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何度でもあなたに会えますように

屋久島の弥生杉が倒れた、というニュースをたまたま目にして、しばし静かな喪失感を味わった。20代の半ば、数ヶ月ほど屋久島に滞在しながら、屋久島中の山を登った。その中でも、もっとも数多く足を運んだのが、白谷雲水峡だった。住み込みのバイト先からバスに乗って、登山口で降りたらストレッチをして、駆け出した。弥生杉のあるあたりは人気のないコースで、太鼓岩を目指すほとんどの観光客はやってこない。ちょっとした穴場でもあった。

弥生杉のそばに座って、ただ静かなおしゃべりに興じたこともあった。スケッチブックを開いて、太い幹をひたすら描いたことも。手を伸ばし、肌に触れて、わけもなく泣いたりしたこともあった。木を前にすると、心は存分に開かれ、溢れる気持ちはどこまでも広がって霧散していった。木は、ドアでもあった。とても安全な、世界への扉だった。

20代の終わり頃、再び屋久島を訪れたとき、五年ほどの間に幾つかの木が倒れていた。国立公園内のため場所は言えないが、とある森の中の巨大なガジュマルに再び会えることを期待していた私にとって、そのガジュマルはすでに土に朽ちているのを知らされた時は、いつの間にか友人が亡くなっていたのを知らされたような、言いようもないショックを味わった。

人生の中で何度か、こうした喪失感を味わってきた。そしてこの感じを味わうたびに、木は死なないのに、と思った。木は、死なない。倒れても、またその朽ちた体から蘖が生じて、長い年月をかけてまた大きくなっていく。木の死は、サイクルの一部であり、木が死んだと思うのは、やはり人間の死生観による投影にすぎないのかな、とふと振り返る。

なら、この喪失感を、どう説明したらいいんだろう。

私には、「お母さん」と呼ぶべき木がある。どこに生えているかは秘密だ。どの木かも言わない。ただ、ある山奥に生えている樹齢1200年程度のその木は、今も新芽を伸ばしている。これほど大きな木は、大抵神木として守られる。確か、県の天然記念物に指定されていたと思う。

いつだったか、その木の根元でぼんやりしていた時、不思議なイメージが溢れたことがあった。はるか昔、この土地を訪れた修行者が、土の中から美しい光が天に伸びているのを見上げ、そこに木の苗を植えた。男はその木を目印にして、再びこの地に生まれてくる、と祈った。白昼夢のような想像だった。

私は目を開いて、なぜだか懐かしい思いが胸いっぱいに広がるのを感じた。青々とした枝葉を見上げ、それまで「お母さん」に見えていたこの木の、幼い姿を思った。途端に「お母さん」はまるで、自分の子供のような気がした。もしあの夢が私の前世で、数千年の時を経て、こうして再びこの木と再会できたのなら、なんだか素敵じゃないか、としばし想像を楽しんだ。私は、この木のそばで生まれ育った。

その時から、私の想像の中で、その修行者と自分が仲良く手を繋いだ感じがした。想像の中の不思議な出会いが、次元を超えた不思議な縁が、一本の木という確かな実存の前で、同じくらい確かな実存を呼び起こしたような、気持ちよさが込み上げた。

そしてふと思った。木は、時空を超えた生き物なのだと。

この夏も、私はその木のそばで過ごした。朝の涼しいうちに散歩に出て「お母さん」を見上げた。お母さん、と呼べる存在があることが嬉しかった。そして、私は彼女を母と呼ぶことによって、分かち難く結びついてしまってもいる。あの弥生杉が倒れたように、彼女にも同じ運命を辿る日がいつかはやってくるのかもしれない。

それを想像するだけで胸が潰れそうになる。だからこそ、彼女の死は、新たな命の土台になる、長い長いサイクルの一部だと自分に言い聞かせる。木を愛する人には、誰しにもこのような心があると思う。その死が未来につながることを、木を愛する人は知っている。そして、それを言い聞かせないと潰れてしまうくらい、ある木が生きることの支えになり、心の拠り所になることがある。

翻って、人も同じなのだが、人はこの時代と社会によって、土に溶けて死ぬことが叶わない。もし私も土の上で死ぬ時代を生きていたら、いつか彼女にも死がやってくることを、「言い聞かせる」ことをしなくても、ゆっくりと受け入れる心を持てていたのだろうか。

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