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光の屈折と心模様


プリズムを見ている。 

ガラスのかたまりを通ると、透明な光の正体は、あからさまに虹色に屈折して、心には別世界が広がっていく。

スペクトルの淡さに、魅せられて、曖昧な夢をみている。

心の中のゼンマイ仕掛けの時計を巻き戻し、そっと触れて見る。

遠すぎて届かなかっただけでなく、まぼろしとなって目の前にあらわれ続けた、唯一の美しい瞬間なのだ。

数分間。
愛情に包まれ、つかのまのひとときに身をまかせても、だれからも叱られることはない。

田舎の夜空は、明るい月と満天の星。淡い暗がりに囲まれて眠りにつく。
いつも時間はゆっくり静かに流れていた。

あけ放った縁側と、土間の玄関。
新しい畳のいぐさの匂い。蚊取り線香のけむりはほそく漂い、家具のない部屋にきちんと畳まれた敷布団と夏の薄い掛け布団。
おばあさんは、アイロンなしで洗濯物を綺麗に仕上げる。
パン、パーンという音を庭にひびかせ、シーツを叩く。大きな足と大きな手。働き者の背中を飽きずに眺めていた。

川べりに行く長い道のりを、水汲みの桶をかついだおばあさんは、裸足同然のサンダルで歩く。畑に水をまく。朝も夜もおばあさんは働く。笑ったところを見たことがなかったけれども、白髪いっぱいの後れ毛を、耳にかけ直す仕草が好きだった。この人は強くて優しい、そう感じ取れた。

思い浮かぶ人びとの顔や声。時空を超えた存在はまだ、わたしのそばで生きていて、あの頃の思い出を語る時、懐かしさで胸がいっぱいになる。

その時は気づけなかった心模様。
強くやさしい愛情に包まれていた。

おじいさんはキセルをふかした。

丑年に生まれたから、名前に丑が付いていた。
メジロをこよなく愛するおじいさん。寡黙な視線はこの小さな生き物たちをいとおしむ。
手作りのカゴの中で飛び回るのを目で追いながら目を細めていた。
毎朝、手のひらよりも大きい濃い緑色をした葉っぱをすり鉢で擦り、ドロドロにしてメジロに与える。わたしはこの仕草がお気に入りだった。灰色ががった目からはやわらかい光が放たれていた。

光の屈折と心模様。
光の中にいるだけで、悲しみのすべてを忘れる。

音も温度もないはずなのに。
やわらかくてつよい、確かなもの。

時を超え、カタチのない真実は、光の中に見えるもの。限りなく透明な、心にひろがるわたしだけの優しさ、愛そのもの。


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