最高傑作【ぼくとおじいちゃん、ときどきオカマ】
『ぼくとおじいちゃん、ときどきオカマ』著者・椿
「こら! ユウヤ、そこに座りなさい。」
いつものようにおじいちゃんがぼくをおこった。
おじいちゃんの部屋で正座(せいざ)させられるぼく。ガミガミうるさいお説教(せっきょう)タイムが今日も始まる。
「いつも、まんがやゲームばかりしているからこんな情(なさ)けない点を取るんだ!」
ぼくの前に置かれたのは算数のテストだった。何で、おじいちゃんがこれを持っているのだろう。
おじいちゃんは顔を赤くして、おこり続けた。あぁーあ。いい加減、足もしびれてきたなぁ……。
一時間にも及(およ)ぶお説教タイムが終わった。
すっかり足の感覚がなくなったぼくはふらふらになりながらベッドに移動し、そのままふとんの中に顔をつっこんだ。
やれ、おぎょうぎが悪い! 遊んでばかりいないで勉強しろ! と、うるさい!
だいたい、おじいちゃんの家に引っ越(こ)してきてからロクなことがない。
幼稚園(ようちえん)の時から仲が良かったみっくんや、たーちゃん達ともお別れしなくてはならなかったのは辛かったし。急な転校のせいで新しい学校でうまくなじめなくて、あそびに誘(さそ)っても仲間外れにされてしまう。
何もかもおじいちゃんが悪いんだ。ぼくをおこってばかりのおじいちゃんなんか、大きらいだ!
次の日の朝(あさ)。目が覚めて洗面台に向かうと、おじいちゃんがいた。
おじいちゃんは何か難(むずか)しそうな顔をしながら鏡(かがみ)をじっと見ていた。
何を考えているのかさっぱりわからなかったけど、自分からあいさつしなきゃ、またおこられる。
「おじいちゃんおはよう。」
「ああ、ユウヤか。おはよう。」
まるで気持ちがこもっていないぶっきらぼうなあいさつ。ぼくにはどんな時でも相手の目を見て、えがおであいさつしろ! とおこるくせに自分はできていないじゃないか。
うまく言い表せないもやもやとしたものが、身体の中からわきあがってくるのを感じた。
「ユウヤ! おじいちゃんに言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」
さっきまでと違っておじいちゃんはぼくの目をまっすぐ見て、おこった。
今日もお説教(せっきょう)タイムが始まった。
きっと、ぼくもおじいちゃんがきらいなように、おじいちゃんもぼくがきらいなんだろう。好きであったら優しくするはずだし。みっくんのおじいちゃんはぼくにもアメ玉やチョコレートをくれたり優(やさ)しかった。
いつもいつもおこってばかりのおじいちゃんがきらいだ。
放課後(ほうかご)。誰にも遊びにさそわれなかったぼくは一人、近所をぶらぶらと歩いていた。
家にいてもおじいちゃんに勉強しなさい! と、言われるだけ。こうしているほうがずっと気が楽だった。
ところで、最近お気に入りの公園がある。学校のクラスメイトはぜったい知らない場所。そこはぼくだけの秘密(ひみつ)基地(きち)。
公園にはだいたい、木がそれなりに生えているはずだが、ここには一本だけ。
遊具(ゆうぐ)はペンキが剥(は)がれおちた小さなジャングルジムと錆(さ)びついたブランコ。そして、ぽつりとベンチがあるだけの小さな公園。当然、誰(だれ)もいない。名前はさいの目公園。
みんなに忘れさられたかのようなこの場所は、なんとなく居心地(いごこち)が良かった。
今日もジャングルジムのてっぺんまで何秒(なんびょう)で登(のぼ)りきれるかチャレンジだ。ブランコを思いっきりこいでクツ飛(と)ばしをする。この前、公園の端(はし)までクツを飛ばすことが出来た時はうれしかった。
そして、疲(つか)れたらベンチにすわって雲(くも)をながめる。雲はどこまでも自由に飛び、形を変えていく。
しばらくすると、日は傾(かたむ)き、雲はオレンジ色に染(そ)まって、魚(さかな)のうろこのような模様(もよう)になっていた。
ぼーっと空をながめていると学校でぼくをからかい仲間はずれにするクラスメイトも意地悪なおじいちゃんも考えないですんだ。
ふと、隣(となり)に人が来た気配を感じて、振(ふ)り向いた。そこには……、
「え?」
ぼくは、思わず、口をぽかんと開けた。
やってきた人は、なんと、女の人のかっこうをしたおじさんだった。
(……おじさん、だよね?)
お化粧(けしょう)をしていて、よくわからないけど、たぶんおじさんだろう。
「ここに、すわってもいいかしら?」
「え、……いいけど、」
突然(とつぜん)話しかけられてしまった。ぼくの声はふるえ、中途半端(ちゅうとはんぱ)なものになってしまっていた。
しかし、おじさんは気にすることなく「ありがとう」と笑った。
やはり、声は少し変だったけど、おじさんだ。
ぼくは不思議なおじさんの出現(しゅつげん)にどうしていいのかわからなかった。ついつい、ちらちらとおじさんの方を見てしまう。
体型はやせてすらっとしているが、まるでハンドボールがそのまま入ったかのような不自然な胸(むね)周(まわ)り。口は厚(あつ)塗(ぬ)りの口紅(くちべに)やら化粧(けしょう)をしているが、ヒゲのそり残(のこ)しのようなものが見える。どことなく、大きらいなおじいちゃんに似ている気がした。でも、そんなわけはない。だって、おじいちゃんはこんな、女の人のようなかっこうをするワケがないと思うし。声も、目の前のおじさんとは少し違う。
その時、おじさんと目が合ってしまった。ちらちらとのぞいていたのがバレてしまった気がして、こわくなった。ぼくはさよならを言わずに公園をあとにした。
公園を出てからとっさに、ふりかえってみるとおじさんはまだぼくの方をじっと見つめていた。なんとなく気味(きみ)が悪い。さっき、感じたのとは別のこわさがぼくの体中をかけめぐる。ぼくは家に向けて一直線(いっちょくせん)に走った。
家のげんかんを勢(いきお)いよく開いて「ただいま!」と、あいさつをする。あわてて帰ってきたため、声が大きくなってしまった。次のしゅんかんには絶対(ぜったい)に「うるさい!」っておじいちゃんにおこられる。そう思って、ビクビクしていたが、返ってきた返事はお母さんの「おかえり」という返事だけだった。
「……あれ? お母さん、おじいちゃんはどこか、でかけているの?」
「ついさっき散歩(さんぽ)に出掛(でか)けたから、もうすぐ帰ってくると思う。」
あれ? こんな時間にさんぽなんて、めずらしいこともあるんだ。
「おじいちゃんみたいにうるさくは言わないけど、早く手を洗っていらっしゃい。」
「はーい。そうだ! お母さん。さっき、公園でヘンなおじさんがいたんだ。」
ぼくは手をあらうついでに、先ほど出会(であ)った女の人のかっこうをしたおじさんの話をした。すると、お母さんは何かがおかしかったのか、笑いながら世の中には女の人のかっこうをするのが趣味(しゅみ)の男の人がいること。それをジョソウということを教えてくれた。なんだか、せっかく男にうまれてきたのに、世の中には変わった人もいるんだな。
