声楽教育
イタリアの声楽教育においては、技術の修練、つまり歌の基礎の構築がものすごく重要視されています。イタリア人の歌手の間で、正統の技術は何かという共通認識があると思っています。今は昔に比べて良い先生がいなくなったと言われていますが、ちゃんと教えてくださる先生はいらっしゃいます。「イタリア人は大雑把」というステレオタイプとは対照的に、基礎の修練に関しては徹底した指導がされているという印象です。
日本の歌の先生は、技術だけでなく、音楽的なことや解釈・表現に関しても指導されると思います。一方イタリアでは、技術を教えるのが声楽教師、音楽面・解釈・表現の面でサポートするのがピアニスト(コレペティ)、という棲み分けがされています。(少なくとも私の知っている環境においては)これが私にとって1番の驚きでしたが、シンプルで大好きです。
音楽院で大変お世話になった私の先生は「声楽教師の仕事は技術を伝えることだ」と言っていました。
もちろん、表現力に特化した歌の先生もいらっしゃいますし、私もそういう先生のマスタークラスを受けたこともあります。
今、私が師事している歌の先生との勉強は、母音唱法(vocalizzi)だけで1時間経ってしまいます。正しく母音を発音するための細かい作業です。まるでジムのパーソナルトレーニング、バレエのバーレッスンのようですね。
もちろん母音唱法だけしておけば良いわけではなく、オペラの役一本通して勉強したり、アリアの勉強をしたりと、レパートリーを磨く練習もしないといけないので、コレペティ(伴奏ピアニスト)とそうした勉強をすることが多いです。
歌の先生の前で曲を通して歌って、その時に気になったテクニックの問題を解決していくこともあります。
ただ、歌の技術は必要条件ではあるけれども絶対条件ではないのです。基礎となる歌唱技術を徹底して勉強する環境を整えることでさえ難しく、イタリアに来たからと行って解決するわけではないので、これまで素晴らしい先生に出会えたことを本当に幸運だと思っています。そんなこんなで私は技術の重要性をものすごく感じていますが、それと同等かそれ以上に大切なのは「人間」なのかもしれません。それを教えてくれる人も滅多にいないと思うので、歌手としての人間性というものを教えてくださった、日本でお世話になった先生にはものすごく感謝しています。だって、私に「殻を破りなさい」と言ってくれた人は先生しかいなかったんですもの!!大学生の私には殻を破ることがどういうことなのかよくわからなくて、色々考えを巡らせていましたが、大学3年生の時に辿り着いた答えは「自分を受け入れる」ということでした。なかなか難しいんですけどね。そこから自然と少しずつ自分の弱さと向き合えるようになってきましたが、きっと歌にとって大切な要素だと思っています。
....道は果てしなく続きます!