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「ローマの思い出」

二週間の休暇の初めにローマに来た。 一週間、観光すると決めたけれども、前もって考えず、その日その日で、行きたいところに行くという曖昧さ。
それというのも、ほんとうのお目当ては観光より、毎週リモートで語学の交換授業をやりとりしているミケーラさんに会うためでもあった。彼女は契約社員として、コールセンターで働いている二児の母。
初めて会うミケーラさん。カメラ越しの印象よりおおらかで明るい。よく話し、よく笑う。少し短気だが、はっきりものを言い、「隣人」をこよなく愛する人柄。 笑顔が幼い少女のよう。清らかな、明るい栗色の瞳の色をしていた。
好奇心に満ちていて、「知りたい、しゃべりたい、分かりたい」とキラキラ輝く瞳。

出会いとは、七十億人の中で、限られている。探しても見つからず、会えない人もいれば、偶然に出会うつながりもある。そのどれも、予想や、予感を越えてしまい、新鮮なおどろきをもたらしてくれる。 誰と、いつ、どこで、どんなふうに出会っても、出会いには新しい風が吹く。予想外の方角から。

昨日、トレビの泉に行った。旅行客で溢れかえっていた。行き交う人の話す言葉は多種多様で、耳が混乱する。それが心地いい。

なぜなんだろう。 お天気も良好、体調も良くて、疲れも感じない。お腹も空いてない。なんだか嬉しくて飛び跳ねる気分で見てまわった。
歴史的建造物は、どれもこれもあいさつしてくれる、小さなきらめきを放つ、おはようの声のように。「あなたは元気か、」と聞く。私は返す。「あなたを愛している。」と。
見るものすべてが、生きて呼吸をしているようだ。

その昔、初めて訪れたローマは活気があり、青く、輝いていた記憶がある。 あらゆる可能性や、未知なる世界を感じさせる魅惑の都市のように感じた。

今、時を経て訪れたローマは、熟年の艶や重みを感じる街だった。
年輪のように歴史を刻み、穏やかに笑う老人の豊かなふところのように、すべてを包み込むいにしえの都のたたずまいを感じた。



stand.fm2024.09.09投稿


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