翌日(よくじつ)。
ぼくは授業中(じゅぎょうちゅう)も、昨日(きのう)のジョソウをしたおじさんのことを考えていた。考えれば考えるほどわからない。コレは自分には理解(りかい)できそうもなかった。
そこで、思い切って休み時間に先生に聞いてみることにした。先生はぼくたちにはわからないことを何でも知っていて、お母さんよりもエライ。
だから、変なおじさんのことも教えてくれると思った。
「――ユウヤくん。女装(じょそう)をする人は確かに、人と違っていて変なのかもしれないけど、悪いことじゃないんだよ。」
「でも、先生はジョソウしないじゃん。」
ぼくがそう言うと、先生はおなかをかかえて笑い出した。どうやら、先生のどツボをついてしまったらしい。
「そりゃそうだよ。僕(ぼく)にそんな趣味(しゅみ)はないからね。それに妻(つま)と産(う)まれて間(ま)もない子もいるんだ。もしそんなことをしたら、妻にどつかれてしまうよ。」
「え? でも、悪いことじゃないのにおこられるの?」
「まったく、ユウヤはバカだな。」
いじめっ子の鬼頭(おにがしら)がずけずけと話に入ってきた。
「フツウはそんなことしないだろ? 先生だってそうさ。そんなのするのなんて、オカマぐらいだよ!」
「これこれ、鬼頭くんもそんな言(い)い方(かた)しない。でも、普通(ふつう)の人はしないから、それを変な人って思う人も沢山(たくさん)いるんだよ。もちろん、僕(ぼく)はそんなこと思っていないけどね。」
先生はそう言うと、席に着くようにうながした。先生はぼくのギモンに答えてくれたけど、よけいワケがわからなくなってしまった。と、その時、
「オカマオカマ! みんな聞いて。新(しん)ジジツ! ユウヤはジョソウがシュミのオカマだった!」
鬼頭が、みんなにぼくの悪口(わるぐち)を言いふらす遊(あそ)びをしはじめた。こうなると、どれだけぼくがみんなに違(ちが)う! って、言っても信じてもらえない。
「ぼくはオカマじゃない! みんなやめてよ!」
結局、先生がすぐにみんなを止(と)めてくれたけど、ぼくのアダ名は〈オカマ〉になってしまった。あーあ。こんなことなら、聞(き)くんじゃなかったな……。
放課後(ほうかご)。
だれにも遊(あそ)びにさそってもらえなかったぼくは、昨日(きのう)の公園で遊ぶことにした。昨日のキョウフ体験(たいけん)や昼間(ひるま)のできごとがあっても、ココしか遊ぶ場所(ばしょ)を知(し)らなかったのだ。
公園に着くと、またもジョソウをしたオカマのおじさんがいた。何をするわけでもなくぼーっとベンチにすわっている。
まるで、秘密(ひみつ)基地(きち)をオカマに侵略(しんりゃく)されたかのように思えていごこちが悪(わる)い。せっかく見つけた公園だけど、あきらめて帰るか、別の公園に行こうかと迷(まよ)った。
しかし、ほかの知っている公園はぼくをからかう鬼頭(おにがしら)のグループがいることが多く、行きたくない。
家にいたら、いつ、おじいちゃんに勉強しろ! と、言われるかわからない。ぼくが安心できる場所は、やはり、ここだけなのだ。
しょうがないので、オカマのおじさんはいないものとして遊ぶことにした。
ジャングルジムをすばやく登(のぼ)り、それに飽きると今度はブランコへ。 ブランコを立ちこぎで、思いっきりいきおいをつける。そして、そのまま、クツを飛(と)ばした。こうすることで、すわったままよりも遠(とお)くへ、クツを飛ばすことが出来る。
(げ……やってしまった。)
そう思ったのはクツを飛ばした後だった。飛んでいった先には、ベンチがある。つまり、オカマのおじさんの方へクツを飛ばしてしまったのだ。
あわてて、ブランコを急(きゅう)停止(ていし)させ、クツをはいている片足(かたあし)でジャンプして、取りに向かう。
あとすこし。と、思った時、オカマのおじさんがぼくのクツをひろいあげた。
オカマのおじさんはクツをはたいて、ついていた砂(すな)を落(お)とした。そのあと、やってきたぼくの目の前にクツを丁寧(ていねい)に置いた。
ぼくは軽く会釈(えしゃく)をして「ありがとう」と言った。おじいちゃんの日々の教育(きょういく)に身体(からだ)が勝手(かって)に反応(はんのう)してしまった結果(けっか)だ。
「キミは友達とは遊ばないのかしら?」
クツをはいて、すぐにどこかに行こうとしていたが、オカマに話しかけられてしまった。
「うん。ぼく友達いないから……。」
ムシして行ってしまおうかとも思ったが、つい、答えてしまう。
「そうなの……。それはつらいわね。」
「……クツをひろってくれて、ありがとう。」
「そんなのいいのよ。気にしないで。」
オカマのおじさんはぼくに笑いかけた。テカテカにぬりたくられた厚(あつ)塗(ぬ)りの化粧(けしょう)のせいで、あやしい人のように思えたけど、この人は本当(ほんとう)はいい人なのかもしれない。
そうだ。おじさんにどうしてジョソウをするのか聞いてみよう。
「ねぇ、おじさんはどうして、そんな女の人のかっこうをしているの?」
オカマのおじさんはいっしゅん、目を丸くしていたが、すぐに答えてくれた。
「……それはね。ありのままの自分でいられるからよ。」
「せっかく、男にうまれたのに?」
「そうだけど。こっちの、オネエさんになっている方がどうしても、気が楽なのよね……。」
「う~ん。……よくわからないや。」
言った通(とお)り、おじさんの言っている意味(いみ)がまったく、わからなかった。ぼくには、オカマという人のことは理解できそうもなかった。深(ふか)く考(かんが)えれば考えるほどナンカイであった。
クツをはき終(お)え、再(ふたた)びブランコに戻ろうとおじさんに背(せ)を向けたのだが、
「もし、キミさえ良ければだけど。……アタシと、友(とも)達(だち)になってみない?」
「……ひょっとして、おじさん……いや、オネエさんもともだちがいないの?」
ぼくはオカマのおじさんの方に向き直(なお)った。
「実(じつ)はそうなのよね……。キミと一緒(いっしょ)だ。」
オカマのおじさんは寂(さび)しそうに笑った。つられてぼくも笑う。この時、ぼくは昼間の、先生が言った「普通(ふつう)の人はしないから、それをよく思わない人も沢山(たくさん)いるんだよ。」という言葉を思い出していた。
少し、考えてから返事(へんじ)をする。
「……いいよ。ともだちになろう。」
「ありがとう。今日からアタシとキミはお友達(ともだち)だ。」
ぼくはこの時、なんだか胸(むね)がくすぐったい気持ちになっていた。
こうして、ぼくとオカマのおじさんとの奇妙(きみょう)な友情(ゆうじょう)が始(はじ)まった。
それから、毎日鬼頭(おにがしら)にオカマ呼ばわりされていたけど、前ほど気にならなくなっていた。
だって、ぼくの新しいともだちはホンモノのオカマなんだよ。オカマはイイ人だって、知っちゃってるもんね。
前に先生が言っていたことは本当だった。やっぱり先生はエライ!
