スカンジナヴィア・デザインを追う(1) ストックホルム市立図書館 (Stockholm, 2016.9)
日本における"北欧デザイン"の人気はすさまじく、ライフスタイル誌や女性誌では数ヶ月おきに必ずといっていいほど特集が組まれるし、取扱店も多い。定番とされている照明や家具の中でも北欧デザインのものがなんと多いことか。
我々夫婦も長らくそのデザインに惹かれてきた。2016年、ついに行動を起こすときがきた。アスプルンドとアアルトを軸として、スウェーデンとフィンランド6泊8日の旅にでることになったのだ。
旅行時期:2016.9
同行者:夫
テーマ:北欧のデザインとそのスピリットに触れる
■Day1(Thu.) Tokyo(NRT)→Helsinki Airport→Stockholm(本記事)
■Day2(Fri.) Stockholm(本記事でも一部触れています)
□Day3(Sat.) Stockholm
□Day4(Sun.) Stockholm→Helsinki
□Day5(Mon.) Helsinki
□Day6(Tue.) Helsinki
□Day7(Wed.) Helsinki→
□Day8(Thu.) Tokyo
この旅の動画はこちらからご覧ください。
2016年初夏、ひょんなことから日本からヘルシンキまでは10時間でいけるらしいと知った。スイスにいくよりもはるかに近いではないか。
9月にはシルバーウィークがある。マリメッコ柄の期待やノベルティで有名な、”可愛い”航空会社フィンエアーを使えば、かなりコストが抑えられる。よし、行こう。
比較すると、航空券・ホテル付きのパックツアー(添乗員無、現地自由行動)が明らかに最安値だった。ホテルが選べないのは残念だが、コスト優先で申し込んだ。
出国から現地着まで
フィンエアーの水やお茶を注ぐ容器の洗練されたデザインや、マリメッコデザインのコップにわくわくする。
機内食もなかなか美味。
2回目の機内食には、おやつ(デザート)としてブラックサンダー。なぜ・・?
フィンエアーのロゴマーク、すっきりしていて好き。
唯一の難点は、途中でエンターテイメント機材がダウンしたこと。こんな画面初めてみた。
君、Linux製だったんだね・・。どうでもいいけど、このペンギンの名前はタックス君というらしい。
フィンランドの地は73%が森林面積らしい。街が見えてきた瞬間、なんだか感動してしまった。
ヘルシンキ空港に到着。ここで乗り継いで、Stockholmのアーランダ空港へ向かう。
トランジットに使える時間はとても少ない。15分後にはゲートクローズ予定。ヘルシンキ空港は小さいので乗り換えも楽という触れ込みだったが、Stockholm行きの飛行機のゲートを確認する際に痛恨のミスをおかしてしまう。同時刻発の別会社の便を見てしまっていたのだ。ゲートへいってみると「私たちのフライトではないからわからないわ」の一点張り。ここだと信じて疑わなかったので30秒くらい意味がわからなかったが、ようやく気づいて引き返す。我々の便が出るゲートはほぼ反対側。死に物狂いでダッシュして、なんとかゲートクローズ直前に飛び乗る。肝を冷やした・・・。出発ゲートを確認するときは、時間と行き先ではなくて、きちんと便名で確認しましょう。
とりあえず乗れてよかった。我々が乗ったのは中型機だが、大型機はこんなかんじでウニッコ仕様だ。
17時にアーランダ国際空港着。
エクスプレスに乗って20分ほどで中央駅へ。そこから地下鉄に乗って1駅でホテル最寄駅のOdenplan(オデンプラン。可愛い響き)駅に到着。なんと空港から30分。アクセスの利便性が高い。
おでん駅から徒歩10分強でホテルへ到着。途中、渋谷という名前のお店を見つけた。
こちらがホテル。3泊する予定。このFirst Hotel Norrtullはもともとは酒蔵だったそうでとにかく広い。赤レンガづくりで、蔵だった形跡がそこかしこに残っている。
そして我々の部屋は一番奥の角部屋である。
安いパックツアーに申し込むと、なんでいつも一番奥の方の部屋ばかりアサインされるんだろうか。大きいホテルの一番奥は金額が安いのだろうか。
