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ヌッチほどの歌手であればテノール以上に心に響くのはバリトンである

 テノールの非日常的な声を浴びるのは快感だが、バリトンにはある意味、テノール以上に抗しがたい魅力がある。

 とりわけヴェルディは、バリトンに重要な役を歌わせ、数々の珠玉のアリアを書いたが、それには理由がある。男性にとって無理がない音域であるバリトンは、父性愛とそれゆえの悩み、二つの立場のあいだで引き裂かれる感情など、人間の深奥を描くのにもっとも適した声種だからである。すぐれた歌手を得ると、バリトンの歌にこそ聴き手の涙腺が刺激されることに気づかされる。

 いうまでもないが、すぐれたバリトンの最右翼がレオ・ヌッチである。オペラで、コンサートで、私自身どれほどヌッチの歌に心を、いや、魂を揺さぶられたことだろうか。艶やかで深い声に人間存在の光も影もすべて滲ませ、圧巻の響きで押し寄せるヌッチの表現には、常に有無をいわせぬ力があった。

 そして、いま80歳を超えたヌッチの歌は、過去のどんな歌手もなし得なかった深みを獲得している。

 ヌッチの声は50代、60代のころとくらべれば、衰えがないとはいえない。だが、卓越したテクニックと賢明な節制の賜物だろう、奇跡的なほどわずかな衰えしかない。そこに、年齢を重ねてはじめて得られる精神性や味わいが加わり、声力と深みが異次元の高さで両立している。それもまた、バリトンという無理がない声種だから起こりうる奇跡である。

 ヌッチは2010年代、東京で何度かリサイタルを開催した。そのたびに、トスティの歌曲は魂が込められた歌詞とともに胸に刺さった。ヴェルディのアリアは《リゴレット》も《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》も《仮面舞踏会》も、わずか数分の曲が心を動かす振り幅の大きさに驚かされた。常に一期一会と思わされる特別な時間の連続だった。

 2月の公演は、おそらくヌッチが日本で披露する最後の歌唱。ほんとうの一期一会となるだろう。どんな声種よりも最高のバリトンこそが涙腺を刺激する。ヌッチの声を浴びる幸福に欲した人はだれもが、そのことを強く実感するだろう。

香原斗志(オペラ評論家)