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「旅の終わりのエモーション」

 旅する日々は、時がゆるやかに流れて行く。まるで起きて見る夢のよう。あわただしい日常に戻りたくない。

九月十日、きれいな夜景を見せたいからと、車を走らせてくれたのは義弟夫婦。二人は中学からの同級生。結婚し、子宝には恵まれなかったけれど、いつみても仲がよく、二人は磁石のようにくっついている。

ポッツオリに住む夫の親族は結束が固い。惜しみなく助け合い、どのようなことも自分のことのように心配する。
私が病気の時も、何度も電話をくれ、もっと近くにいたらすぐに飛んでいけるのに、くやしいと力づけてくれた。

昨年の夏休みは夫もいっしょだった。みなで10日ほどナポリの海に行った。義姉は、全身に日焼け止めを丁寧に塗ってくれた。
「こんな体になって悲しい。」と私が言うと、「きっとよくなる、また元に戻れるから。そんなふうに言わないこと!こんなきれいな足をしているのに!」と笑った。
病気で、体重が激減していた。
私ならそんな励ましの言葉は言えない。

体力もなく、泳げないというと、義姉はすかさず手を取り、腰まで浸かりながら波の間をしばらく並んで歩こうと言った。その時たくさん話をし、たくさん笑った。
私は彼らのように感情をそのまま表せない。

今も忘れられない大切な思い出の数々はめぐる走馬灯。


「山の手の教会が青く見えるでしょ?」遠くの景色を撮るのはうまくいかないと文句を言う義妹のそばで、義弟が苦笑しながら、「遠くなくても、うまくいってないね」。
素敵な一枚が撮れたと大喜びする妻に義弟はやさしい眼差しを注ぐ。
月明かりの下で、寄り添う二人は何ものにも代えがたい輝きを放っていた。

ポッツオリから西へ9kmほど海岸沿いを走るとバーコリと言う町。そこにあるミセノ湖は、火山の爆発でできたらしい。今はシーズンオフで人影はほとんどない。静まりかえった公園の木々は息をひそめているようだった。

湖畔の夜景を見るのは、はじめてだった。 入江の向こうの岸辺に灯るイルミネーション。靄にけむる湖を美しく彩っていた。

夜のとばりに包まれる。
イタリア語の一つひとつが最良の音を奏でているようにきこえる。目にみえる何もかもに見入ってしまう。

旅の終わりに、夜の湖畔にたたずむ人となった私は、いにしえを訪ね、ときをめぐり、かいま見たうつくしさの、ことばを探している。



stand.fm2024.09.16投稿

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