ただ、オカマの人は見た目とかしゃべり方は少し変わっているけどね。それも、なれればアイキョウがあってイイと思うんだ。
……それでも鬼頭もなかなかにしぶとくて、あだ名をやめないどころか、となりのクラスのともだちにまで広めたり、オカマごっこ遊びなんか始めてぼくをからかうんだ。
そんなことをいくらやってもムダなのにね。
なんにしても、オカマのおじさんとともだちになれて本当によかったよ。じゃなきゃいまごろ、グレてたと思うもん。
「ぼくがオカマのおじさんとともだちになったと知ったら、みっくんや、たーちゃんおどろくだろうなー。」
「あれ? ユウヤくんって、鬼頭くんに〈オカマ〉ってあだ名をつけられているのに、ぜんぜん気にしてないの?」
ぼーっとしながら、ひとりごとに答えたのは、日直(にっちょく)でいっしょに黒板(こくばん)消(け)しをしていた本田さんだった。ちょっと身長は小さいほうだけど、明るくてやさしい。顔もカワイイ方だから男子に人気の子だ。
「ユウヤくん?」
「――ごめん。本田さんが急に話しかけてきたからびっくりしちゃったんだ。なんだっけ?」
「男子にオカマって言われているのに、すごいなーって話だよ。」
「まあ、ぼくだって最初(さいしょ)はイヤだったけど、なれれば大したことないよ。」
ぼくは少しオーバーなぐらいにとくいげに言った。男子なら誰だってカワイイ女の子の前でカッコつけたくなるものだ。
「すっごーい! 私が男子だったらゼッタイいやになっちゃうよ。」
本田さんは目をきらきらさせながら、ぼくのジマン話を聞いてくれた。今日はちょっとラッキーだね。
その時、休み時間の終(お)わりを告げるチャイムが高らかに鳴った。
ちょうど日直のしごとが終わったところだったので、本田さんに軽くアイサツをすませて、キゲンよくセキにもどろうとした。
「やいオカマ! オカマのくせにチョウシにのるな!」
鬼頭(おにがしら)が、二人ほど小ブンをひきつれてぼくの前にあらわれた。
「え? ぼくチョウシになんてのってないよ。そこをどいてよ。」
「うるさい。オカマがうつるだろう!」
「オカマーオカマー! オカマはしゃべっちゃいけないんだよー」
小ブンその一の田中と、その二のスズキがはやし立てた。
「ぼくはオカマじゃない。セキにつけないからどいてよ!」
とうとう、声をあらげてコウギした。だって、このままセキにつけなかったら先生におこられちゃうもん。
ぼく達がもめ始めたからか、ガヤガヤしていた教室がぼく等(ら)に集中(しゅうちゅう)して、少ししずかになった。
「ユウヤくんがかわいそうだよ。やめてあげてよ。」
さっきまでいっしょにしごとをしていた本田さんがぼくの味方(みかた)についてくれた。
「うるさい! お前にはカンケイないだろう! 女子はだまっていろ!」
「こらー。そこで何をやっているんだ。早く席(せき)に着(つ)きなさい。」
鬼頭が、本田さんにまで悪口(わるくち)を言い始めたタイミングで先生が教室(きょうしつ)に入ってきた。
「「はーい……。」」
田中とスズキが先生のシジにしたがって、セキにもどっていった。だが、鬼頭だけはぼくのセキの前をじんどって動こうとしなかった。
「先生来ちゃったし、どいてよ。」
「オカマがおれにメイレイするな!」
鬼頭は先生が来ようがお構(かま)いなしに、ぼくにイジワルを続けた。
「先生! 鬼頭くんがユウヤくんにイジワルしてセキにつかせてくれません。」
「……鬼頭くん。どいてあげなさい。」
鬼頭はぼくをキッっとにらみつけ、先生にジョウキョウを説明(せつめい)してくれた本田さんにまでにらみつけた。
「このチクリブス女が、あとでお前もいじめてやる!」
ぼくはこの言葉(ことば)にキレた。
次のシュンカンには鬼頭の胸(むな)ぐらをつかみ、そのにくたらしい顔面(がんめん)にパンチをおみまいしていた。
「やったなこのヤロウ!」
ぼくと鬼頭はとっくみ合いになった。
「オカマのくせに、いいカゲンにしろ!」
「あやまれ! 本田さんはカンケイないじゃん! 本田さんにあやまれ!」
その後、ぼくと鬼頭(おにがしら)のケンカは止められた。
そして、授業(じゅぎょう)が中止(ちゅうし)となって、学級会(がっきゅうかい)が開かれた。もちろん、ぼくと鬼頭のケンカについての話し合いだ。
そこで、最初(さいしょ)にイジワルをしていた鬼頭たちがわるい。と、先生がおこった。その時ばかりは、気(き)が晴(は)れたような感覚(かんかく)だった。
だが、鬼頭にボウリョクをしたぼくの方もおこられた。それも、鬼頭たちのイジワルよりも強くおこられた感じだ。イイ気分がどん底(ぞこ)に落とされた気分(きぶん)になった。
たしかに、はじめにぼくが鬼頭をなぐったけど、なぐり返(かえ)してきた鬼頭も悪いのにオカシイじゃん。
ぼくもとてもいたかったのに。ボウリョクをしたことにカンしては、ぼくだけがおこられる。
学級会が終わるまで、なみだを流さないように、くちびるをかんで必死にたえた。とちゅう、鬼頭をなぐった手がズキズキとすごくいたみだして、それもつらかった。
なんにしてもこの日、ぼくは先生のことがきらいになってしまった。先生だけはぼくの味方だと思っていたのにうらぎられてしまった感覚(かんかく)だったからだ。
一人でとぼとぼと下校(げこう)しているぼくの気分はサイアクだった。
それに、鬼頭になぐられてカラダのあちこちにアザと、鬼頭をなぐった手が、いたかった。
ぼくは家に帰ると同時に、ランドセルを投げすて、公園に向かった。
いやなことがあったばかりなので、親友(しんゆう)にはやく会いたかったのだ。
公園が見えてくると、ベンチにすわっていたオカマのおじさんが手を振(ふ)って、お出(で)迎(むか)えしてくれた。
ハタから見れば、信じられないかもしれないけど、オカマのおじさんこそが、ぼくの親友である。
オカマのおじさんは身体(からだ)が弱(よわ)いらしく、一緒(いっしょ)にジャングルジムやブランコは出来ないけれど、日が暮(く)れるまでベンチに座(すわ)って話しをするのだ。
「今日は給食(きゅうしょく)にカレーが出たんだよ! ぼく、二杯(にはい)もおかわりしちゃった。」
「それはすごいわね! ユウヤくんはこれから大きくなるから、いっぱい食べないとね!」
オカマのおじさんの話はどれも面白(おもしろ)い。それに、ぼくが得意(とくい)げに話すこともなんでも笑って聞いてくれる。久(ひさ)しぶりいっしょにいて、楽(たの)しいと思えるともだち。ぼくからしたら、秘密(ひみつ)基地(きち)に仲間(なかま)が加(く)わわった。そんな感覚(かんかく)だ。
「あら? ユウヤくん、腕(うで)に痣(あざ)が出ているわ。」
温(あたた)かかった気持ちが一変(いっぺん)し、どきりと心臓(しんぞう)がはねた。
「えっと、ちょっと、体育の時にとび箱にぶつかっちゃって……。」
「……ひょっとして、前に話してくれた鬼頭(おにがしら)って子にやられちゃったの?」
オカマのおじさんにはウソが通じなかった。
「ユウヤくんさえ良ければ、何があったのか、教えてくれるかしら?」
うつむいてくちびるをかみしめたぼくに優(やさ)しい言葉を投げかけてくれる。ぼくは洗(あら)いざらいその日あった出来事(できごと)を話した。
ぼくを〈オカマ〉呼ばわりするだけでなく教室(きょうしつ)でいじわるされていたこと。本田さんにひどい事を言ってキレてケンカしたこと。そして、先生にうらぎられてしまったこと。
オカマのおじさんはいつものほがらかな雰囲気(ふんいき)と違(ちが)って、とても真剣(しんけん)に聞いてくれていた。
夕方(ゆうがた)の帰り道。ひんやりと冷たくなった風が頬(ほお)をなでたが、ぼくの胸(むね)の内はぽかぽかして暖(あたた)かった。
今日あったイヤなことを話し終えた後、オカマのおじさんは自分のことのようにおこってくれたのだ。
「ユウヤくんをいじめる輩(やから)は、このワシが許(ゆる)さんわい! 今から鬼頭(おにがしら)の家に殴(なぐ)り込みじゃああ‼」
などと、この時だけはオカマじゃなくて、ただのおじさんになるのが面白(おもしろ)くて、思い出し笑いをしてしまう。
そして、おこってくれた後は決まって、ぼくをなぐさめてくれる。
先生はぼくをおこるだけだったけど、オカマのおじさんだけは「女の子を守ろうとして偉(えら)かった!」と、ほめてくれた。
それに「男の子なら、時にはケンカもヒツヨウ」ってこともやさしく教(おし)えてくれた。
そんなことを言われたら胸(むね)がアツくならないわけはないよね。
やさしい、やさしい、ぼくのともだち。
オカマのおじさん、大好き。
ぼくと鬼頭が取っ組み合いのケンカをした事件からは、鬼頭のイジワルもおとなしくなった。
それどころか、次の日の朝にあやまってきたのには、おどろいたなー。なんでも、鬼頭のお母さんが事件のことをナゼか知って、すごくおこったらしい。
神様を本当に信じているわけではないけど、きっとテンバツが下(くだ)っただろうね。いい気味(きみ)。
そして、平和な日々(ひび)は過ぎていき、日曜日(にちようび)になった。
ぼくはいつものように、公園へ出かけようとしていた。
「ちょっと待ちなさい。漢字(かんじ)ドリルの宿題(しゅくだい)が出ていたそうじゃないか。終わらせてから行きなさい!」
今日にかぎって、おじいちゃんに見つかってしまい、遊(あそ)びにいけなくなってしまった。
なんで、いつもいつもぼくのイヤがることをするのだろう。自分がされてイヤなことはしてはいけない。って、言っていたのに。なんで、ぼくばっかり……。
「ユウヤ! ふてくされてないで、早くやりなさい。」
「……はい。」
フマンを口にしていなかったが、おじいちゃんにおこられてしまった。
ぼくはトボトボと机(つくえ)へと向かった。
漢字ドリルとノートを開く。えんぴつをにぎり、ガリガリと書きうつしていく。
部屋(へや)には、てんじょう近くに取り付けられた丸時計(まるどけい)がある。長いハリがゆっくりと進み、短いハリも気づけないほどではあるが、確実(かくじつ)に動いた。
さいきん、時計の読み方を教わったので、時が経(た)つのを感じて、気持ちが沈(しず)んだ。
宿題(しゅくだい)が終わった頃(ころ)には、日がオレンジ色の光に変わっていた。
ぼくは、少しでも早く遊びたい気持ちと、ともだちを待たせてしまっているかもしれない。と思って、あせっていた。
ぼくはえんぴつや消しゴムをフデバコにすら片付けずに、家を飛び出した。
公園まで全力(ぜんりょく)で走る。運動会(うんどうかい)と同じぐらい本気(ほんき)だ。
すぐに公園のさびついたジャングルジムが見えてきた。ゴールテープを一位(いちい)でかけぬける時のように、ラストスパートをかける。
いっしょうけんめいに走ったおかげで公園には、すぐに着くことはできた。だが、いつものベンチにオカマのおじさんの姿(すがた)はなかった。
ぼくはあせをぬぐって、ゆっくりと公園を見渡(みわた)すが、やはり、だれもいない。
ひょっとしてぼくが来ないから帰っちゃったかもしれないと思うとやり切れない気持ちになった。確かに会う約束(やくそく)はしていなかったが、いざ会えないとわかると寂(さび)しい。やがて、
(……あの時、おじいちゃんさえ、おじいちゃんがいなければ、良かったのに!)