部屋に荷物を置いたら早々に出発して、Odenplan駅すぐそばのStockholm Public Library(ストックホルム市立図書館)へ。
ストックホルム市立図書館
エリック・グンナール・アスプルンド(Erik Gunnar Asplund)によって設計され、1928年にオープンしたこの図書館。円形の中央閲覧室には55万冊の蔵書が配置されていて、美しさに息を飲む。
"1910年代から1930年にかけての北欧新古典主義を代表する作品であり、続く時代の北欧モダニズム建築への架け橋となった作品である" (Wikipedia)
この中央閲覧室は、360度見て回ることができる。壮大さすら感じさせる。
スウェーデン語の本をはじめとして世界各地の言葉で書かれた本が並んでいる。
55万冊の本は整然と並んでいるが、配置上スペースが出来たのかぽっかり空間が出来ている部分があるのもまた美しい。
図書館全体としての所有蔵書数としては200万冊とのこと。だいたい東京都立中央図書館の蔵書数と同じくらい。
椅子のフォルムが格好いい。
ゴミ箱に貼られたポスター。なんと書いてあるかさっぱりわからないが、ボトルの表情がいい。
図書館でしばらく惚けた後、Odenplan駅近くの人気店、Trananでご飯。
Cafe TRANAN
このお店は、今回の旅をするにあたり参考にさせてもらった北欧フィーカさんがおすすめしていたお店。ミートボールが美味しいらしく、ぜひ訪れてみたかったのだ。
緑を基調とした落ち着いた店内。
噂のミートボール。これは本当に美味だった。
白身魚も美味しい。ソースには野菜がたっぷり。
帰り道にスーパーをのぞいたところ、ONAKAという名前の怪しいミルクがあった。ミルクの種類の豊富さはさすがだ。
翌朝。
ホテルの朝食。スウェーデンの主食はパンだ。大きなパンをスライスしたものが多い。小麦粉ベースのもの以上に、全粒粉やライ麦を使ったものや様々なシードが入ったパンが中心であるように感じた。あと、この写真には写っていないけど、クネッケ(Knäckebröd)という薄くて平べったい硬いパンが毎日ビュッフェに並んでいた。
ホテルを出たところ。写真中央に見える水の後は、大型の清掃車が通過した跡。わりと時間をかけて掃除をして進んでいったが、結果としてほとんど掃除できていないのが面白い。
中央駅へ到着。
階段の照明はレインボーカラー。
気になる形状の建物を眺めつつ、市庁舎の塔を目指す。
すごく鋭角なホテル。
ストックホルム市庁舎
中央駅から徒歩5分ほどで到着。海のほとりに位置している。おだやかで気持ちがいい場所だ。
20世紀初頭に建てられたこの市庁舎にある"青の間"では、毎年ノーベル賞受賞者の晩餐会が開催されている。見学も可能だが、今回は時間の都合でパス。代わりに106メートルの塔に登る。
途中まではエレベーターで、そこからはひたすら階段を登る。
展望台からの景色。
眺望に満足し、次なる目的地:ガムラスタンという旧市街を目指す。市庁舎からは徒歩15分程度だ。
ストックホルムでは、性別年齢問わず、とにかく人の格好よさに圧倒された。本人の佇まいも持っているアイテムも格好いいのだ。
いわゆる「格好いい」とは違うけど、自分のスタイルがある感じの人も多い。
ガムラスタン
ガムラスタン内のストックホルム王宮に到着。
元々は13世紀中頃に建立された建物が17世紀後半に火災で全焼してしまい、再建されたものがこの宮殿だ。1981年まではロイヤルファミリーが住んでいたものの、現在は誰も暮らしていない。
スウェーデンは王政で、現在のベルナドッテ王朝は1763年から続いている。現国王(カール16世グスタフ王)は第7代目。日本の天皇と同じように、政治的権力を持たない「象徴」としての存在らしい。現在の王朝はいわゆる"開かれた王室"で、国王は日本の一般企業へ訪問したこともあるらしい。とはいえ、頻繁にトラブルやゴシップのネタにされている模様・・。ストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に暮らしている。
余談だが、スウェーデンでは信教は自由とされているけれど国王と王位継承者は例外で、スウェーデン国教会(ルター派)に属すことが義務付けられているそう。
