「個人が飛行機で自由に移動できる未来をつくる」OpenSkyを創業した理由 - 本多重人
車のように、個人が飛行機で自由に移動できる未来── 株式会社OpenSky(オープンスカイ)代表・本多重人は、自社のプライベートジェットサービスを通して、本気でそんな未来を実現しようとしています。
幼い頃から空に魅せられ、大学生のときに曲技飛行のパイロットに。北米と欧州でのパイロットとしての経験を経て、OpenSkyを立ち上げた背景には、どのような道のりがあったのでしょうか。
本記事では、そんな本多の人生を遡り、空や航空業界に対する思いについて、詳しく話を聞きました。
(以下、本多重人)
ジブリ映画を観て抱いた「自由に空を飛びたい」という思い
幼稚園の頃から、「飛行機に乗りたい」「パイロットになりたい」とは、ずっと思っていました。でも、どうしてそう思うようになったかは、自分でもあまりよくわかっていません。親族にも航空関係の仕事をしている人はいませんでしたから。
考えられる理由としては、当時よく見ていた『風の谷のナウシカ』や『紅の豚』といったジブリ映画でしょうか。空を飛び回る彼らをみて、「なんだか楽しそう」と憧れたんだと思います。
その影響からか、エアラインのような決まった日に決まった場所へ飛ぶ仕事よりも、「自由に飛ぶ仕事に就きたい」と子供ながらに考えていましたね。
物心がついた頃から「自由に飛べる仕事ってなんだろう」と本格的に探すようになるのですが、そうして調べるうちに見つけたのが、曲技飛行だったんです。
曲技飛行は、1km四方の空域内で、技を披露するスポーツで、審査員が採点項目に沿って評価を行い、その点数で競います。地上の競技でいうと、フィギュアスケートに近いですね。
アクロバティックに空を舞う機体が、僕の目にはとても魅力的にうつり、見つけた瞬間から「曲技飛行のパイロットになりたい」と思うようになりました。
夢に近づくため、手探りで渡米した大学生の夏
「やってみたい」と思ったものの、当時は、曲技飛行をやっている日本人がいませんでした。なので調べても、日本語での情報がなく、当時英語で調べる発想がなかった私は、どうすれば曲技飛行ができるのか、知ることができなかったんですね。
「それならとりあえず、日本でパイロットになるための一般的なルートのひとつである4年制大学に通おう」ということで、地元にある東北大学の航空工学科に入学し、同時にグライダー部にも入部しました。
部活と同じ場所で、社会人チームも活動していたのですが、ある日思い切ってそのチームのひとりに、「曲技飛行をやりたいんですが、どうすればいいですか」と聞いてみたんです。
そしたら「アメリカのフライトスクールに行って、飛行機とグライダーの免許をとってきたら」と助言をいただいて。その言葉を頼りに、大学1年生の夏休みを使って、アメリカに渡りました。
アメリカでの生活で印象的だったのは、日常的に飛行機が使われていたこと。アメリカでは、個人が車と同じ感覚で、飛行機を持っていて、飛行機で通勤したり、週末に出かけたりするんです。飛行機の使われ方が日本とまったく違っていて、そのことにとても衝撃を受けましたね。
あとは、英語が上達したことでしょうか。最初は、生徒を受け入れてくれるホームステイ先に滞在していたのですが、その後は現地の方と一軒家をシェアしていたんです。
それもあってか英語がかなりスムーズに読めるようになり、曲技飛行に関する情報がどんどん収集できたんですね。滞在期間中に免許に加え、曲技飛行のパイロットになるための方法や学ぶべき内容を知ることができたのは、私にとって大きな収穫でした。
曲技飛行の世界一を目指し、アメリカ、そしてフランスへ
帰国後は大学に行きながら、アルバイトで次の渡航費やスクール代を貯めていました。その後はカリフォルニアの曲技飛行専門学校に行き、世界選手権で1位を獲ることを目標に、大会に出場するなど、日本とアメリカの往復を年に3回ほどしていましたね。
一方で、過去の世界選手権をみてみると、アメリカの成績はよくて3位で、優勝はフランスやロシアが獲っていたんです。当時、私にはその理由がわからなかったのですが、「このままアメリカにいても1位はとれなさそうだ」ということで、練習をはじめて3年が経つ頃、フランスに拠点を移しました。
