【いちご通信#8】 笑みがこぼれる桜
暑さが厳しいまま台風の時期になった。今年の台風は風というより雨の印象が強い。大きな被害にならないように祈るばかりだ。ゆっくりと進んでいた台風10号(サンサン)の進路予想図を見ながらふと思い出したことがあった。私自身の子育ての頃の思い出だ。今でも思い出すと「ふっ」と笑みがこぼれる。
私には二人の息子がいるのだが(今は二人とも成人している) 幼い頃、長男は自分ひとりでブランコが漕げなかった。公園に遊びに行くと練習することもあったが、身体のバランスというかタイミングがうまく掴めないようだった。本人もそれ程気にしていないようだったし、私も「そのうちできるようになるだろう」くらいに思っていた。そして彼はそのまま小学生になった。私は本人が気にしていないのならできてもいいし、できなくてもいいと思っていた。実際、自転車に乗りたいと言って練習した時はすぐに乗れるようになった。
そんな長男が小学3年生頃だったと思う。休日に出かけた帰り道、小さな公園を見かけると「行きたい」と言い出した。公園は薄紅色の桜に囲まれていた。彼はブランコに駆け寄ると「見てて!」と言って漕ぎ始めたのだ。
「おれ、こげるようになったんだよー」
風を切って空に近づくように高く高くブランコを漕ぐ姿は、本当に誇らしく嬉しそうだった。「すごいねー」と母はただただ見守っていた。彼に尋ねると「おれ、学校で練習したんだ」と言っていた。もしかするとブランコが漕げないことで悔しい思いをしたのかもしれない。母親思いの子なので私を喜ばせようとしたのかもしれない。とにかく彼の中の何かが変化してブランコを漕ぎたくなった。記憶にある小学生3年生の彼が一人で練習している姿を想像すると愛おしさが溢れてくる。そして、今でもその公園の傍を通るたびに嬉々としてブランコを漕いだ彼を思い出すのである。
ようやく熱帯低気圧になった台風10号(サンサン)だが、こんなにゆっくりペースの台風は生まれて初めてだったように思う。小難でありますようにと祈りながらも長男のことを思い出して「きみもゆっくりペースなんだね」と思わず心の中でサンサンに話しかけてしまった。 人は皆それぞれに自分の感覚、自分のペースがありながら、自分とは違う他者とともに生きている。自分の感覚をはるかに超えた流れの中で・・・だからこそ、自分にも人にもやさしくありたいと思う。
桜の花には悲しい別れの思い出が幾つかあったのだが、小学3年生の長男が記憶の中からやって来て「おれのこと思い出してー」と言われたきがする。笑みがこぼれる桜が私の中にもあった。母になってよかった。
「ありがとう」
春爛漫の公園で過ごす母子3人(小さな二男も一緒)へ、還暦を過ぎた私がそっと告げた。