底知(そこし)れぬ、ドス黒い何かがふつふつと、わき上がってくる。身体(からだ)が燃(も)えるように熱(あつ)い。いじわるばかりで、もうたくさんだ。おじいちゃんなんて、大きらい!
いかりにまかせて、小石をけった。小石は勢(いきお)いよくころがっていく。思いっきりけったためか、クツまで飛(と)んでいった。
しまった。と思った時には、もうおそかった。クツは山をえがくように飛んでいき、木の枝に引っかかる形で止まった。あわてて、とりに向かったが、まるで手がとどかない。
ぼくは背(せ)の順(じゅん)で前から数えて二番目だ。はっきり言ってチビである。そんなチビのぼくがいくらジャンプしようともクツにとどくはずもなかった。
もしも、片足分(かたあしぶん)のクツをなくして帰ったら、ぜったいにまたおこられる。あーあ、最近はイイ事続きだったのに、今日はふんだりけったりだな……。
ぼくはトホウにくれて、その場で立ちつくした。
しばらくして、帰ることにした。おこられることはカクゴの上だ。だが、帰らなければ、帰りがおそい。と、おこられてしまうし、そろそろおなかもすいてきた。
いざ、帰ろうと来た道を戻(もど)ろうとした。その時、
オカマのおじさんがのろのろとだが、必死に走ってくるのが見えた。なんだか夢(ゆめ)でも見ているのではないかと、思わず目をごしごしこするが、口紅(くちべに)を塗(ぬ)りすぎて真っ赤に染まったくちびるとそり残しのヒゲ。ボールがそのまま入ったかのようなフシゼンに膨(ふく)らんだ胸。まちがいなくオカマのおじさんだ。
「お、おまたせ。」
「……もう、おそいよ。ぼく、帰っちゃおうかと思ってたもん。」
口ではそう言ったものの、今鏡(かがみ)で自分の顔を見たら相当(そうとう)にやけていたと思う。
オカマのおじさんはバテバテで苦(くる)しそうにしていたが、それはぼくのために必死(ひっし)に走ってきてくれたからだ。しかも、ぼくの顔を見たら疲(つか)れを忘(わす)れたかのように笑いかけてくれる。そんなことをされて、うれしくないわけがない。
そのあと、ブランコでクツ飛ばしをして、木に引っかかって取れなくなったことを話し、取ってもらった。ほんのちょっぴりウソがまじっていたけど、これぐらいのウソはいいよね。
日も暮(く)れかかっていたこともあって、少し話したらお互(たが)い帰ることになった。
行きとちがって、のんびり歩いた。家が見えてきた頃(ころ)にはルンルン気分でスキップまでしちゃっていた。
やっぱり、オカマのおじさんは男なのに女の人の服を着ていたり、ヘンなしゃべり方をしているけど、やさしい。いっそ、ぼくのおじいちゃんの代わりに、オカマのおじさんが本当のおじいちゃんだったらいいのになー。
いや、本人はオネエさんのつもりだからおばあちゃんの方かな。くすくす笑いながら、げんかんのドアを引いた。
「ただいまー! ぼく、とってもおなかすいちゃった。」
「わるさをするオニめ! ぼくたちがセイバイしてやる!」
「人間の分際(ぶんざい)でナマイキな。かえりうちにしてやる!」
オニ役(やく)を演(えん)じていたぼくは、もも太郎(たろう)役の鬼頭(おにがしら)たちに向けてトツゲキした。
ニセモノの棒をふりあげ、彼の持つ紙の剣(けん)とぶつかる。ぼくと同じくオニ役のクラスメイトたちも、もも太郎のケライたちとぶつかった。
何をかくそう、ぼくたちは今度開かれる学芸会の練習をしているのだ。
ぼくがオニ役で、いつもイジワルしてきていた鬼頭がオニを退治(たいじ)する役なんて、笑っちゃうよね。
実は、この配役(はいやく)はぼくきってのお願(ねが)いなんだ。
役者を決める時に、最初(さいしょ)は鬼頭がオニ役だったけど、ぼくもオニをやりたい! って言ったら、鬼頭がゆずってくれたんだ! ほんと、びっくりだよね。
まるで、おとぎ話に出てくるまほう使いが、ぼくにまほうをかけてくれたみたいな気分だったよ。
鬼頭はまだ、ともだちと言える関係(かんけい)ではないけれど、少なくともぼくの敵(てき)ではなくなったのだ。
「今日の練習はこれぐらいで切り上げようか。」
先生の一言で、放課後(ほうかご)の時間を使った練習(れんしゅう)は終(お)わった。
体育館の舞台(ぶたい)からクラスメイトたちがぞくぞくと降りていく。ぼくもそれに続いて教室に戻ろうとしていた。
「ユウヤ。ちょっと、このあといいか?」
鬼頭は口をもごもごと言いにくそうにしながら、声をかけてきた。しかも、めずらしく手下も連れずに一人だった。
「いいけど……? どうかしたの?」
ぼくは少し不思議そうな顔をして、そう答えた。だって、鬼頭はいつもの自信満々なタイドとは逆だったし。こんな鬼頭を見るのは初(はじ)めてだったからだ。
「実は、お前に協力してほしいことがある。くわしくはあとで話すよ。校門(こうもん)を出たところで待ち合わせな? それじゃ。」
鬼頭は言いたいことだけ言うと、教室にダッシュしていった。
ぼくはその場でポカーンと立ちつくしてしまった。
あの鬼頭がぼくに協力してほしいことがある? こんな予想外すぎるテンカイについていけるわけないじゃないか。
「ユウヤくんそんなところでどうしたの?」
「――あ、本田さん。鬼頭のやつに相談に乗ってほしいって言われて……。ワナとか、ウラがある気がして考え事をしていたんだ。」
「まさか、そんなことはないと思うよ。だって、鬼頭(おにがしら)くん少しやさしくなったと思うもん。」
「そうかな? まぁ、前みたいにぼくを〈オカマ〉呼ばわりはしなくなったけどね。」
「そうだよ! さすがにユウヤくんにイジワルはしないはずだよ。だって、オニ役だって代わってくれたじゃん。」
そう言って本田さんはほほえんだ。
彼女(かのじょ)も鬼頭のヤツにひどいことを言われたのに、こんな考え方ができるなんて大人だなぁ。
「……わかったよ。鬼頭に会ってくる。ちょっとだけこわいけど。」
「うん! もし、なにかヒドイことをされたら私に言ってね? その時は、先生に言いつけてやるもん。」
「それだと、またチクリ! って、言われちゃうよ?」
「いいもーん。どうせ私はチクリ女子だもーん。」
本田さんは堂々(どうどう)とむねをはって、わらっていた。そんな彼女を見て、ぼくもつられてわらった。
その時、夕方の『最終(さいしゅう)下校(げこう)時刻(じこく)』をつたえる放送(ほうそう)が流れ出した。
「やば! それじゃ、本田さんまたねー。」
「うん。また明日ねー。」
ぼくはいそいで教室にもどってランドセルを手に取り、鬼頭の待つ場所へむかった。
「実はおれ、本田さんのことが好きなんだ。」
「え?」
鬼頭はだれもこない公園でぼくに告白(こくはく)してきた。というか、ぼくとオカマのおじさんの秘密(ひみつ)基地(きち)での、トツゼンすぎるできごとである。
「だから! おれ本田さんのことが好きなんだ。――お前と本田さんってなかいいじゃん! だから協力してくれ。いや、協力してください。このとおりだ!」
鬼頭は頭を深く下げて、お願(ねが)いしてきた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ほんとうなの?」
「……あぁ、このことはお前にしか言っていない。たのむ! 今までのことは全部あやまる。だから!」
彼(かれ)はシンケンそのものだった。体育の時より、ずっと本気だと思えた。
「わかったよ。協力するよ。ぼくは何をすればいいの?」
「まじで協力してくれるのかよ! ありがとう!」
鬼頭はカンゲキのあまり、ぼくにだきついてきた。
「ちょ、くるしいよ。」
「わるいわるい。――お前は、学芸会(がくげいかい)の練習(れんしゅう)とか、生活のジュギョウの時とかに、おれと本田さんがくっつくようにしてくれ。」
「わかった。やってみるよ。」
それから日がすっかり落ちるまでの間、作戦(さくせん)かいぎは続いた。
そして、おじいちゃんとの言いつけで、モンゲンがあることを思い出し、この日はお開(ひら)きとなった。
「ただいまー。おそくなってごめんなさい。」
げんかんを少々らんぼうに開き、家にすべりこんだ。
確実(かくじつ)におこられると、カクゴしていたが、なぜかその声は飛(と)んでこなかった。
