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オープンプラットホーム通信 第192号(2023.2.26)

オープンプラットホーム通信とは、福岡を拠点に活動していうNPO法人ウェルビーイングが毎月発行しているメールマガジンです。noteではバックナンバーを公開していきます。
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メールマガジンのコンセプト


初めての方へ
はじめまして。
NPO法人ウェルビーイングは、人々のwell-beingの実現するために自ら活動することを目指し、全国各地で活動している人たちを結び、集まり、分かち合い、元気になるオープンプラットホームの実現を目指しています。
well-beingとは、「良好な状態、安寧、幸福」という意味です。このメルマガでは、ウェルビーイングに集う理事や会員のそれぞれのウェルビーイングな日々やアンウェルビーイングな日々を綴ったエッセーをお届けします。

喫茶去 
第91回 よいということ(10)番外篇


古代インドの苦行者について考えてみる。かれらの苦行は「熱」(タパス)とよばれ、その行が激しすぎると周囲に熱がおよんであたりを焼いてしまい、へたをすると世界全体が滅びるという。そこでまわりの生きものたちの懇願を受けて、神々(とくに主神のインドラ)が、絶世の美女たちをおくりこんで苦行を妨げる。美女たちはふつう天女たちで、この天女と訳した語はアプサラスで、もとはといえば水の精だから、熱に水をかけようというのだ。『マハーバラタ』などの後代(といっても紀元前後)の叙事詩では、神々が苦行者に嫉妬してこれを落とす目的でと語られることが多い。おまけに天女たちは半神ガンダルヴァと対になって、配偶者をもたない遊女のあつかいを受けることが多いから、いわば格好の「誘惑者」として神々に使われる存在である。で問題は、その誘惑を退ける硬派の(というのか)苦行者たちもいることはいるのだが、多くはころっと参ってタパス(験力[げんりき])を失う羽目におちいるのだった。

「苦行」について知りたくて古代インドの物語群にわけいってみたのが半年前。素朴にまとめると、(1)だれもが苦行をする(神々も、行者も、王侯貴族も、魔物も)、(2)苦行をすれば願がかなう(条件つきの不死、長寿、繁栄、富)、(3)恩恵を与えるのは世界の主宰神ブラフマー(梵天)、(4)いったん約束された願の成就はいかに有力な神々でも、他の力ある苦行者たちでも廃棄できない。これらの条件から、苦行のはてに世界を征服する魔物たちがあらわれたのを、いかに英雄たちが神々の助けをかりて退治するかの物語が生まれる。ナムチ、ヴリトラ、ヒラニヤクシャ、ヒラニヤカシプ、ラーヴァナなど。典型的な例はヒラニヤカシプで、かれは弟ヒラニヤクシャがかんたんにヴィシュヌの化身ヴァラハ(ひと猪)に退治された教訓を生かして修行に修行をつみ、ブラフマー神との約束でほとんど不死の力を得て天界を支配するにいたる。ほとんどと云うのは「神にも魔物にも人にも獣にも、昼にも夜にも、家の内でも外でも地上でも空中でも、どんな武器によっても殺されない」という約束を交わしたからである。ところがこのすべての不死の条件をすりぬけるようにヴィシュヌの化身ナラシンハ(ひと獅子)があらわれる。黄昏時に、柱のなかから、ヒラニヤカシプの身体を膝にのせて、素手で腹を裂いたのだった。

そしてもうひとつの特徴は、(5)蓄積された力はなんらかの理由で流出するおそれがあること。流出の一場面は行者の呪いの発動で、これには神々も魔物もたちうちできないほど強力だとされるが、せっかくの力の喪失をおそれて多くの行者は忍耐してその流出をおしとどめている。もうひとつの場面が最初にあげた「誘惑者」で、この手の話は「インドラの恐れ」として多く語られる。主神の地位が脅かされるから、というのが分かりやすい説明であるが、はじめにあげたように世界が滅びてしまうからという背後の事情がある。ところで、聖仙とよばれる有力な苦行者に女性はふくまれない。女性の苦行者がいることはいるが、これが主人公となって神々が誘惑者を送りこむ物語は(筆者の知るかぎり)ない。なぜ、どのような仕組みでこうなっているのか。苦行をするのは男たちで、女たちがこれを妨げる、という図式は、分かるようで、ほんとうは気の遠くなるくらい分かりにくいありようなのではないか。

