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なおちゃんといっしょ PART1

今日は我らが 中村直こと DJ NAO NAKAMURAについて考えたいと思う。俺らが直ちゃんだと思っているものの正体は何なのか。それは今となっては星のかけらでしかなく、それらを皆で拾い集めてお馴染みの曲を年代別に分け振り返ってみると意外なものが見えて来た。

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まず、THE SAINTの他のDJ達のプレイを聴いてみると、直ちゃんを基に自分が想像していたSAINTとは結構違っていた。彼らはやはり米国の白人ディスコDJ的で、比較する事で初めて直ちゃんは繊細で、テイストはやはり日本のディスコ出身とも言える。また、DJプレイにおいて感動の軸は色々あるが、より情感的というか、包容力があり、ヴォーカルは歌詞を考えて深く上品にまとめるのが得意な事に気づく。
つまり、自分が行った事もないTHE SAINTに憧れ、セイント セイント言ってた正体は中村直だったのだ。感じたところでは、英語が母国語のDJ達もノリを作って纏めて形にする構成力は確かにあって上手いし、直ちゃんがかけないセイントのヒットもある。MIXCLOUDなどの音源を参考に機会があれば是非聴き比べしてみて欲しい。
というか、どう思うか感想聴かせてちょ。

補足
※皆が思うキラキラやヴォーカルものは彼の一部でしかなく、プレイの幅はこうだと言い切れるほど狭くない。しかしヴォーカルパートに対して言えば時に内省的であり、純愛ストーリーに加え、悩み苦しみと人生の喜び的なスパークとのコントラストの深さ、そして根底には心が、友愛がある

※“日本のディスコ的”でありながらそうではない理由の一つが、キリスト教など信仰的表現を理解した視点がある事

★セイントのラストナンバーとなったJimmy Ruffin - Hold On To My Loveのエクステンデッドを見つけました


時系列で見るNAO NAKAMURA

さて次は、多くのDJがその影響を受け東京では伝説となった彼の選曲、皆がこれぞ直ちゃんだと思う芸を確立させたのはいつ頃なのかを彼のアンセムから紐解いててみよう。(THE SAINT時代は割愛・加筆するかも)

■1994年
Li Kwan – I Need A Man
Livin' Joy – Dreamer
Junior Vasquez Meets Fire Island – Get Your Hands Off My Man

■1995年

Saint Etienne - He's On The Phone
Kim Wilde - Heaven (Matt Darey 12")
Richard Traviss - Come And Rescue Me

■1996年

Pet Shop Boys - Somewhere

■1997年
Love Shine a Light - Katrina and The Waves
Dannii Minogue - Disremembrance
Jon Secada - Too Late Too Soon
Erasure - Oh l'amour (Matt Darey Mix)


■1999年
Jonathan Pierce - We Live
Jonathan Peters pres Luminaire - Flower Duet '99
You Needed Me - Boyzone

■2001年
Hear'say - The Way To Your Love

■2002年
Fragma ‎– Embrace Me

■2003年
Simply Red - You Make Me Feel Brand New

■2007年
BWO* ‎– The Destiny Of Love

■2008年
Brian Kent - Breathe Life
The Killers - Human

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成熟、そして伝統芸能化

実際、DJは今を紡いでゆく訳で、皆が思う直ちゃんのイメージが昔なだけで彼自身はビッグルームと呼ばれるジャンルからもピックしていた。
それを念頭に考えて欲しいのだが、ハードハウスと共に94~5年頃には既にあの型が出来上がっていたと思われ、Junior VasquezからJonathan Petersに移った頃には急速にシーンのBPMが速くなり(BPM120台だったハウスが130~140ですよ!)、ユーロダンスシーンにおいても97年の豊作、99年のFlower DuetやWe Liveあたりで成熟した感が。これはDJ SAWAさんとのパーティ『CLUB LOVELY』の歴史ともリンクしている。

個人的に、2003年のSimply Red - You Make Me Feel Brand Newの時点 でもう生産ピークは過ぎていて「今もこんな(情緒があってBPMが速い)リミックスあるの?」と思ったものだが、そんな中でも2008年のBreathe Lifeなど、直ちゃんらしい曲をいつも見つけていた。
そして、直ちゃんライブラリとは、彼の周りが「これは!」と持ち寄る曲も含まれ、(The Killers - Humanなどもそう)中村直とはクラブシーンを支えるみんなの集合知的側面を持っていた事も忘れずに書いておきたい。

みんなの集合知のアーカイブ化

近年のLGBTQへの理解に伴い、80年代の同性愛差別やHIVパニックの中培われた、THE SAINTの “シリアス ダンス クラブ” と呼ばれたクラブのシェルター文化もその役目を終えつつあり、それは直ちゃんが去った事で加速している気がする。そういう溢れゆく財産・集合知をアーカイブする目的で俺が始めたDJミックスが『TOKYO PRIDE ANTHEM』です。ライブラリの拡充は現在のリリースも含むので、これからの話でもあり。

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あとがきっぽいもの -青春の輝きとリグレット-

直ちゃんが帰国しプレイし始めた頃、よく感想を訊かれたのを思い出す。THE SAINTがGOLDに来た事に感激していたが、時代はハウスでハードハウス全盛前夜である。思い切って「深夜二時からではセイントタイムは早すぎる」と正直に意見した。
セイント色が濃かった直ちゃんはすぐ察して、あっという間にその後のシーンを乗りこなし活躍していった。天才にはその後、営業後呼び止められ感想を求められるようになった。

俺は、(自分が理解・分析出来ており、発言のフォローが出来る範囲で)人が遠慮して言わない事を敢えて言う時があって、初対面の人との距離を縮める為に踏み込んで意見する事も多い。その方がその後の関係が豊かになるから。
それはKYとは違うし、KYと指をさされる事を恐れて肝心な事も言えないのは、人生において本末転倒で、そんなものを大人や処世術とは呼ばないと考えている。その点、率直に伝え合える俺と直ちゃんは非常に気が合った。
と同時に、それまで漠然と好きだったダンスミュージックに方向性を持たせてくれたのが直ちゃんで、自分のリミックスを渡し、「タメキチは打てば響くから笑」と言われるようになっても、若い頃は「なぜ雲の上の人が自分を買ってくれてるのか?」と、どこか弁えるようにしていたと思う。

そして……晩年の直ちゃんにはもう意見しなかった。あのプレイは既に日本のゲイクラブシーンのスタイルの一つとなり、彼が伝統芸能のコアとなったから。昔は自分が子供だったから言ったのかも、とすら思えた。でも、どこかでスパンの短いプレイに変えた方が良いかもなと感じていた(小箱などで)。なぜなら、2010年ぐらい?からビルボードチャートにあるような曲はどんどん短くなり、それはリスナーやお客さんにも影響するから。
今の楽曲の再生時間とExtended Versionを、そのINTRO・OUTROの短さを見れば、シーンやDJスタイルが変わった事が分かる。やはり時代も変わったのだ。言わなかった後悔と、言わずにあの輝く星をただ支える一人で良かった、と思う自分が今もいる。
おわり

▼浜崎あゆみさんと歌ってるTimさんとの曲を直ちゃんがリミックス

▼架空のアイドルが歌うセンチメンタルな歌謡ディスコを、直ちゃんも好きだったMatt Popと、Katy Perryのリミックスなどを手掛けるプロデューサーチーム・Manhattan CliqueのPhilip Larsenがリミックス

『次回はTAMEKICHIが中村家の女中だった時代のお話』





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