市がキャンペーンを始めていますが、盆栽園の減少が課題になっています。 1936年には盆栽園が35園あったが、今では6園になってしまったとのことです

          大宮盆栽村の変遷(1/4) ~今、盆栽園はいくつあるのか~