大江健三郎と純粋天皇
大江健三郎が死んだ
タブレットで訃報の文字列を認識した瞬間、胸部に何か刺さったような苦痛が生まれた
鈍い痛みのような感覚だった
いつかこういう日がくることは予感していたがショックであった
ただ88歳だし大往生といえるんじゃないだろうか?
また酒豪だったと伝えられているから長生きした方なのかもしれない
僕は大江健三郎のよい読者ではなかった
複雑かつ抽象的な構築物のような長編は結局読めなかった
読んだのは初期の短編のいくつかである
印象に残っているのは『セブンティーン』と『政治少年死す』
『セブンティーン』は文庫で簡単に読むことができたが『政治少年死す』は単行本に収録されなかったのでなかなか読めなかったといいたいところだが、『政治少年死す』は紙の本が出回っていなかったお陰でネットに無断でアップされていて、全文読むことができた
伝え聞くところによれば大江は『政治少年死す』を評価してないようで(風流夢譚事件や右翼の脅迫などいろいろあったので)、上記のような事態は大江にとっては嫌なことだったかもしれない
ただそれやこれやのことは別として『政治少年死す』は凄い小説である
大江は『政治少年死す』に関して自分の中にない人物を造形してみたといっている
ただ作者がいうことを文字通りに受け取るのは禁物である
大江といえば戦後民主主義というのが決り文句だが、そんな簡単に割り切れるような人物だったのだろうか?
そして『政治少年死す』はただ単に右翼をコケにしただけの小説だったろうか?
そんなことはない
むしろこの小説を読めば大江健三郎って実は右翼なんじゃないのって思うに違いない
それくらい迫力があり真に迫っている
だから右翼の人にこそこの小説を読んで欲しい
僕が『政治少年死す』を読んでわかったのは政治と性は直結しており天皇崇拝は猛烈なリビドーの発露だということである
僕は天皇崇拝というものがわからない人間だが日本人の天皇への思いの根底に性欲(エロス)があることは間違いない
でなきゃ天皇崇拝にまつわるあの狂ったような種々の行動の数々は説明できない
性エネルギーの最大の特徴は無意味な熱狂である
『政治少年死す』の主人公は巨大な太陽のような純粋天皇に激しく欲情し気違いじみたオーガズムの中で純粋天皇と一体になりその幻影の中に消尽していく
三島由紀夫が『政治少年死す』を読んだかどうかしらないがもし読んでいたら、あ、やられたと思ったに違いない
というのは『政治少年死す』の主人公は山口二矢がモデルだといわれているが、むしろ本当のモデルは三島由紀夫であろうから
大江健三郎は天皇崇拝の根底に性があることを暴いたために右翼を激怒させた
でもそれは図星だったのである
そして9年後の三島事件の根底にあるのも性なのである
ネット上は既に左翼が死にやがった反日が死にやがったという声で溢れかえっている
確かに大江は憎まれていた
保守も大江を憎んでいた
あんな奴にノーベル賞なんかやりやがって
挙句の果てにはノーベル賞まで憎みだすありさまだ
ただ彼らは大江の創造物の一つに過ぎないように思う
彼らは創造者だった大江の手のひらの上で踊らされているに過ぎない
ま、あまり適当なことを書くと研究者に怒られそうなのでこのあたりで筆を置くことにしたい