気になって奥のおじいちゃんの部屋に様子を見にいくと、おじいちゃんは頭にタオルを乗せて横になっていた。
「――ユウヤか。ゴホッゴホ。……おかえり。」
ぼくが部屋にはいると、おじいちゃんは目を覚ました。
「ただいま。おじいちゃん風(か)邪(ぜ)ひいたの?」
「……なんのこれしき、だいじょうぶじゃ。それより、手を洗って、うがいをするんだぞ?」
おじいちゃんはそれだけ言うと、苦しそうにセキをしていた。
「ユウヤ。おじいちゃん、だいぶ無理(むり)が祟(たた)ったみたいだし。うつるとよくないから、そっとしておくのよ。」
いつの間にかぼくの後ろに立っていたお母さんが、ぼくの手を引いた。
「それと、学芸会(がくげいかい)の練習(れんしゅう)で帰りが遅(おそ)くなるは仕方(しかた)がないけど、終(お)わったらすぐに帰るのよ? 帰ってから遊びに行くのは当分(とうぶん)禁止(きんし)です。」
「えー。そんなのやだよ。遊びにいきたいよ!」
「わがままを言う子はオヤツ抜(ぬ)きです!」
「……それはもっとやだ。」
「そう。なら、オヤツを食べたらすぐに勉強しなさい。」
「……はい。」
いつもは、こんなイジワルなことを言わないのに、どうしたんだろう。
なんかおじいちゃんの調子(ちょうし)が悪くなったから、おこられずにすんだのに。これじゃ、だいなしだよ。
次の日からも学芸会(がくげいかい)の練習(れんしゅう)は続(つづ)いた。
鬼頭(おにがしら)の告白(こくはく)(?)があって、ぼくは彼(かれ)とすこしだけ仲よくなっていた。
この前までのことを思えば、信(しん)じられないよね。ほんと、人生(じんせい)何があるかわからないよ。
でも、イイことばかりではなかった。
週末(しゅうまつ)になって、おじいちゃんが入院(にゅういん)することになった。
よほど、ひどい風邪(かぜ)だったのかもしれない。
ふん、いつもぼくにイジワルをするからきっと神様からバチがあたったんだ。ぼくには関係(かんけい)ないもんね。
お母さんとお父さんがおじいちゃんを病院(びょういん)へ車で連れていこうとしているけど、ムシして遊びに行っちゃえ。
「ユウヤどこに行くつもり? 先に車の中で待ってなさい!」
「やだ。ひさしぶりに外に遊びに行こうと思っていたんだもん!」
サイアクだ。クツをはいて外へ出ようとしていたらお母さんに見つかってしまった。
「そんなワガママが通用(つうよう)すると思っているの? さ、早く車に乗りなさい。」
お母さんはぼくの意見(いけん)など無視(むし)して、車に乗せられた。ほんとひどいよ。
実は、月曜日(げつようび)からオカマのおじさんとも会えていなかったし。鬼頭と仲よくなったことを話すのを楽しみにしていたのにな……。
それから、お父さんがおじいちゃんを支(ささ)えて家から出てきた。おじいちゃんは車の後ろのザセキ、ぼくのとなりに乗った。
「それじゃ出発(しゅっぱつ)するぞ。」
車はゆったりと病院(びょういん)に向け、出発(しゅっぱつ)した。
ぼくはまどに乗り出して景色(けしき)を見ていたが、ふと、おじいちゃんの様子が気になってちらりと見た。出発前(しゅっぱつまえ)はたしかに起きていたが、今は静(しず)かに眠(ねむ)っている。こうして見ると入院(にゅういん)するほどじゃないって思うのに、お父さんもお母さんも心配(しんぱい)しすぎだよ。それになんで、ぼくまで病院(びょういん)に行かなきゃいけないんだ。
「……遊びに行こうとしていたのに、ごめんな。でも、おじいちゃん大変(たいへん)だから仕方ないんだ。」
運転中(うんてんちゅう)のお父さんがぼくに話しかけてきた。きっと、ふきげんそうに口をとがらせていたから、それが伝わったのだと思う。
「お母さんから、最近(さいきん)遅(おそ)くまで学芸会の練習(れんしゅう)か何かで遊(あそ)びに行けてないって聞いている。だから、悪(わる)いとは思っている。けど、わかってほしい。」
わかってくれ。って、なにを? ぼくのことはこれっぽっちもわかってないのにくせに。そんなのおかしい。だいたい、まだ八歳になったばかりなのに、そんなむずかしいことを言われてもわかるわけがないじゃないか。だけど、それを言ったところでおこられる。いつものパターンだ。
「……もう、いいよ。気にしてないから。」
本当はちっともよくない。でも、おこられたくないからイイ子のフリをする。
お父さんもそれっきり、ぼくに何も言わなくなった。ぼくもそっぽを向いたように、ずっとまどの外を見つめていた。
病院(びょういん)に着(つ)くと、おじいちゃんは看護師のおねえさんに連れられてどこかに行ってしまった。お母さんとお父さんもぼくをイスに座らせておねえさんと話をしている。正直(しょうじき)、めちゃくちゃヒマだった。だって、まわりを見てもぼくと同い年ぐらいの子なんて一人もいないんだよ。テレビも映(うつ)っていたけど、つまらないニュース番組(ばんぐみ)だったし。せめて、NHKの『おかあさんといっしょ』だったら、そこまでタイクツしないかもしれない。
ダラダラと時間だけが流れて、やっとおじいちゃんが入院(にゅういん)する病室(びょうしつ)に行くことになった。
おじいちゃんは、まど側のベッドで外を見ていた。
お父さんとお母さんが声をかけて、三人だけで話しを始めた。ぼくにとっては何も面白くもない話だったので、またもタイクツになった。
ホント、はやく帰りたい。ぼくだけがソンしているだけだし、元々好きじゃないおじいちゃんと話すことなんて、何もない。これなら、家でるすばんをしていた方がずっとマシだ。
「ユウヤ! そんなにおじいちゃんのお見舞(みま)いするのが嫌(いや)なのか⁉」
どうやら、考えていたことが顔に出ちゃっていたらしい。お父さんにおこられてしまった。いつものぼくなら、ここでイイ子のフリをして、あやまることができたかもしれない。けど、ぼくにはもう、フリをすることもできなくなっていた。
「だって、ぼくだけずっとタイクツなんだもん! お家(うち)に帰りたい。」
「まぁ! そんなこと言ったらおじいちゃん悲しむでしょ! おじいちゃんに謝(あやま)りなさい。」
お母さんまでもぼくをおこった。
うつむき、くちびるをかみしめる。ココに来たくて来たワケじゃないのに、なんでおこられなきゃいけないんだ。
「なんだその顔は⁉ 文句(もんく)があるならはっきり言いなさい!」
「いい加減(かげん)にしなさいユウヤ‼」
どなり声が病室にひびき渡(わた)る。
大粒(おおつぶ)の涙(なみだ)が目からあふれ出た。だって、ぼくはなにも悪いことしてないじゃん。なんで、ぼくばっかりおこられなきゃいけないんだ。くやしくて悲(かな)しくて、ぼくの味方(みかた)をしてくれる人がここにはだれもないのが何よりも辛(つら)かった。
「ゲホッゲホッ! わしはそんなに気にしとらんから、怒(おこ)らんでええよ。それよりも静(しず)かにしてくれた方がうれしいわい。」
苦(くる)しそうに激(はげ)しくせき込むおじいちゃん。
お母さんとお父さんは泣き出すぼくを放(ほう)って、あわてておじいちゃんの背中をさすり、看護師のお姉さんを呼(よ)んできた。
結局その日は、すぐに帰らされた。とうぜん、帰りの車の中でぼくは先に増(ま)して、こっぴどくおこられた。涙(なみだ)が枯(か)れるまで泣(な)き、家に着くと夕食も食べる間もなくぐっすり眠(ねむ)ってしまった。
次の日から、放課後(ほうかご)はおじいちゃんのおみまいに通うことになった。
先生からも学芸会の練習(れんしゅう)は特別に出なくていいって言われ、サイアクだった。
だって、あんなに練習していたのに出られなくなるのはツラかったし。練習を通して、鬼頭(おにがしら)やクラスメイトとも少しずつなかよくなっていたのに、あんまりだ。
おかげで、鬼頭とのやくそくも半分守(まも)れなくなったせいで、うらまれてしまったし。またも〈オカマ〉呼ばわりされるようになった。
あげくのはてには他のクラスメイトたちからも「サボりオカマ!」と勝手(かって)なことを言われてしまうし。家に帰ってもすぐに病院(びょういん)に行かされてしまうので、結局(けっきょく)公園に遊びにいけない。
むしろ、ぼくだけがソンをしている。鬼頭(おにがしら)もみんなもぜんぜんわかっていない!
