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デリバリー古楽を振り返って。


コロナ禍下でいろいろな芸術活動が行われてきたと思います。

中でも最も広く展開されたのは、オンラインを通じての動画配信だったのではないでしょうか?

ミュージシャンの星野源さんの「うちで踊ろう」が最高の例でした。配信するだけではなくて、コラボという呼びかけを通じて、聴き手を作り手に変える、素晴らしいアイディア。

クラシック界隈では、びわ湖ホールプロデュースオペラ『神々の黄昏』無観客公演の実施および無料ライブストリーミング配信も話題になりました。

一方で、私は、この動画配信の流れに乗り遅れました。

大きな理由は1つ。

ベルギーに帰国できなくなり、香川県の実家の居候。練習部屋も、自撮りする部屋もなかったのです。

日本を離れて13年以上たち、家族とはいえども価値観の違う集団。また東京経由だったがゆえに、2週間は部屋の外に出ないようにするなど、窮屈な思いをしました。

海外住まいの日本人で同じ体験をした人は、少なくないと思います。

* * *

そこで毎日、目にしたのはインターネットの動画の嵐。

コロナ禍をきっかけに次々とYouTuberが誕生し、彼らのチャンネル登録者数が増えているのを見て、危機感をおぼえました。

チャンネルどころか、動画の録音、編集もやったことがありません。

すぐに、ちょっと背伸びして良さげなマイクを買ってみて、階段の踊り場で自撮りをしてみましたが、どうしても音に満足がいきません。

「自分が感動しないクオリティーの音を世の中には出したくない」と思って悩んでいたその日、右手の小指を骨折。幸か不幸か、自分と向き合う時間ができました。

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ある日、知り合いに、「柴田さんも何か演奏して動画アップしなよ。活動できなくて大変だろうし。みんなにシェアしておくから。」と言われました。

その一言に気が付きました。

日本では芸術を無料コンテンツとしてみている人がたくさんいる。

プロの演奏家として、アメリカとヨーロッパで経験を積んできた僕にとって、演奏するということ=謝礼をいただく、という感覚でした。だから、先ほどの言葉を日本で聞いたときに、ハッとしたのです。

例えば弁護士さんに、あることで困っているからといって相談するとしましょう。お金が発生するのは当たり前なので、「無料」相談受付中、というふうに表示します。

「無料」で動画が聴けます!というふうに広報している音楽家を、その時はあまり見ませんでした。オンラインに載せる音楽コンテンツは、無料で当たり前という感覚だったのかも。

ベルリンフィルや大きな音楽祭がPRの一環として動画を無料配信することは僕も理解できますが、個人でそれをするとなると、金銭的には折り合いは絶対につきません。

(最近は投げ銭、チケット購入などもできるようになり選択肢は増えたと思います)

一方で、僕はオンライン動画も素晴らしいと思っています。誰でもどこでもアクセスできる、コロナ禍では、無敵な存在。

ただ、あのとき、芸術が無料という形で、オンラインの媒体で溢れかえっている現状を見て、すごく苦しくなったのです。

同時に、コロナ禍で、演奏会が不要不急という言葉で延期や中止に追いやられるのを目の当たりにし、「芸術は果たして不要不急なものなのか」と世の中に問いかけたくなりました。

そんな中、生まれた発想が「デリバリー古楽」だったのです。

たった15分の演奏会ですが、そこではコロナ禍を生きる芸術家にとっての問題提起をすることができました。

はたしてオンラインはライヴにとってかわるのか?

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幸運なことに、「デリバリー古楽」は多くのメディアに紹介をしていただきました。NHKの全国ニュースで、取り上げられた時は多くの方に見たよと言ってもらいました。

単純に、「古楽」というワードがいろいろメディアに乗るきっかけになったのは、すごく嬉しかったです。スポーツ新聞に「古楽のデリバリー 」と大きく載ったときには流石に、にやけてしまいました。

また、イギリスのwebニュース「bachtrack」にも日本フィルの密を避けた演奏会、サントリーホールの動画配信などと並べて、コロナ禍下での芸術活動として「デリバリー古楽」取り上げてもらいました。(リンク参照)

想像以上の反響に、僕自身びっくりしていましたが、正直、腑に落ちない点もありました。

それは一部の人が「笠」がコンテンツとして扱い始めたことです。

デリバリー古楽のトレードマークとして、盛り上がりの決め手となった笠は、元々安全対策を行うためのもの。もちろん、香川ならではのお遍路笠という事で、各方面から注目を浴びました。

この笠、古楽どころかクラシック音楽に興味がない人にとっての導線として大きな役割をはたしてくれました。

一方で、一部の取材では笠を被った絵だけ撮りたい、と言われたこともありました。

安全対策のためにかぶった笠が、面白おかしいコンテンツとして扱われ始め、「生音を届けたい」「芸術の必要性を問いたい」という、この運動のメッセージが歪め始められたのです。

同業者には、「音楽家としての威厳はないのか?」とも言われました。

ちなみに、デリバリー古楽をオーダーしてくださった皆さん、ほとんどが、「もしも笠を脱げるんだったら、なしで演奏して欲しい」「窓全開にするから、一曲だけでも笠無しで吹いて欲しい」と言ってくださるお客様たちばかりでした。

僕の伝えたかったメッセージはお客さんには伝わっていたのです。

それが、2ヶ月間で30回以上にも及ぶ活動の原動力となったことは、いうまでもありません。

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演奏会というのは特別な空間です。

BGMではないので、演奏する側だけでなく、聴く側も能動的になります。聴き手がいて、初めて演奏会という芸術作品が完成します。

僕にとって、デリバリー古楽は社会運動であり、お金を稼ぐツールではありませんでした。

ベルギーの同僚に昔「お金というのはエネルギーの交換をあらわすもの」と言われたことがあります。

15分の演奏でもそこにかけたエネルギーに敬意を示し払う2000円。

一部の人からは安すぎるというご意見も頂きましたが、ボランティアではないことと、そして、コロナ禍だからこそいろいろな人に生音を届けたい、という気持ちで、この値段でやらせていただきました。

多くの人が動画配信を通じて、芸術の必要性を訴えたのと同じように、僕も笠を被り、文化・芸術の火を消さないように中国四国を走り回りました。

ベルギーに帰国する前に、都内での活動も考えましたが、感染が再燃してきたため全て延期にせざるをえなかったことが、唯一の心残りです。

* * *

コロナ禍でどうやって芸術をプロデュースしていくか、早速ですが、たかまつ国際古楽祭実行委員会の皆と一緒に実現しようと動いています。

最後になりましたが、お遍路笠フェイスシールドの向こう側にあった、芸術を守りたいという気持ちを理解してくださり、コロナ禍にサポートし続けてくださったお客様、メディアの皆様に、心の底から「ありがとう」と伝えたいです。



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