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オリンピックが神聖を取り戻す時

オリンピック関係の醜聞が日々流れているが、開催の是非はさておき、根幹となる五輪憲章に対し日本のあらゆる悪い面が吹き出したように思う。オリンピックがまるで禊のようだ。

政権は、五年かけて税金を投入し進めたLGBT理解増進法という人権問題を、成立目標としたオリンピックを直前に自ら放り投げた。あやふやな家族や保守の定義、伝統をご都合主義の言い訳に使う様を見ていると、ある結論に達してしまう。
オリンピックが呪われてるのではなく、日本の人権意識の低さを五輪憲章が証明しただけだけだ。いまやスポンサーまでもが選手や観覧する児童を置き去りに逃げ出す末期状態の中、全てを懸けて来た選手達の競技の瞬間だけが真実であり、直向きな彼らの不憫さが際立つ。

しかし、元々オリンピックは神々に捧げた祭事で観客は神々である。表層を繕ってもスピリットのない利権屋は露呈し、五輪憲章に反する輩が居なくなるのも、日本で言えば神社の人払いと同じではないか。オリンピックがこんな形で本来の神聖さを取り戻したのは非常に皮肉である。

世相についてゆけない人間が舵を取り、また保身の為に加害者を尽く守ろうとした印象は残ったがその沙汰は下るだろう。一頻り憤慨したいま、自分は選手達だけにフォーカスしたい。


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