それに、おじいちゃんのおみまいに行ったところで何もすることはない。おじいちゃんは静(しず)かに眠っていて、ぼくから話しかけても、うんともすんとも言わないのだ。
これなら、遊びに行けなくてもゼッタイ学芸会の練習をしていたいね。
それでも、ぼくなりによくガマンしてたと思うよ。一日、二日じゃなくて月曜(げつよう)から土曜(どよう)までの六日も!
だけど、久しぶりの休みの日なのに、またも遊びに行くのはおあずけとなって、おみまいに行くことになった。
結局(けっきょく)、おじいちゃんの病室(びょうしつ)に行っても、やることがなくてタイクツなだけ。ずっとガマンしてきたけど、限界(げんかい)だった。だから言ってやることにした。
「おじいちゃんのおみまいなんか、もう行きたくない。」
そしたら、予想(よそう)どおりお母さんはすごいおこった。でも、ぼくだっておこってるんだ。
お母さんは「こっちに来なさい。」と言って、病室からぼくを外に出そうと、ウデをつかんだ。とっさにふりはらおうとするが、大人の強い力にはとても抵抗(ていこう)することができず、なされるがままに外に連れ出されるぼく。くちびるをかみしめ、今までガマンしていたものが今にも爆発(ばくはつ)してしまいそうだった。
病室(びょうしつ)のトビラが閉(し)まると、お母さんは腕(うで)を乱暴(らんぼう)に放し、にらみつけた。ぼくも負けじとにらみ返す。
「どうしてそんなわがままいうの⁈ ユウヤはおじいちゃんがそんなに嫌(きら)いなの⁉」
お母さんの声が病院(びょういん)にひびく。学校の図書室のように静かだったので、より迫力(はくりょく)が増(ま)してこわかった。しかし、こんなことでぼくのイカリはおさまらなかった。っていうより、フマンをぶつけなければ気がすまない。
「……きらい。」
お母さんの目がカッと見開(みひら)き、そして、
ぼくの頬(ほほ)をぶった。静かな廊下(ろうか)にたたいた音だけが聞こえた。
「おじいちゃんなんてきらいだ。けど、お母さんもお父さんもみんな大きらいだ‼」
涙(なみだ)をこらえ、じりじりと痛(いた)む頬(ほほ)をおさえて叫(さけ)んだ。
再び、頬(ほほ)に痛(いた)みが走った。とうとう、こらえ切れなくなった涙(なみだ)がタキのように流れ落ちた。
なんで、きたくもなかったのにムリヤリおみまいに行かされて、ぶたれなきゃいけないんだ。
おじいちゃんがぼくのことがきらいなように、本当はお母さんもお父さんもぼくのことがきらいなんだ。
きっと、ぼくのことなんてどうでもいいんだ。
ぼくは気がついたら、走りだしていた。涙(なみだ)だけじゃなく鼻水(はなみず)もたれ落として、走った。
おじいちゃんなんて、きらいだ。お父さんもお母さんもきらい。ぼくよりも大きらいなおじいちゃんを大事にするなんて、そんなのオカシイ!
ぼくは産まれて初めて家出をする。みんな大きらいだ!
日が落ち、町には電灯(でんとう)が灯(とも)る。誰(だれ)もいない寂(さび)れた公園。ペンキがはがれて鉄がむき出しとなったジャングルジムがひっそりとそびえ立つ。ひんやりと冷たい秋風がブランコをゆらし、サビがかかった部分がこすれる音をたてる。ぽつりと空(あ)いたベンチには枯葉(かれは)がたまっていた。
ぼくは落ち葉をどけずにベンチにすわっていた。おしりに少し湿(しめ)った気持ち悪い感触(かんしょく)がしていたが、どうでもいいことだった。
「おじいちゃんのばか、お母さんのばか、お父さんのばか……。」
ベンチにうずくまり、何度もうわごとのようにつぶやいた。
久しぶりに来た公園には、オカマのおじさんはいなかった。日が落ちてしまったから帰ってしまったのだろうか。家出すると決めたはいいが、ぼくはこれからどうしたらいいかわからなくなってしまっていた。そろそろ、おなかがすいてきたが、食べものなんて何も持っていないし。一度、食べものを取りに家に帰るわけにはいかない。
そんなことを考えていると、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。この公園には雨(あま)宿(やど)りができそうな屋根はない。走って家に帰ればそんなにぬれないかもしれないが、やはり、それはしたくない。
むしろ、あんな家ゼッタイ帰るものか!
ぼくは身体を丸め、雨を耐(た)えるように体育(たいいく)座(すわ)りをとった。どうせ、すぐに雨は止(や)むだろう。
辺りは暗(くら)く、すっかり大人(おとな)の時間になっていた。予想が大きくハズレてしまい、雨が激(はげ)しくぼくの身体を打ち付ける。
あーあ、ついてない。家出したその日に雨なんて。もし、これでカゼでも引いたら、どうしよう……。
ふと、ぼくの身体(からだ)を打ちつける雨が止んだ。なんだろう?
