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オープンプラットホーム通信 第172号(2021.6.18発行分)

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喫茶去 第71回 死ぬということ 願わくば上手に(10)媒介者


前回、ギルガメシュが不死の秘密を求めて、地底の闇と死の海の危険を超え、不死の人・ウトナシュピティムに会いにでかける話をしました。その前段には、相棒のエンキドゥウとともに森の怪物フンババ退治をなしとげたものの、恋焦がれる女神イシュタルを袖にしたためにその恨みを買い、結局相棒を失うめぐりあわせになった話がありました。でも、この話にはさらに前段がありました。つまりギルガメシュ叙事詩は、1)ギルガメシュとエンキドゥウの出会い、2)ふたりの冒険とエンキドゥウの死、3)ギルガメシュの不死の探求、の三段からなる合成譚なのです。前々回に述べたのは、このうち2)と3)でした。今回はその前段の1)をみてみます。

その1)にはエンキドゥウがどこからやってきて、どのようにしてギルガメシュと無二の親友になったかが述べられています。ギルガメシュはウルクの王として絶大な力をもっていましたが、それ以上に、たいへんな乱暴者で人々も神々もその狼藉ぶりに頭をかかえておりました。この力の余った横暴な王をとめるために神々があらたに造ったのが敵対者エンキドゥウです。かれは体中が毛におおわれ、他の野の獣たちとともに暮らす野生の存在としてこの世に登場してきました。ほかの獣たちとともに水飲み場にあらわれたその姿を目撃した猟師は、仕掛けた網も落とし穴も通用しないことを知って、恐怖にとらわれます。そのことを猟師はいそいでウルクの町のギルガメシュ王に伝えるのですが、これをきいたギルガメシュはあわてることもなく、野生のエンキドゥウのもとに神殿に住まう女をひとりおくりこむよう命じます。そうすれば獣たちとのつながりが断てるというのです。はたせるかな、一週間その女と過ごしたエンキドゥは、獣たちがもはや自分には近づかなくなっていることに気づきます。女は云います、あなたはもはや野生のものではなくなったと。そのあと食べ物や身にまとう衣類でさらに文明へと近づいたエンキドゥウは女にともなわれて都に出ます。これにつづく話では、ギルガメシュとの永い戦いのはてに決着がつかないままに、ふたりは互いの力をみとめあって良き友になった、という展開になります。

ここでギルガメシュ叙事詩と創世記の楽園神話との共通点はどこにあるでしょうか。女性の役目です。ギルガメシュの物語が英雄たちの冒険譚(叙事詩)であるのに、アダムとイヴの物語が世界創生譚(神話)であることが全体を見えにくくしているようなので、部分を拡大して考えてみます。まず、神々に作られたばかりのエンキドゥウはまったくの野生状態にあったのが、神殿の女(神聖娼婦とも)によって人間世界へと移行します。いわば知恵が身について、文明化したかれに野生の獣たちは近づかなくなります。なぜギルガメシュが女性を送りこんだのか、そうすべきだと知っていたのか、またなぜ神殿の(おそらくはマルドゥク神殿の)女であったのかは語られていません。でも、彼女の役割が野生から文明への橋渡し(媒介項)であることははっきりしているでしょう。エデンの園ではどうでしょうか。神の怒りと叱責(はては呪い)へと物語化されているために見えにくくなっているのは、イヴの媒介なしにはアダムは知恵の木の実をたべていないこと、人間の知恵の起源が(かりにヘビの誘惑がきっかけを与えているとしても)女性の媒介(橋渡し)を必要としていたことでした。

創世記の楽園神話(アダムとイヴの物語)には、知恵の木と生命の木という二本の木があり、知恵の木の実をたべてしまった人間がヘビとともに神に呪われ、楽園追放(失楽園)にいたったことを前回述べました。人間がこのうえさらに命の木の実までもたべてしまわぬように門番を置いてエデンの園を守ったことも、その後の聖書には例外的な二か所(旧約のエゼキエル書、新約のヨハネ黙示録)をのぞいて「生命の木」への言及のないことにもふれました。これについては多くの仮説が出されていて、その一例として、知恵の木が木々のうちのどの木であるかははっきりしていたが、命の木がどれであるかはわからない状態にあったのだ、というものがあります。その証拠に神の命令=禁忌は、知恵の木の実をとるな、だけで、命の木にはふれていませんでした。なぜなら、知恵の木の実を食べて知恵がつかなければ命の木には到達できないしくみがあったから、というのです。なるほど。すでに知恵が身についてしまった人間(わたしたち)の目には、二本の木がならんで園の中央にあるように見えるけれども、原初の人間たちには知恵の木だけしか見えず、生命の木は隠されている。しかもせっかく知恵が身についたときには、あいにく生命の木はあらたに神によって禁止されて、ケルビムと炎の剣がその道を遮る、わけでした。永遠の生命へのアクセスはいずれにせよ人間には禁じられている(不可能である)ことになります。

