これまでのあらすじ 「音楽編」
手がけているもの🌈
WCDA (Will Cinderella Dance Again)
邦楽・洋楽・アニメ・サントラをダンスヴァージョンに
「DJがクラブでかけられるようにしたい」と始めました。
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VIRGOTECH 「SFをテーマにこれからのトラックを」
ハウスとSFが好きなので、フロアでかけられる範疇での、前衛かつ実験的なハウストラックを追求します。
シーンにないテクノ・アンビエントのミクスチャーハウスで他のDJと被りません。今後のリリースでチルからアッパーまでカバーします。
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TOKYO PRIDE ANTHEM DJミックスを公開
mixcloudにてクラブムーブメントから今日まで、シーンを彩った名曲を集めたDJミックスを公開しています。所謂、クラブカルチャーのアーカイブ化で、LGBTプライドという人権運動のパーティがコンセプトです。
グローバル エレクトロ ポップチャートで一位となりました。
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これらは、日本のクラブカルチャーを支えて来られたシーンの皆様による力です。
自己紹介🌈
洋楽派少年が兄弟の影響でディスコに傾倒、中~高校ではディスコに通いつつ、マルチトラックレコーダー(カセット)で12インチレコードの曲同士をつなぎDJミックスを作って兄弟に渡していました。
クリエーションに対する親の理解から美術系へ進学。90年代はスマホやデジカメなども無く、学校の授業ではMacintoshにて初期のイラストレーターを触りつつ(白黒画面!)、抽象的なアートよりアナログ/エアブラシでの写実的描写に夢中でした。
デザイナーアシスタントとDJ
上京し、芝浦GOLD(1989~1995)で知り合ったアイドルのスタイリストを通じ、デザイン事務所でアシスタント職に就きました。
CDのブックレットなど、音楽関係の案件が多い事務所で、各レコード会社を周り、営業や色校正などの他、デザイン補助を任されていました。
TOKIOのデヴューシングルのジャケットデザインで背景美術制作にて参加するなど楽しい経験でした。代表は退職後も遊びや単発の仕事の連絡をくださいました。
並行して、DJバーでDJをスタート。
1992年 サンプラー ENSONIQ ASR-10発売、MD発売がDJにもたらした事
今でこそ当たり前のようにDAW付属のサンプラーも当時は機材。ピッチを変えずにテンポだけを変える「タイムストレッチ機能」なども先進の機能だったのです。
ちなみに30秒の音を二倍ぐらいに引き伸ばすと、クオリティにもよりますが三日ぐらいかかりました 😱
早速購入してみると無限の可能性が。夢見ていた世界が近づいたとばかり、ハウスレコードや邦楽をサンプリングし、楽曲やリミックス制作をしていました。
※オプションやメモリをつけると50万円ぐらいになってしまい…
1992年 DENON / DN-2000F発売、CDJ 300発売、SONY MDS-101発売
1993年 MD 74分ディスク発売 (初代は1992)
1994年 Pioneer CDJ-500発売 (初代は1992)
9.6万円でMDプレイヤー(SONY MDS-101)が発売されました。当時は家庭でCDを焼けず、作った曲をクラブでかける手段はカセットテープかDATしかありませんでした。スタジオで一枚8000円ほど出しようやくオリジナルのCDが出来た頃です。
そんな時代に、機敏に頭出し / プレイの出来る高音質のメディアが誕生しました。これが何を意味するか?
自分で作った楽曲のテンポを揺らさずに(重要)、高音質のままクラブで再生出来るようになったのです。
必然的に、私はMDに入った自作曲のBPMに、現在フロアでかかっている曲のBPMを(お客さんに悟られぬよう)合わせてつなぐという、誰もやっていないプレイ法を身に付けました。
92年 にようやくテンポチェンジとピッチベンドを備えたCDプレイヤー、DENON / DN-2000Fが、94年 Pioneerより初代 CDJ-500が発売されました。
(初代とありますが、海外ではその前身となるCDJ 300があるようで。国内初という事なのでしょうか)
現場には普及していなかったので、MDは大活躍しました。例えば、GOLDのTHE PRIVATE PARTYにてDJ Nao Nakamura氏がかけた私のリミックス「Donna Summer - Love About To Change My Heart」も当初はMDだったのです。
※DENON DN-2000Fは、DJ SHINKAWA氏が企画から参加していたBar Delightにすぐ導入されていました
DJ NAO NAKAMURA氏、ゴールドラッシュ / 加藤氏、In Action / Monty Raymond氏、アキ企画 / 川口氏との出会い
プレイしていたDJバーに、DJのNAO NAKAMURA氏が遊びに来た事から交流が始まります。渡したリミックスがパーティでかかったり、DJ・クラブカルチャーマガジン「LOUD」誌のレビューにも載るようになった事で、非公式のリミックスにも新たな機会が。また、中村氏のパーティにブッキングいただくなどDJも増えました。
中村氏はダンスミュージックの美を、川口氏(昭美・あきよしさん)やユキさんは、パーティやクラブへの審美眼を与えてくれました。
(画像は、LOUD誌に掲載された私の非公式リミックスへのレビューと、それについての質問)