うつむいていた顔を持ち上げ、見上げてみると、そこには大きな灰色の傘(かさ)があった。
「そんなところにいたら、ユウヤくん風邪(かぜ)をひいちゃうわよ?」
低くかすれ声をしていたが、聞き間違えるはずがない。オカマのおじさんの声だった。その瞬間(しゅんかん)、ぼくは涙(なみだ)があふれ出てきた。
「あらあら、急に泣き出してどうしたのよ?」
ぼくはオカマのおじさんに抱(だ)きつき、思いっきり声をはりあげて泣いた。それこそ、体のどこかがやぶれてしまいそうなぐらい泣(な)きじゃくった。
だって、ずっとずっと会いたかった親友(しんゆう)が来てくれたんだよ。こんなにうれしいことはないよ。
「よしよし。ユウヤくんは良い子だから。アタシはここにいるわよ。ずっと、キミのそばにいるから……。」
オカマのおじさんはぼくの頭をずっとずっと優(やさ)しくなでてくれた。
ぼくは雨にまみれ、涙(なみだ)と鼻水(はなみず)でぐちゃぐちゃになってしまっていた。それもあって、正直、オカマのおじさんを一度もちゃんと見ることは出来なかった。でも、今までで一番近くにオカマのおじさんを感じることができた。すごくあたたかくて、安心できたんだ。
いつまでも……。いつまでも……。
オカマのおじさんだいすき。ありがとう……。
気が付くと、ぼくは家のベッドに寝(ね)かされていた。起き上がってみると、なんだか身体(からだ)が重く、がんがんと頭痛(ずつう)がする。どうやらぼくはカゼを引いてしまったらしい。
ひどくのどが乾(かわ)いて、のろのろと台所に向かった。コップに水道(すいどう)水(すい)を注(そそ)いで一気に飲み干(ほ)す。ふと、時計に目をやると午前七時を回ったところだった。七時だったらちょうどお母さんが朝ごはんの準備(じゅんび)をすまし終わっている頃(ころ)だろうが、お母さんの姿(すがた)が見えない。お父さんもダイニングで新聞紙(しんぶんし)を広げているはずなのに、その姿(すがた)もない。
不思議(ふしぎ)に思ったぼくは家中探(さが)し回ったが、両親はいなかった。なんとなく不安な気持ちが込(こ)み上げてきた。
それにぼくはあの公園にいたはずだ。いつ、どうやってあそこから帰ってきたのか、さっぱり覚えていない。思い出そうとしてみたが、やはり覚えているのは雨の中、オカマのおじさんに会って、思いっきり泣いたところまでだ。ぼくは思い出すことをあきらめて、ベッドに戻(もど)った。
ベッドまで戻(もど)ると、先ほど起き上がった時は気が付かなかったが、置手紙(おきてがみ)のようなメモ用紙がそっと置かれていた。
『こんやがおじいちゃんのびょうきの山だそうなので、私たちはびょういんに行ってきます。朝には帰ってくるので、だいじょうぶだと思うけど、何かあったらケイタイにかけてください。PS、昨日はびょういんでぶったり、どなりつけたりしてごめんね。お母さんより』
玄関(げんかん)のドアが開く音がした。どうやら両親が帰ってきたらしい。
帰宅(きたく)したお母さんたちから、おじいちゃんは亡(な)くなった。と、伝えられた。高熱(こうねつ)でぐったりと眠っていたぼくは、天国に旅立つおじいちゃんを見送ることはできなかったが、それでもいいと思っていた。
天国に旅立つ際(さい)にお母さんやお父さんたちはともかく、ぼくなんかに見送られたってうれしいはずがない。第一、おみまいに行っていた時、ちょっとでもぼくが来て喜んでいた様子すらなかったのだから、逆に迷惑(めいわく)だと思っていたに違いない。
なんにしても、おじいちゃんが死んでしまったという実感はまるで湧(わ)かなかった。ただ、おじいちゃんから、もうおこられる心配はなくなったと安心して、深い深い眠りについた。
その後、風邪(かぜ)が治るまでの数日間は学校を休んだ。ぼくがカゼのウイルスと戦(たたか)っている間におそうしきの準備が行われたらしい。
ぼくの身体にいたウイルスを全部やっつけたら、学校ではなく、おそうしきに出ることになった。
もちろん、人生(じんせい)初(はつ)のおそうしき。みんな黒い服を着ていて、まるで死神の行進(こうしん)みたいだと思った。ぼくの知らないおじさんやおばさんが、おじいちゃんが入っているヒツギに花を入れながら、涙(なみだ)を流している。おじいちゃんってこんなにもともだちがいたことには少しおどろかされた。
そして、いよいよぼくが花を入れる番になった。ヒツギに入ったおじいちゃんは見たこともない真っ白な浴衣(ゆかた)のような服をきていた。あとで「フキンシンだ!」お母さんにおこられるかもしれないけど、顔を見た時、思わず、ぎょっとしてしまった。
だって、寝ている時とは明らかに違うんだよ。いつも見ていたはずなのに、ぜんぜん違くて。
なんか、昔小一の夏休みの自由研究で作った昆虫(こんちゅう)のひょうほんみたいに横たわっているんだもん。動き出すはずはないとわかっていたけど、こわかった。
やがて、家にはおじいちゃんの仏壇(ぶつだん)が立った。だけど、これといってぼくの家には、他に大きく変わったことはなかった。お父さんはいつも通り会社に行っていたし、お母さんも変わらずご飯や洗濯(せんたく)などでいそがしそうにしているだけだ。
ぼくはというと、おじいちゃんからおこられることがなくなったので、のびのびできるぐらいだ。
毎朝起きたら、きちんとあいさつをしなかっただけでおこられることもなくなったし、食べ方やきらいな食べ物を残していることにいちいち文句(もんく)も言われない。テストで悪い点を取ってしまってもおこられない。
あぁ、なんて気楽なんだろうか。
でも、学校の方は最低だったよ。例の学芸会の練習(れんしゅう)も出れなかったし、本番の当日もカゼで休んだこともあって、前に増してイジワルされた。たとえば、今朝なんて机の中にゴミがつめこまれてあったし。
鬼頭(おにがしら)だけではなく、みんなからも「サボり魔(ま)でオカマのユウヤ」とバカにされる。先生がすぐに注意(ちゅうい)してくれるけど、次の休み時間になったら、またバカにしてくる。イカリが爆発(ばくはつ)してしまいそうだった。
ただ、本田さんはたまに声をかけてくれた。しかも、気づかってくれて、正直(しょうじき)、それだけが救いだった。
「――ね。前にユウヤくんが話してくれたオカマのおじさんにも相談してみようよ!」
「オカマのおじさん……?」
放課後(ほうかご)の下校(げこう)とちゅうで本田さんからそんなことを言われて、ぼくは何のことかわからなかった。
「前にオカマのおじさんに相談したら、まほうがかかったみたいに鬼頭くんたちとも仲よくなれた! って言ってたじゃない?」
そこまで聞いて、ぼくはやっとオカマのおじさんの存在を思い出した。
なんだかんだでオカマになりきれないところがあって、少しぎこちないオカマ口調とかちょっと笑えるけど、優しいぼくのたった一人のともだち。
そういえば、おじいちゃんが死んじゃってからは会っていない。なんで今の今まで忘れて、会いに行こうとも思わなかったのだろう?
本田さんとわかれて、家までソッコウで帰って来たぼくは、部屋にランドセルだけ置いて、出掛(でか)けようとした。
「ユウヤ、どこか行くの?」
「うん。ちょっと公園に遊びに行ってくる。」
げんかんのドア口でお母さんに引き止められてしまった。
なんてことはない、いつものやり取り。
ぼくはてっきり会話は終了したものだと思っていた。だが、
「……その公園って近所のさいの目公園っていう、寂(さび)れた公園?」
一瞬(いっしゅん)、びっくりしすぎてしんぞうが飛び出るかと思った。お母さんはあの公園のことを知っているわけがない。だって、いつも行っているスーパーとは全然(ぜんぜん)ちがう方角(ほうがく)だし。それに、ぼくが行こうとしていた場所をぴたりと言い当てられれば、びっくりもする。
「……うん、そう。ぼく、急(いそ)いでるから。いってきます!」
なんとなくイヤな予感もしたし、一秒でも早くオカマのおじさんに会いたかったから、お母さんから逃げるようにげんかんのドアに手を掛(か)けた。
「待ちなさい! 行っても、会えないのよ……。」
ぼくの手はぴたりと止まってしまった。まるでカナシバリにあったかのようにうでが動けなくなってしまったのだ。
「会えない……? 会えないって、どういうこと?」
おそるおそる振(ふ)り返ってみると、お母さんは泣いていた。
なんで泣いているのか、ぼくにはさっぱりわからなかったが、タダ事じゃないことだけはわかった。
「前に話していたオカマの人に会うつもりだったんでしょ? オカマの人にはもう、絶対に会えないからよ。」
涙(なみだ)ながらに言うが、さっぱり言っている意味がわからない。いや、わかりたくない。
「あのオカマの人は、オカマの人はね。……あなたのおじいちゃんだったからよ。」
とたんに頭が真っ白になった。ぼくの頭がそれを受け入れまいとシャッターを下ろしたのだ。
「だから、絶対にもう会うことはできないのよ。」
うそだ。うそだ。うそだ。うそだ!