フィンランド教会(Finska kyrkan)の裏庭にあるJärnpojke(アイアンボーイ)像を見にきた。
全長14センチメートルのこの小さな像は、「頭を撫でると幸せになる」という言い伝え(?)があり、人気の観光スポットとなっている。私たちがいったときはノーマルバージョンだったが、冬はニット帽やマフラーなど地元の人や観光客が用意したコスチュームを身にまとったり、時によってブーケを持っていたりと可愛らしい姿を見せてくれる。
(言い伝え、といっても1954年にリス・エリクソンという彫刻家によって作られ、1967年にここに設置されたことがわかっているので50年程度の歴史なのだが・・)
私たちが到着したときには誰もいなかったのに、あっという間に観光客の集団がやってきて賑わいをみせた。
王宮やアイアンボーイ像があるガムラスタン (Gamla stan) は13世紀から続く旧市街で、ストックホルム中央駅から徒歩15分程度の場所だ。スウェーデン語で「古い町」を持つこのガムラスタンはスターズホルメン島という島に位置しており、訪れる人は橋を渡ってアクセスする。エリア内(ほぼ島そのものと同義だが)は、徒歩1時間もあれば一周できる程度の広さだ。この小さいエリアの中に、王宮、ストックホルム大聖堂、ノーベルミュージアムがある。
現存するガムラスタンの建物は17世紀から18世紀にかけてのものが多いとされている。長い歴史を誇るこの地区だが、19世紀半ばから20世紀半ばまではスラム街とみなされ、歴史的建造物含め荒れ放題だったという。1980代以降にその中世の街並みが再評価され、観光地化していったらしい。
せっかくなので、ここで、スウェーデンの歴史を振り返ってみたい。内容は、数冊の本とWikipediaの受け売りだ。
スウェーデンが位置するスカンジナヴィア半島に人が定住したのは紀元前1万年ころとされている。5世紀から6世紀にかけて民族移動が起こり北ゲルマン系の諸部族の小王国が乱立した。次第にスウェーデン・デンマーク・ノルウェーの3王国に収斂されていくとともに、スカンディナヴィア半島東を発祥とした「ヴァイキング」が船団・艦隊を組織してバルト海〜北海沿岸での交易と略奪を行った。(なお、ローマ人はスカンジナヴィア半島の人を「北の人(ノルマンニ=ノルマン人)」と、中でも略奪を行うノルマンニを「ヴァイキング」と呼んでいた)
スウェーデンのヴァイキングは主に東方へと進出し、東ローマ帝国やイスラム世界と交易などの接触を持ったと言われている。
一方、9世紀頃にはスヴェア人(スウェーデンに古くから住む民族の一つで、スウェーデンの国名Sverigeはスヴェア人(Svea)の支配領域(rige)を意味する)の王国が建国され、自然崇拝による祭祀が営まれていた。10世紀にはキリスト教が伝来し、幾分の抵抗をともないながらも受容されて行き、12世紀半ばには完全にキリスト教化した。ただし、この時期のスカンジナヴィアについては口述の伝統があり、文献として残っているものはほとんどないという。12世紀に最初の法典や歴史が編集されたそうだ。
12世紀になるとフィンランドへ進出してスウェーデン王国に組み込むなどしたものの、王と貴族たちの争いが激化したため内部の弱体化が進み、1389年にはデンマークに敗れ、支配を受けることとなった。
なお、13世紀半ばには現在のガムラスタンの位置(スタツホルメン島)に砦が築かれ、「丸太の小島」=ストックホルム、と呼ばれるようになった。この地区は次第に発展し、スウェーデン有数の都市となった。
デンマークに支配された約130年の間、内部では幾度となく支配からの脱却の試みがなされ、ついに1520年の蜂起により独立を勝ち取り、バーサ王朝が興った。
その後、1700年から始まった北方戦争によりロシアに敗れるなどしてバーサ王朝は弱体化。ナポレオン戦争中にフランスの将軍ベルナドットをカルル 14世として王位に迎え,この王家が現代に及んでいる。
19世紀中頃からは近代化がはじまり、産業革命が進行して資本主義的繁栄の道を選んだ。2度の世界大戦でも中立を守っており、1906年結成の社会民主党の長期政権のもとで福祉制度の充実が実現。国際的には1946年に国際連合に加盟、95にはEUに加盟した。
・・長くなってきた。次の記事へ続く。