しかしいったい何が分かりにくいのだろうか。
ううむ。分からない。何が気になっているのかが、まだ自分でも分からないのだ。この場合、この時代はベタな男と女の問題だから、今日的な考え方はいっさいタナにあげる。そのうえで、苦行者文化のかかえる「色欲の忌避」は異様なまでに極端ではないか。キリスト教に見る聖職者の独身制、仏教の肉食妻帯の禁制、ヒンドゥー教の行者の女色の禁忌……あたかもそれらの反動のように性をとおして解脱にいたらむとするタントリズムの流れ。うむ。分からぬ。なぜ(これらの)宗教はかくも「性」と「色欲」に強烈な関心をもってきたのだろうか。酒の席ならば、いやぁ、分かるよね。どうみたって苦行のジャマだもんね、という実感を語ってこの話はおわるのだが、苦行が男だけのものかもしれぬと考えると、では(おおげさに云って)数千年の宗教史は、すくなくとも修行にあっては女を排除して(あるいは女に隠れて男だけで)重ねてきた歴史なのだろうか。ああめまいがする。心を落ち着けるために色欲そのものではなく、これをいわば敬遠した制度(出家)について考える手はある。その出家と照らした在家の深義は、子孫を残し、ふつうの世俗生活をおくる、にもかかわらず宗教的な達成を実現するという、大乗仏教の菩薩というあり方や、ヒンドゥー教のバクティ(ヴィシュヌ神に業の結果をゆだねること)という方法をきちんと調べることか。うむ。しかし。

しばらく前からこの問題にとりつかれて、梅岩も徂徠もとおくに行ってしまったので、にわかにインドの話にきりかえ、ついでに「です・ます」からも離れて、五里霧中の状態をぬけられず。とほほ。あ、でもヴァレンタインにふさわしい話題かも。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

感じ考え組み立てる 第66回 Wifyカフェと授業


以前ウェルビーイング(WB)ではWifyカフェという活動をしていました。毎月一回WBに集まり、身近な物体に触れ感じ考え交流する試みです。

2012年10月に福岡市の助成を得て行ったユニバーサルデザイン・ワークショップでの経験から発案され、第一回のWifyカフェは2013年3月12日(火)19:00-21:00でした。WB事務所で行うだけでなく、出張しても行いました;2013年6月の健康教育学会(千葉)、2014年2月のユニバーサル都市福岡、6月の直方などです。月例で行ったのは2015年6月まででした。

Wifyカフェで物体に触れるときは、触れる行為に集中するために、しばしば目を閉じました。触れた物体は、木の枝・小石・貝殻など自然のもの、あるいは紙コップ・文房具・布切れなど人工物、いずれも手のひらに乗るくらいの大きさの物体です。簡単に手に入る物体の場合は、同じ物体を参加者全員に配布する場合もありました。自然物で形状が均一でない物体については、まず自分に配布されたものに触れ、触れ終わったら、隣の人にそれを渡す、という形で進めました。Wifyカフェのルーツは視覚障害体験です。しかしWifyカフェにおいては、目を閉じることは必須の条件ではなく、手の触覚から様々なことを感じ考えることに意味を見出していました。

さてこのWifyカフェ、ついこの間まで行なっていたような気がしましたが、記録を見ると初回はもう10年も前のことです。単純な物体一つに触れるだけで、1時間とか2時間とか、飽きずに対話し交流できます。Wifyカフェでどのような気づきがあったのか、当時の記録を読んでみると、物体に触れ、感じ考えるなかで、自分の内側へのインナートリップをしていたことがわかります。このWifyカフェの試みは、その後、感覚カフェと名前を変えて、さらに数年続きましたが、コロナ禍で集まるのが難しくなってから開催されなくなり、現在に至っています。

Wifyカフェが3年目に終わってしまった理由は、この試みの面白さを未経験者に伝えるのが難しいこと、さらに、行うと楽しく興味深いけれども、結局それが何の役に立っているのか、説明できないということだったように思います。

私は、7年前に看護大学に再就職したときに、感覚に関心のある看護教員の方々を何人か巻き込んで、Wifyカフェを試みようと思ったのですが、計画だけで終わってしまいました。しかしWifyカフェの発想は、私の中では消えたわけではなく、ずっと続いています。この試みが下地になって、現在のポリ袋やプチプチを使って対話をしたり授業をしたりする試みにつながっていると思います。

そして今年、2023年1月の終わりに沖縄県立看護大学でお引き受けした集中講義では、PowerPointや白板を用いず、教科書とポリ袋とプチプチだけで授業ができました。これまでの授業とどこが違うかというと、目から視覚的に情報を示すのではなく、手で触覚的に情報を示すことになります。普段は意識しないことを意識し、感じ、考え、それを既存の知識と結びつけていくことの大切さを思います。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ


ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム) 第141回 今年(2023年)の歌会始め入選作品から


日頃からあまり「皇室」というものに興味が無く、歌会始めというのにも関心がなかったのですが、ラジオで以下の一首が紹介され、俄然、ネット検索を行いました。

<温もりの残る手袋渡されて君は友より夫となりぬ>

うーん、これは入選者最高齢73歳の岡山県の女性の作品です。良いですよねえ。こんな気持ち、久しく忘れていました。たかが手袋一つの温かさなのですが、これ一つで、単なる友だちから、一生を託す男に変わってしまう、という瞬間を詠っています。ロマンチックだなア~!

毎日の生活=(朝起きて食事し、医院に来て仕事する。そして帰宅後何となく過ごす)の中にこういう気持ちを忘れていたような、感じです。しかも自分より年上の女性に気づかされるなんて・・・・。果たしてデート中のこんな経験、今の妻ともあったのかなあ?なんてね。

コロナ禍で、濃厚接触を避けねばなりませんので、今の若い人たちも、上記のような手袋を手渡しするなんて、出来ないでしょうが、→えっ?ちゃんとやっているて?→それは失礼しました。→でしょうね、こっちはそういう雰囲気から遠ざかっているオジサンだもんね。

今年の歌会始めのテーマは「友」なので、このような歌が集まったのでしょう。もう一つ、意味深な歌があるのです。以下。

<友だちはゐないんだよと言ふ君の瞳の中にわたしを探す>

61歳新潟県女性。これもLGBTの同姓どうしなのか、異姓どうしなのか、想像が膨らんでくる歌ですよね。2月、ウェルビーイング総会の前日、西鉄特急電車で1時間余りかかる、大牟田市で出身中学・高校合同の古希同窓会が予定されています。さあ、瞳の中に自分を探したい人(男女を問わず)居合わせるのかなあ、と楽しみでもあります。その夜のうちに帰福して、翌日のWB総会に果たして出れるのかも、気になるところではありますが。ローカルな話ですが、西鉄特急電車の中にはトイレがないので、飲み会の後に、大牟田から福岡市まで、電車に一時間余り乗るには勇気が要るのです。

<『母さんも友だちできた?』と小一の吾子に問はれし仕事の初日>40歳女性

<友の呼ぶ僕のあだ名はわるくない 他のやつには呼ばせないけど>14歳中学生

<友といふ言葉を知らぬ一歳が 泣いてゐる子の頭を撫でる>

これも同じ歳の孫を持つ爺としては、少しツンと来る歌です。
「友」というテーマだったので、歌会始めの入選歌が心に迫ったのでしょうが、現在はスマホのLINEという繋がりもあり、昔の工学部時代の同期、大学ボート部時代の同期とも色々繋がりはありますが、たまには上記のような歌の余韻に浸りたいものです。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院

編集者後記


先日、銀河のちゃんぽんに行きました。このお店は、昭和45年創業で、製鉄所で栄えた八幡のソウルフード、かつのせちゃんぽんや焼きそばで有名です。テレビ番組でもたびたび取り上げられ、気になっていたのですが、日曜日が定休日なので、なかなか行けませんでした。先日たまたま機会があり、ついにお店に行くことができました。

まず、メニューを見ると、「銀河のちゃんぽん」とあり、そのの下には「カツの多いちゃんぽん」「めんの多いちゃんぽん」と続き、最後には「カツのないちゃんぽん」とおかしな表記が続いています。焼きそばの方も「めんの多いカツのせ焼きそば」「めんとかカツの多い焼きそば」などあまり見たことのないメニューが並んでいます。初心者の私は、「銀河のちゃんぽん」を注文。しばらく待つと、ちゃんぽんの上にチキンカツが2つ浮かんだちゃんぽんがやってきました。スープには溶き玉子が入っていて、野菜もたっぷり。ちゃんぽんにチキンカツという組み合わせはどうだろう?と思っていましたが、スープを吸ったチキンカツがとてもおいしかったです。とにかくボリュームたっぷりで、食べ終わった後には苦しくなってしまいました。きっとカロリーはめちゃくちゃ高いですが、カツのせちゃぽん、美味しかったです!次回は焼きそばにチャレンジしたいです。

今月もお読みいただきありがとうございました。

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(いわい こずえ)
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編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
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