「いい、ユウヤ。よく聞いて。」
いやだ。聞きたくない。
「ユウヤは知らなかったかもしれないけど、おじいちゃんは誰(だれ)よりも貴方(あなた)のことを愛(あい)していたのよ。」
「……うそだ。だって、いつもぼくに意地悪ばかりして、おこってばかりだったじゃん。」
「それは違うのよ。おじいちゃんはユウヤがどこに出しても恥(は)ずかしくない立派(りっぱ)な子にしてやろうと、心を鬼(おに)にしてやっていたことなのよ。」
それもうそだ。ぼくはそんなの信じない。
「それに、いつもおじいちゃん叱(しか)った後にユウヤをまた泣かせてしまったって、後悔(こうかい)ばかりしていたのよ?」
お母さんはぼくを諭(さと)すように、おじいちゃんの真実(しんじつ)を話し始めた。
引っ越(こ)して来るだいぶ前から、孫(まご)のぼくと一緒(いっしょ)に暮(く)らせることをとても楽しみにしてこと。
しかし、ぼくが今までの友達がいなくなって寂(さみ)しがっていたことや学校で友達がなかなか出来ずにいたことも、全部おじいちゃんは知っていたらしい。
「ホントはね。おじいちゃんすごく心配していて、自分じゃどうすることもできないってお母さんに相談しにきていたのよ。」
全然知らなかった。
「それで、ジョソウ?」
「……そうよ。お母さんも『ちょっと変装(へんそう)するだけでいい』って言ったのに、おじいちゃんったら『こうでもしないとユウヤにバレてしまって、それじゃあの子の前で素直になれそうもない。ワシはユウヤの味方になってあげたいんじゃ』って聞かなくって……。」
全部、なぞがとけた気がした。どこかおじいちゃんに似ているわけだ。だって、本人なんだもん。
「あとおじいちゃんね。しばらくしたら『やっと、孫の悩みや心の底からの笑った顔を拝(おが)むことができたわい』って寂(さび)しそうに笑っていたわ。」
「そう、だったんだ……。」
お母さんの話は受け入れがたかったが、逆にぼくの心にずっしり重く突(つ)き刺(さ)さるかのように届(とど)いた。
思い返せば、いつもおじいちゃんに叱(しか)られていたが、本当は理不尽(りふじん)におこられたことはなかった。それどころかおじいちゃんは一度だって、手をあげたことすらなかった気がする。
それに、いつも見守ってくれていたのもなんとなくわかる。
ジョソウしてオカマのおじさんになっていたのがおじいちゃんだったからこそ、すぐに打ち解けることができたのかもしれない。
学校で仲間外れにされて、からかわれて、いじめられていることを話した時に怒(おこ)ってくれた顔。ぼくに優しく微笑(ほほえ)んでくれた時のオカマのおじさんの顔とおじいちゃんの顔が、ぼくの頭のなかで重なった。
気が付くとぼくの目から垂(た)れ落ちた涙(なみだ)が頬(ほほ)を伝っていた。
お母さんの話には、まだ続きがあった。
それは、おじいちゃんが天国に旅立つ間際(まぎわ)でも、ぼくのことを思ってくれていたことだった。
おじいちゃんが入院(にゅういん)したあの日、お母さんとお父さんは病院(びょういん)でぼくのワガママをおこった。だけど、そのあとおじいちゃんがお母さんとお父さんをおこった。それも、ぼくの時とは比べものにならないぐらい顔を真っ赤にさせて、おこったらしい。
「あの時のおじいちゃん、本当に怖(こわ)かった。私、こんな歳(とし)になって泣(な)かされちゃったもの。」
あのお母さんが? とても信(しん)じられない。
「それでね。怒(おこ)られたその日から、おじいちゃんの病気(びょうき)が一気に悪化しちゃって、結局最後は目を覚ますことなく、天国に旅立っちゃったんだ。」
「……だから、もう会えない、ってこと?」
ぼくは涙(なみだ)をすすって、お母さんに聞き返した。
「そうよ……。大好きだった、おじいちゃんは、もう……。」
お母さんはぼくを思いっきり抱(だ)きしめてくれた。
うそだ。うそだ。と思いたくても、思い出せば出すほど、お母さんが本当のことを言っているように思えてくる。
おじいちゃんはぼくのことがきらいだって? ジョソウをしてまでぼくの味方をしてくれたじゃないか。そんなの、ぼくのことが大好きに決っているじゃないか。
なのに、ぼくはなにも気付かずにいっぱいひどいことを言ってしまった。
『おじいちゃんなんて大きらいだ!』
最後の最後になんてことを言ってしまったのだろう。
本当はいつもいつもぼくを見守ってくれていた。誰(だれ)よりも思って、大切にしてくれていた。なのに、ぼくは!
両親からおじいちゃんが死んだことを聞かされた時も、おそうしきの時ですら一(いっ)滴(てき)も涙を流すことはなかった。
それが今、大つぶのしずくとなってこぼれ落ちる。まるで、降り積もった雪が溶けて水びたしになるように、顔中びしょびしょだった。
頭の中がぐちゃぐちゃなって、しまいには大声で泣(な)き叫(さけ)んでいた。後悔(こうかい)ばかりがぼくを責めたてる。
散々(さんざん)ひどいことを言ってしまったのに、おじいちゃんはやさしかった。絶対、傷つけてしまっていたのに……。
おじいちゃん、ごめんなさい。
あの時、言ってしまった『大きらい』を全て『大好き』と、言い換(か)えられたらいいのに。
なんで、最後の最後まで、おじいちゃんの本当の気持ちに気付(きづ)いてあげられなかったのだろう。
ぼくはずっとずっと泣き続けた……。
粉雪(こなゆき)が舞(ま)った。街全体にうっすら雪化粧(ゆきげしょう)がかかる。今年の初雪(はつゆき)は身の丈(たけ)ほどの大きな雪だるまを作れるほど積もることはなかったが、ぼくたちのテンションを上がるのには十分であった。
「ユウヤくん私と一緒(いっしょ)に小さくて可愛い雪だるま作ろ!」
「違うよ。ユウヤはおれたちと雪合戦するんだ!」
半年前まで誰(だれ)もよりつかなかった寂(さび)れたさいの目公園は大いににぎわいを見せていた。
そして、その真ん中にぼくがいるなんて、ちょっと前には信じられないことだ。
おじいちゃんの秘密(ひみつ)を知ったあと、少しだけ強くなった。もう、仲間外れにされようが、イジワルされようが、何を言われてもへこたれない。
勉強も誰に言われなくても自分からしてみた。苦手だった算数も今では得意だ。
教室掃除(そうじ)やクラスのことも積極的(せっきょくてき)に取り組み、自然と先生に褒(ほ)められるようになるのにそんなに時間はかからなかった。
ぼくと同じように鬼頭(おにがしら)に目をつけられていた子がいたら、勇気を出して味方になって、助けてあげる。そして、おじいちゃんがやってくれたように話を聞いてあげるのだ。まぁ、さすがにジョソウはしなかったけど(笑)
いつの間にか、ぼくはクラスの人気者になっていった。
そのコロぐらいから、鬼頭のゴカイも解(と)けて、あやまってきたのだ。今ではおたがいにトモダチと呼べるカンケイになっていた。
……まぁ、本田さんに告白(こくはく)大作戦はいまだだに、けいぞく中。色々がんばっているけど、むずかしい。
「アタシも応援しているわよ。頑張って!」
ふと、ハイゴからなつかしい声が聞こえた気がしてふりかえってみた。しかし、そこには、かつてオカマのおじさんが座っていたベンチがぽつんとあるだけだった。
「――おーい、ユウヤ。どうかしたか?」
「……なんでもないよ。」
「?」
「よーし! せっかくだから、みんなで雪だるまも雪合戦もするわよ!」
「……ユウヤくんって、なんか口調がたまにオカマっぽくなるよね。」
大好きなおじいちゃん、ぼくは元気です。
大好きなおじいちゃん、ありがとう。
あの日、雨の中からぼくを守ってくれて、ありがとう。
これからも、ずっとぼくのことを見守っていてください。
おじいちゃん、大好き。
終わり。
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