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推し(小林賢太郎)、燃ゆ

推しが炎上した。ホロコーストのコントを作ったかららしい。



朝、推しを語り合うチャットが騒がしくなっていた。悪い予感を抱きながら開くと、20年前のコントが掘り起こされて炎上し、2日後に迫るオリンピックの開会式プロデューサーから解任されたと知った。

当惑した。

今まで会長やら音楽家やらが炎上した時は、「なんてやつだ。当然の報いだ」と唾棄していたのに、いざ自分の推しとなるとこんなにも戸惑うのか、と自分の二面性にも戸惑った。

チャットの通知は100件、200件と増えていったが怖くて開けなかった。いろんな感情が入り乱れて、知らない自分になりそうで、蓋をした。

しかし、少しずつ本人や関係者のコメントを読み、夜中になってようやく感情の整理がついてきた。

人生ではじめて推しが燃えて私が感じたのは何だったのか。

仕方ない、悲しい、怖い、だ。


仕方ない。

問題になったコントを、私は6年前に見た。ホロコーストをネタにするのなんて、外国人が観たらアウトだなとヒヤヒヤしながら見た。

「20年も前」「ホロコーストを肯定しているんじゃなくて、ホロコーストをネタにしようとしているやばい奴を描いたコント」「わざわざ違法アップロードかビデオテープを探さないと見られない、ファンの間でも忘れ去られたネタ」

言い訳はたくさん言いたくなったが、ホロコーストがタブーなのは事実だし、内輪では「ブラックすぎる例のアレ」として黙殺するだけで済んでも、一旦漏れ出て誰かを傷つけてしまったなら、それはアウトだ。

国際的な祭典での役職を解任されるのは当然の結果で、仕方がない。


悲しい

今回の本人のコメントに「その後自分でも良くないと思い、考えを改め、人を傷つけない笑いを目指すようになっていきました」とあって、首がもげるまで頷きたくなった。

私が小林賢太郎を好きになったのは、人を傷つけない笑いを作る人だからだった。

容姿や無能さに言葉や暴力でツッコミを入れて笑いを取ろうとする日本のお笑いのなかで、彼のシュールさや言葉遊びや想像力に富んだコントは、輝いて見えた。

それなのに、だ。彼のキャリアの初期の、その後の姿勢とは正反対の一作品だけが広まり、批判されることがものすごく悲しい。

あれが小林賢太郎という素晴らしいアーティストの、世界的な第一印象になってしまうのが悲しい。

違うんだよ、全く逆なんだよ、って声を大にして言っても、たぶんもう届かない。


怖い

今まで勇気を出して言った「小林賢太郎が好きなんだよね」に対する返事の九割九分は「誰それ?」だった。

だから、一人で大事に大事に心にしまっておいた宝物。天才クリエイターに対して失礼千万だけど、それが私にとっての小林賢太郎だった。

なのに突然、世間からの批判の対象になった。ツイッター、テレビ、新聞、あらゆる画面に私の宝物が写っていて、その急激さが怖かった。

確かにあれが批判されるのは当然だけど、彼の人間性やほかの作品まで否定され始めると、小林賢太郎の何がわかるんだ、と憤った。

人間は多面的なはずだ。時間的にも横幅的にも。生まれた時から、沢山の失敗や経験をして今の自分になっている。今の自分も固定ではなくて、短所長所が入り乱れ、TPOに合わせて変化もする。

なのに「炎上」では、そのうち一点だけが拡散増幅してしまう。

今までだって沢山の炎上を見てきたけど、その多面性をある程度知っている「推し」という存在が燃えて、初めてイメージが固定化されていく「炎上」の怖さを知った。



これらの私の感情は、たぶん時間とともに消えていくんだと思う。

今夜オリンピックが始まれば、小林賢太郎の名もすっかり夏の熱気の中に溶けていくだろう。


だからこれだけつらつら書いておいて、最後に私が願うのは1つだけ。

推しが元気でありますように。


あなたがいつまでも大好きです。












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