しくじり先生「日向坂46ラジオスター回」からラジオについて考えた。
AbemaTV「しくじり先生」のお笑い研究部の企画として、「日向坂46がラジオスターになるには?を考える」が配信された。
この中で、ラジオコンテンツの作り方や、それにあたって自分がラジオを作るまでにやっておくべきことのヒントがありそうだったので、書いておく。
全体的に思ったのは、
「こういうアドバイスってディレクターやプロデューサーもできないといけないよね」
「ラジオってこういうもんだ」「こうしたらいいんじゃない?」を説得力を持って伝えられることが必要なんじゃないかと。
今日の知見
ラジオは「人起点」
この回の中で、日向坂メンバーそれぞれの個性を面白がって企画にするようなアドバイスが的確なように思えた。
例えば、佐々木美玲さんの
「お昼のラジオのちょうどいいテンションがわからない」
という悩みに対しては、アルピー平子さんのアドバイスが的確で、
「文化放送の朝のラジオは年配の方が聴いているような番組だったが、その年齢層に合わせない発言の方が、反応も多く面白がってくれた」
ということを言っていた。
つまり、時間帯に合わせるでも、リスナーに合わせるでもなく、「人起点」(=パーソナリティであればその人の個性を出すように、ディレクターであればその人の個性を最大限出せるように)してあげるのが、良いラジオコンテンツを作る上で、大事なのではないかと感じた。
そうか、ラジオも高橋弘樹さんがおっしゃっていた「面白いコンテンツはプロダクトアウトなんだ」という話に近いような気がする。
「なぜ、素の自分や人間が出たラジオ番組の方が良いのか?」
↓
「テレビと同じでプロダクトアウトの発想の番組の方が面白いから。」
「この人の話を聴きたい!」という番組なら、その人の個性から着想された番組であるし、
「聴いたことがないことを聴きたい」という番組から、それをそのままお届けする。
また、その時間帯に抜擢するのは、ディレクターやプロデューサーなどスタッフの責任であるから、パーソナリティは「とにかく自分の人間を出すこと」に徹してもらう。
この棲み分けが大事だ。
というのは、スポンサードされたコーナーなどは自分に嘘をつかないといけない部分がある。その嘘をつかなくなってしまった状況を誰の責任にするか?という問題は、ここは結局、営業の責任ということ。
もちろん、全ての案件がそういうわけにはいかないが、ラジオの営業側にいる人間は、その責任を負っていると自覚することが大事だ。
そのパーソナリティがやる意味、その人の個性、その番組でやる意味を考えること。
次のセクションにも繋がるが、
その個性がフリートークなどではオチがなくなってしまったり、違和感や放送上どうなのか?問題がある場合は、その個性を括って企画にするという方向もアリなんだと学んだ。
個性を括って企画にする
河田陽菜さんが、
「年上のリスナーにも若い人と同じように接したい」
「どうしても年上だと、気を遣って優しいことを言ってしまうけど、本音でお話をしたい」
という悩みを持っており、
それをしくじり先生内で実践してみる時に、河田さんが年上の人には若干、オーバーキル気味なアドバイスをして、最後に
「まぁ、頑張りましょう」
で締める場面。
それに対して、若林さんや平子さんが
「コーナーにしちゃえばいいんじゃない?」
「毒舌って最初に言っちゃえば受け入れられやすい」
という件があった。
なるほど、オーバーキル気味だから使えないと思うところも先に言っておけば良いだけだし、もっと言えば、その人の面白い個性を無くすというよりは発見したらどうしたらその個性を発揮させられるかを考え、企画にする。
アドバイスをスタッフができないといけないのでは。
これは全体的に思ったことなのだが、長年、ラジオをやっている若林さん、平子さん、澤部さんはおもしろを作りながら的確なアドバイスをする様子に一抹の悔しさを感じた。
その理由としては、やっぱりスタッフ側がこういう説得力のあるアドバイスをできるようにならなければいけないと思ったからだ。
ディレクションの質を上げるということ。
もちろん、そういう人もいるんだろうけど。
自分がここに至るには、ずっーーとこの自分のnoteで言っている、インプット。なんかもうインプットと書くのも恥ずかしくて嫌になる程だが、色々なラジオを聴くということはもちろん、
インプットの仕方として、
「ラジオを流し聴きするのではなく、"聴く"」
高橋弘樹さんがいうところの
「眺めるではなく、"観る"」と同じ
"聴く"とは、
ラジオを聴いて、なんで面白いのか?なんで面白くないのか?を考えながら聴くこと。
そして、それをアウトプットするところまでやる。これ。
書くのは簡単なんだよね笑
最後に
最近、テレビにおいて、ラジオを軸とした企画やそもそもラジオを映像にした企画が多いように感じる。これって時流として、なんでなんだろうか。
あとは、テレビはラジオを作れるけど、ラジオはテレビを作れないよなぁとか。
テレビ局が作るラジオ(音声コンテンツ)は増えてきたらやばいなという危機感。
例えば、
上出さんが作る「ハイパーハードボイルドグルメリポート」
最近だと、「あのと粗品の電電電波」
テレビというコンテンツが先にあるから、その強さも持ち合わせているし、
テレビは観てもらうにはどうしたらいいのか?ずっーと観てしまうコンテンツ作りをずっと考えてきただけに、
「観たい、聴きたいと思わせるコンテンツ作り」
に長けているよなと思ったり。
あーあ、危機感、危機感。
では。