ここからさらに民間伝承の世界へとふみこむなら、ヘビの役割への意想外な注目が出てきます。神の禁忌と人間のふみはずしというユダヤ教的(さらにはキリスト教的な原罪物語への)編集以前を想定すると、目に見えない生命の木のありかを知るためにヘビはイヴを誘惑したというのです。そして創世記には書かれていない結末は、ギルガメシュ叙事詩のヘビがそうであったように、ヘビの脱皮による若返り(生命の更新)だったにちがいない…。なるほど、獣たちのなかでヘビが最も賢いとされる一節も、むしろこの展開のほうが合点がゆきますしね。キリスト教はのちにヘビを悪の軍勢や龍のほうへと思いきり引き寄せて悪魔と同一視することになりますが、この「ヨハネ黙示録」(紀元1世紀)から「失楽園」(17世紀)にいたる「原罪」路線をいわば宗教軸とよぶなら、ここにあげた仮説はそれとは対照的なJ.G.フレーザー流の民間信仰軸にそったものです。

とはいえ、キリスト教はたんにうえに書いたような「原罪」と「悪魔」の陰鬱な教えへとひとを導いたわけではありません。すでに福音書に描かれていることですが、イエスはひとびとの病を治し、悪魔を祓ったばかりでなく死後の「永遠の生命」という、もうひとつの生命のありかたとそこにいたる道を示しました。民間信仰的な病治しの生命観と、これとは別次元にある宗教的な生命への希望を開示したとも云えるでしょう。生命の木はこの世においてでなく、あの世の希望へと移行したのです。これもまた、不死の探求の一形態でした。この話、もう少しつづきます。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

感じ考え組み立てる 第48回 インストルメントからの出発


コロナ禍が収まらないなか、ベトナムの大学院生に看護研究に関連してInstrument Developmentというテーマの集中講義をすることになりました。Instrumentとは辞書を引くと「道具、器具、機器、計器、楽器」などの和訳が現れ、多様な意味を持った言葉です。看護研究という言葉と組み合わせると「看護研究の道具(看護研究を助ける道具)の開発」と意味を狭めることができます。しかし「看護研究の道具」と理解して意味を狭めても、まだ多くの事項が含まれます;文献検索のデータベース、聞き取り調査用ICレコーダー、調査票、パソコン、体重計、統計分析ソフトなどなど、全てInstrumentです。さらにInstrumentの意味を限定しないと、それを語ることは容易ではありません。どこに焦点を絞ればいいのでしょうか。ナムディン看護大学の授業はアメリカのベイラー大学のシラバスに準拠しており、今回の講義の教科書としては英語の本*が指定されています。この本を見るとInstrumentと言っても「データ取得&分析の方法」に焦点を当てています。しかしデータ取得&分析と範囲を狭めても、方法は色々なものがあります。限定された時間に、しかもズームの遠隔授業として、どのような話をしたらよいでしょうか。

しかも前回、今年1月末に「量的研究方法」という集中講義をした際に分かったことですが、あちらの院生の皆さんは、文献検討の経験が少ないと感じられました。じっくり文献を読む余裕が無いまま、すぐに研究計画を立ててデータを集め始めなければいけない状況に置かれているようです。よってInstrumentの問題提起をするとともに文献にも親しんでもらう必要があります。ではどうすべきか、悩んだ結果、「単純なInstrumentを何種類か自分でも考えてもらい、そこから文献にも親しんでもらえるような教え方」はどうか、と考え始めました。

なぜこのように考えたかと言えば、じつは私自身の研究が様々なInstrument、それも殆どが「紙と鉛筆を使うInstrument」「手を使って考え対話するInstrument」の開発だった!と改めて気づいたからです。

Wifyも、二次元マップも、プチプチも一種のInstrumentと位置づけられます。どういうことなのか、もっと丁寧に説明すべきですが、ここまでで、原稿を書く気力が尽きてしまいました。

明後日から1日7時間のズームでの講義が3日連続、さらに次の週末も同様の予定です。朝から夕方まで昼休みをはさんで7時間、12名の院生の皆さんにお話し、質問に答えていると、一日が終わるころには、意識が遠のくくらい疲れます。

さらにその前、明日の午前中は、勤務先の看護大学での基礎力総合ゼミナールという授業で、120人の一年生に対し、Instrumentの一つであるポリ袋を用いた働きかけを行うことになっています。来週半ばには、新型コロナウイルスの二回目ワクチン接種を受ける学生たちへの付き添いの仕事もあります。・・・

この大変な二週間を何とか生き延びることができ、Instrumentについてさらに考察する元気が残っていたら、続きを次回、書きたいと思っています。

それまでには、COVID-19の緊急事態宣言は終わっているでしょうか。読者の皆様もお元気で。

*Waltz. C.F., Ora.L.S., and Elizabeth.R.L. (2010).
Measurement in Nursing and Health Research (4th edition).
Springer Publishing Company.

☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:日本赤十字九州国際看護大学

ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム) 第124回 センテナリアン(百寿者)を目指そう!


国内の百寿者は統計を取り始めた1963年は153人でした。ところが、介護保険が始まった2000年ごろから急増、2018年には6万9785人になりました。男女比は男性1に対して女性7です。

急速な増加に国の財政難も加わって、毎年100歳になった人に国が贈る銀杯が、16年度には純銀製から銀メッキ製に変わりました。

百寿者の共通点として挙げられるのが、体内の炎症の少なさです。

炎症には、けがをしたり、感染症にかかったりして起きる急性のものと、熱や痛みはないものの血管などの細胞がじわじわ傷つく慢性のものがあります。

慢性のものは、細胞の老化が関係していると言われます。老化した細胞は、炎症を引き起こす物質を分泌。さらに周りの細胞も傷つき、老化していくと考えられています。

昔、川上が読んだ文献に書いてあった例として、健康な正常細胞を、普通の栄養を含んだ培地で継代培養していくと『ガン化するか死滅した』という結果がありました。要するに死滅を「老化による死」と考えれば、人の一生=ガンで死ぬか、老衰で死ぬか、ということになるわけです。なので、その細胞の老化を防ぐために、動物実験レベルでは、老化した細胞を薬でなくす研究も始まっているそうですが、人に応用できるかはまだ分かっていません。

長寿に対する遺伝の寄与率は2割程度と推計されています。事故や生活習慣など環境に影響される部分が大きく、長寿に関連する遺伝子を見つけるのは難しいようです。

そうした中で、人種を越えた長寿関連遺伝子として知られるのが「ApoE(アポイー)遺伝子」です。この遺伝子にはいくつかの型があり、ある特定の型だとアルツハイマー型認知症のリスクが高まるのですが、この型が少ないと長寿となる可能性が高いようです。つまり長寿と認知症は「紙一重」なのです。

老年医学が専門の大阪大の神出計教授は「脳の老化である認知症など、生きていく中でかかる様々な病気になりにくい遺伝素因を持つ人が長寿なのではないか」と指摘されています。人の限界寿命が何歳かはまだ決着がついていません。

実は百寿者といっても、その状態は様々です。100歳時点で認知症もなく自立している人は全体の2割程度。残りの人は認知症があったり、介助が必要だったりします。

110歳以上の「スーパーセンテナリアン」は、100歳時点で自立していた人がなる確率が高いと言われます。2015年の国勢調査で百寿者は約6万人なのに対し、110歳以上は約150人と極めて希な存在です。これらの人々を研究することは健康長寿の秘訣をさぐることにつながります。百寿者の人口割合が最も高い日本では特に研究が進んでいます。

第一人者である慶応大百寿総合研究センターの広瀬信義・元特別招聘教授は延べ150人の110歳以上の人と直接会ってきました。喫煙はせず、酒は飲まないかたしなむ程度、動脈硬化が軽度で、性格は外交的な人が多いそうです。

健康長寿をめざす人には「認知機能は遺伝的な要素もあるが、生活習慣の改善などは誰もが心掛けられること」とアドバイスしておられます。

現在、我々WBの理事メンバーやウェルビーイングラボの先生方はおおよそ70歳前後までは生き延びてきました。100歳までとなると、あと30年ほどです。たった?「30年」です、頑張りましょうかあ!

☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院

(編集者後記)

今月もメルマガをお読みいただきありがとうございました。
通勤でいつも通る公園が、緊急事態宣言が発令されたのをきっかけに柵で封鎖されてしまいました。飲食店の営業時間が短縮され、アルコールの提供ができなくなったため、公園での路上飲みが増えていたせいです。
コロナの感染予防のためとは言え、憩いの場である公園が柵に囲まれて、入れなくなっているのは、なんとも寂しい気持ちになります。一日も早く柵が撤去される日が来るといいなと思います。

(いわい こずえ)
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ご意見、ご要望などお待ちしています。
編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
NPO法人ウェルビーイングホームページ http://www.well-being.or.jp/

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