DJ的には、新宿二丁目の伝説のハウス箱「Bar Delight」や、DJ Bar「 Dragon」「Ban Ban」「Inner Ring / パーティとは別の実店舗」など。GOLDの加藤氏 / ユキさんを通じ、単発で芝浦GOLDのTHE PRIVATE PARTYでプレイ。In ActionのMonty Raymond氏が手掛けたパーティ「Inner Ring」にて(Speak Easy / Yellow / On Air West)レギュラーでした。
皆さんご存知の吉田氏は、当時ジュリアナ、O'BAR 2218、GOLDと芝浦御三家の店長を務められた方で、こうして見ると芝浦はLGBT的に護られていたのです。
1994年Bar Delight開店、
1995年 芝浦GOLD閉店、
1997年12月31日 Bar Delight閉店、
Korg初のデジタルレコーダー D8発売、
2000年 Power Mac G4 Dual 450発売、
97年のD8ぐらいでやっと一般DTMユーザーもデジタルマルチトラックレコーディング環境が整うように。
同時に、このあたりが音楽制作におけるハードウェアからソフトウェアへの過渡期となりました。
Macユーザーでしたが、2000年のG4 Dualぐらいからモトローラ社によるG4開発スケジュールは難航し、スペックが伸びなくなりWindowsに移行。
AMD Athlon XPのマルチプロセッサは圧倒的で、CPUを二台載せて使ってました。
DTMは処理能力を必要とするのです。
2002年 Mr. President - Love, Sex & Sunshine
公式リミックス
ソニーミュージックエンタテイメント株式会社のMr. President - Love, Sex & Sunshineのリミックスを手掛けました。DJ M*NARUSE氏によるご紹介。
当時、2ヴァージョンが収録された12インチレコードは、各コーラスパートのコードが一小節だけ違います。
都内輸入レコード店「CISCO」出版部との契約
DJ NAO NAKAMURA氏と交流のあったDJ ATT氏が、勤め先である都内輸入レコード店「CISCO RECORDS」の企画会議にて、私のリミックス作品をカバーアルバム企画として提案してくれた事がきっかけで、それを同店長より制作に異動された石井氏が引き継ぎ契約となりました。
邦楽・洋楽をダンスカバーするアルバムの制作に入ります。
(正式名称は、株式会社サウンドスケープ)
石井氏は、中村氏同様「LOUD」誌にディスクレビューを掲載していた方で、このようにクラブ関係者はどこかでつながっています。
クラブシーンで歌っていたシンガー達、ハスキーでソウルフルなDIVA系のAWA氏、星野昭代氏(後に中森明菜氏にそっくりな生森明菜氏)などとの出会い、協力のもとレコーディングは進みます。
(それ以外では、伊東氏、男性ヴォーカルはトンガ氏など)
WCDAは当初29氏との連名ユニット
29氏は、ハードハウス全盛期にオープンした新宿二丁目の伝説のクラブ「Bar Delight」にてライティングやDJを務めた方で、WCDAの前身ユニットのフロントマンでした。ユニット名称も現在のWCDAではなく、「南風」「Death by Chocolates」の二案がありました。
私は理詰めタイプなので、ほんわかと人当たりが良くスマートな彼が必要だったのです。一緒に活動してみると、スタジオ勤務経験のある彼のアドバイスは的確で、何度も助けられました。残念ながらレコーディング途中にしてシスコは閉店となり、代わりに私は原盤権を手にする事になります。
2009年 「WCDA」デビュー、
ダンスミュージックプロデューサーへ
BOUNDEE / スペースシャワーミュージック株式会社(現SPACE SHOWER FUGA)に企画書を提出、審査を経てサイン出来ました(アグリゲーターとして配信を委託)。ここでシスコの音源達のリリースを開始、それまでの時間でアニメソングのカバー作品なども新たに準備が出来ていました。
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61のシングル・アルバムをリリース
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「VIRGOTECH」トラックメイカーとしての道
元々ハウス箱に通い詰めていた私は、ガラージからハードハウスへ、プログレッシブハウスからディープ・テックハウス、アンビエントへと傾倒してゆきました。
ポップ色の強いWCDAの他に、ハウス・ミュージックトラックを手掛けるチャンネルが必要となり立ち上げたのがVIRGOTECHです。こちらではSFをテーマに、アンビエントかつテック・ディープな、これまでシーンにないタイプの前衛的ハウストラックをプロデュース。
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NYのレーベルDubset Mediaから
Lady Gagaのリミックスを
NYのレーベルDubset Mediaに参加し、メジャーレーベル楽曲のリミックスを手掛けました。(Apple Music / Spotify限定配信)
※“Unofficial Remix(非公式)”とありますが、各レコード会社が提携・承認を経た上での合法的な配信です。
・Lady Gaga - Shallow
・Wham - Freedom
・Alphaville - Dance With Me
・Donna Summer - Loves About To Change My Heart
・The Zombies - This Will Be Our Year
Dubset Mediaはスタートアップ買収後、配信部門が停止された為現在は視聴出来ませんが、ShazamやApple Music上には記録が残っています。
いま思えば、あれは音楽の利用形態を次世代にシフトするような試みで素晴らしいサービスでした。このサービスがその後どうなったかはいつか。
タイトルが可愛いかったのでTシャツにしました🌈
おやつや機材を購入します😊