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やりがいなんてクソ喰らえ
こんにちは
久しぶりの投稿になります。
ちょっと前までは事あればツイッターでうんこなう程度のことをつぶやいていたのですが
最近はハイボール流し込んだ勢いでインスタのストーリーにしょーもないことを書いています。
(ストゼロ文学というらしいですね)
今日も脳みそファジーにしてストーリーに
くだらないこと書こうとしたのですが
ふと色々と思い出すことがあり
自慰スタグラム過ぎる量だったのでノートに書きます。
楽しみにしていたバーベキューでの出来事
僕の兄が知的障害者ということもあり
小学生の頃はよく兄と母と三人で障害を持つ子供が集う行事に参加していました。
小学生の時はみんな運動能力にも認知能力にもそんなに差が無くて
僕自身もバーベキューであったり、納会であったりいっぱい食べ物食べられるしなんかみんなで楽しそうだからという理由で行事に参加していました。
ある日参加したバーベキューで保護者に言われた一言が衝撃で、
僕にとってエポックメイキングなことが起きたのでした。
その日は楽しみにしていたバーベキュー。
みんな公園に親と一緒に集い、楽しい時間を過ごしました。
今となってはとても失礼な考えなのですが、僕はその時に
「ここにいる友達のみんなはきっとつらいし、人一倍動けそうな自分が頑張らなきゃ」と思い片付けの時に率先して行動していました。
なぜそんな気持ちが芽生えていたかというととある理由があります。
そのころ少年野球を始め、
バットにボールが当たらなかったり、足が遅かったり、
ボールを落としてしまったり、、、
「あ、俺ってこんなに運動音痴だったんだな」と知らされました。
その時に人それぞれの能力には差があるんだなと気づきました。
チームに成績で貢献できない分、声出しやボール拾いで貢献しようと
自分でできることをしていた時期でもありました。
その少年野球で培った精神をそのままバーベキューで実践していたのです。
親御さんからの一言で衝撃を受ける
周りの障害者の友達にはゆっくりしてていいよと声をかけ、せかせかと人一倍片づけをしていた時にある親御さんからこう声をかけられました。
「本人も片づけをしたい思っているから頑張りすぎずにやらせてあげてね」
僕はハッとします。
片付けは確かに面倒くさいし、できればやりたくない。これはみんなが思うことには違いは無いと思うのですが
「誰かの役に立ちたい」
という気持ちを削いでいたことにその時気付いたのです。
みんな能力の差があったり、できることは人それぞれ違うけれども、みんな共通して持てる認識があり、それは人の役に立ちたいという気持ち。生きる意味、はたらくやりがいはそこにつながってくるのではないかと思ったのです。
僕は自分の生きざまを美化するわけでもないのですが現在に至るまで働くことの根底にこの思いがあります。
しかし僕がとてもポンコツだなぁと自分自身に思うことは
何かのタイミングでやりがいを聞かれたときにとっさにこのエピソードを思い出せず、その場しのぎで薄っぺらいことを答えてしまうのです。その時出してしまったウンコみたいなやりがいなんてクソくらえなわけです。
だからそういった意味でも忘れないためにnoteに書きました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
もし時間があるときに皆様のやりがいお聞かせください。
ではでは~。