「すべて大事は皆小事から起こる」(『貞観政要』政体第二)
現代の主権者である皆さんと学ぶ、「主権者のための帝王学」。今回は『貞観政要』政体第二の第八章から。前回の記事はこちら。
大意
昔のことわざに、「危うくつまづきそうになときに手をとらず、転んだ時に助け起こしてやらないなら、付き添いなんかいらない」というものがある。
臣下は誠意を尽くして君主の過ちを正し、君主が危険になることから救わなくてはならない。
だから、臣下は正しい主張をし、思うところを遠慮なく諌めるべし。
君主が嫌な顔をしてもかまわずに諌めたり、君主の意向にさからったからという理由で、やたらに罰することはしない。
近頃、政治の決裁をしていたら、法律の定めに違反したものがあった。しかし、臣下はそれが小さな問題だからといってそのままにして、意見を主張していない。
すべて大事というのは皆小事から起こるもので、小事を放置しおけば、大事のほうはどうにも救いようがないところまでいってしまう。
国家が傾いて危険となるのは、こういうことが原因になるのである。
現代の主権者への教訓
我々の普段の生活でも、上司に意見をするのは勇気がいることですね。ましてや、小さな問題であれば「大したことじゃないから黙っておこう」という気持ちになるのも自然なことかもしれません。
しかし、そういったことの積み重ねが、徐々にルール違反の範囲を広げていき、気づいた時にはもう手遅れになっているということがあるのではないでしょうか。
昨今の自動車販売会社の例でも、はじめはちょっとしたルール違反だったのではないでしょうか。それを皆が黙認し、徐々に組織として法令遵守や倫理観といったものが弛緩していったのではないかと思います。
そして、これは政治家や官僚においても然りです。特に我々主権者として気をつけなければならないのは、選挙で選ぶ政治家です。
政治家は選挙を気にします。国家にとって問題があっても、小さなことであれば取り上げない方が有権者の受けがいいと思いがちです。政府のちょっとした法令違反、ちょっとした不正な支出。こういったことを指摘すると「重箱の隅をつつくような話だ」と我々は「嫌な顔」をしていないでしょうか。
そんな顔をして、そのような指摘をした政治家を煙たがり、選挙で選ばないようなことをしていたらどうなるでしょうか。そして、問題を見せず、耳に聞こえのよい話ばかりする政治家ばかりを選んでいたらどうなるでしょうか。
すべて大事は皆小事から起こります。ちょっとしたことでも見過ごしていくと取り返しのつかない大事につながります。現代の主権者である我々は、ちょっとしたことでも法令違反などを指摘する政治家を大事にしていくことが必要だと、貞観政要は教えている気がします。