渡仏してみると、フランスとアメリカには、かなりの違いがありましたね。特に異なったのが、基礎を深く追求される点。例えば大会では、「この技は何G(G-force: 地球は1Gの重力)までしか使えない」といった規定があり、無駄な動きや規定をオーバーすると、減点や失格になったりするんです。
アメリカの場合、そういったパイロットの技量の向上を目的とした規定がないので、あまり基礎を理解せずに成長できてしまうんですね。だから、高いレベルでの試合において、基礎の部分で差が生まれてしまう。
そんな違いもあって、フランスでは、アメリカで学んでいたことを一旦忘れて、ゼロから学び直しました。結果、そこで学んだ基礎が全仏選手権での優勝に繋がりましたし、今振り返ってもあの判断をして良かったと思いますね。
「もっと社会のためになる時間の使い方はないのか」選んだのは曲技飛行のパイロットではない道
大学生活の多くを曲技飛行に捧げ、念願だった世界選手権での優勝への道筋がある程度見えてきたころから「もっと社会のためになる時間の使い方はないのか」と悶々と考えるようになりました。
というのも、曲技飛行はマイナーがゆえにその道を極めたとしても、野球やサッカーのように社会にポジティブな影響を大きく与えるものではなく、それが頭の片隅にひっかかっていたんですね。とはいえ、大学卒業後も日本で小型機を扱っている会社で働きながら、ヨーロッパで曲技飛行の活動を続けていました。
そのなかで気づいたのが、日本だけが空を活用しきれていない事実です。世界を見渡してみると、アメリカと同様にヨーロッパ各国も、個人が小さな飛行機を使っていたんですね。富裕層だけではなく中間所得層も、必要に応じて飛行機を使うことをしていたんです。
一方で日本ではエアラインが主流で、個人で飛行機を使うケースや、小さな飛行機で過疎地域に航空輸送サービスを提供する会社がほとんどない。それがずっと疑問で……。最終的に「この問題を払拭したい」という思いから、独立に至り、ビジネスコンテストでの優勝をきっかけにOpenSkyを起業しました。
そしてOpenSkyが描くのは、飛行機を「空のマイカー」として活用できる未来
OpenSkyでは現在、プライベートジェット事業を展開しています。エアラインが主流な日本では、プライベートジェットと聞くと、ラグジュアリーな印象を抱く方も多いと思いますが、実際は贅沢品としてではなく、ひとつの移動手段として使っている個人や企業が多数派です。そのためOpenSkyの事業を通して、プライベートジェットへの認識を、「必要なときに必要な人が使える、身近な移動手段」へと変えていきたいですね。
例えば、公共交通機関で結ばれていない地方間移動や、1日に複数都市をめぐるシーンにおいて、プライベートジェットは他にはない価値を発揮しますし、新幹線やエアラインが運行していない深夜・早朝間でも自由に移動することができます。また、地震や台風等で公共交通機関が乱れている場合も、より柔軟かつ確実にスケジュールをこなすことも可能です。
このように、決められた時間やルートに依存するのではなく、「空のマイカー」のように飛行機を活用することで、移動の制約が取り払われ、これまではできなかったライフスタイルや企業活動を実現することができるんですね。
また、これはもう少し先の話ですが、過疎地の交通インフラの提供も行っていきたいと思っています。地方では少子高齢化の影響で人口がどんどん減っており、今後、船・鉄道・エアラインは減便か提供自体がなくなるエリアが増えていきます。そういったエリアには海外と同様に、小型機での交通インフラの提供がベストだと思うので、私たちが使う飛行機の一部を、そちらの事業に振り向けることで、地方交通インフラを支えていきたいですね。
今挙げた例はごく一部ですが、日本では空を活用すべき課題がまだまだたくさんあります。OpenSkyがより空を使いやすくすることで、より良い未来を実現していきたいですね。
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株式会社OpenSkyでは「必要な時に必要な人が空を使えている世界」を共につくる仲間を募集しています。
取材協力:エドゥカーレ(取材・編集:小松崎拓郎 構成:柴田麗奈)