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ブルックナーというアポリア
ブルックナープロブレム
まあブル忌だったわけですね
最近、ブルの第三(通称ワーグナー)の第一稿が某サイトにあがっているのを聴いてその素晴らしさに、かなりびっくりしまして、検索窓にBruckner original version first 等と入れて聴き漁っておりました
いわゆるブルックナー問題といわれる版の問題がありまして、ただ僕はあまり気にしてませんでした
ただ今回聴いた第三はワーグナー交響曲といわれるだけあって、ワーグナーっぽい旋律が一瞬、入ってたりするんですね
最初のバージョンだと
ただそれ以前に、それまで初稿以降の版を聴き慣れていた人なら違いがはっきりわかると思います
初っ端から何かが違います
何か過剰な感じ、不安定な感じ、生々しい感じ、制御できない力が今にも爆発しそうな不穏な感じがあります
まあ演奏の良さもたぶんにあるんでしょうけど、これが原初の姿だったのかと思わせるものがありました
ただそれでもかなり手は入ってるわけです
ブルックナーがよしこれで完成だとした本当の最初のバージョンは恐らくこの世にはないんでしょうね
ただ第三に関しては最初のバージョンが残っていたのか?
例によって詳しいことは知りません
強迫性障害と敬虔なブルックナー
ケン・ラッセルはミスター・ビーンのような人物としてブルックナーを描いている
ブルックナーという人物を考えるにあたって最も重要なことはなんでしょうか?
それは彼が19世紀ヨーロッパの人物であったということです
今の視点で見たらダメだよということです
例えばブルックナーと同時代人だった西郷隆盛を現代に連れてきたら、いろいろな病名がつけられると思います
ADHDとかアスペルガー障害とか双極性障害とか自己愛性パーソナリティー障害とか
それはナンセンスです
これはひとえにわたしたちが既に心理学化された世界に住んでいて、そういう観点でしか人間を見れなくなっているからです
マーラーはフロイトの精神分析を受けました
そしてどこまで本当かわかりませんが次のようにいわれたそうです
あなたの症状を治すことはできますが、その結果としてあなたは作曲能力を失いますよ
ブルックナーの異常行動が現れたのは1860年代で、この時代にはまだ無意識を分析するタイプの心理療法はありませんでした
ブルックナーが受けた治療は体操や氷の浴槽に入れられる等の肉体的なものでした
ちなみにブルックナーの物の数を数えずにはいられないという行動は交響曲の作曲を始めた数年後から現れているようです
ブルックナーの独特な求婚のスタイル、死体に対する関心、身だしなみに対する無関心、そして強迫行動、これらのことを何故、わたしたちは知っているのでしょうか?
それはそれらの行動をブルックナーが隠さなかったからです
そして当時の社会もそれらの行動を風変わりではあるが、別に異常というほどではないと受け止めていました
笑い話にしたり揶揄したりはしていましたが、違法なこととは考えていなかったのです
つまり異常=違法=悪と考える現代とは違う時代だったのです
ブルックナーは敬虔なカトリック信者でした
ただこれもよく考えないといけません
当時の社会を
現代のわたしたちが考える宗教というのは、いろいろある宗教の中から自分が好きな宗教を選べるわけです
19世紀のヨーロッパでは、あるいは現代でもそうかもしれませんが宗教を自由に選択することはできません
あるいはその必要性がなかった時代です
宗教=キリスト教という世界です
カトリックとプロテスタントという違いはあっても世界が一つの教えで塗り込められているという状況を想像するのは難しいことです
その社会で宗教を信じないということは事実上、不可能でした
無神論の疑いがあるというだけで排斥されるような時代です
宗教を信じないことは人権を完全に失うことと同じことだったのです
ブルックナーはそのような世界において敬虔であったということなんです
19世紀は絶対的だった信仰がかなり揺らいできた時代だといわれます
ただわたしたちはその具体的内実を知らないのです
そしてブルックナーがどうのような態度で神に相対していたかも知らないのです
同様にニーチェがどのように神に相対していたかも知らないし、ダーウィンがどうのように神に相対していたかも知らないのです