知識ゼロから見に行く相馬野馬追⑥
■野馬懸(のまがけ)とは何か■
野馬懸については令和6年度「相馬野馬追」行事概要が簡潔に伝えている。
御小人(おこびと)は城下においては雑用係だが、ここでは馬を捕える重要な役回り。
駒とは馬の古い呼び方。矢来は竹や木などで粗く作った囲いのこと。
現場となる相馬小高神社は旧小高城内に鎮座する。
鳥居からは石段を登るが、裏側の道路から緩やかな砂利道(東坂)を登れば境内にたどり着く。
野馬懸は午前9時の「揃い」「お水取りの儀」を経て、相馬民謡・踊り奉納が行われた。
こちらも観客は多い。囲いの入口付近でカメラを構えていたため、社殿前の撮影はできず。
なぜ流れ山なのか。千葉県流山市の地名にあやかっているという。
もちろん、相馬重胤が下総国の流山からこの地に移ってきたことと無関係ではない。
■追い込みという様式美■
さらに浄めを行った後、10時40分ごろ、最初の追い込みがはじまった。
御小人頭が竿(藁に御神水を垂らしている)で馬を狙う。
長物は振り回すよりも突いたほうが速いのでは? などと突っ込んではいけない。
これが伝統に支えられた様式美なのだ。
ようやく御神水で印をつけて神馬が選ばれた。
馬に振り落とされた御小人の一人が倒れ込んで動けなくなっている。
この日の追い込みで、3頭のうち2頭が神馬として献納された。残る1頭はどうするのか。
11:20 捕獲野馬のおせり
この後も、例大祭式典に続いて小高郷による神旗争奪戦が行われた。
今年の相馬野馬追も、無事にその幕を閉じたのである。
■野馬という役割演技■
野馬懸を見たことで、相馬野馬追の印象ががらりと変わった。
神事は厳かなものであり、野馬を素手で捕えるというのは荒々しく危険なイメージがある。
しかし、実際にはとても和やかで観客に見せるため、喜んでもらうための工夫も見受けられた。
それ以上に感じたのは、人と馬との仲のよさだ。
よくよく考えてみれば、ここにいる馬は野馬ではない。
人によって飼い慣らされた馬である。
しかしながら、相馬の人々が騎馬武者を演じるように、相馬の馬も野馬を演じることができるのだ。
■人馬一体■
G氏が相馬野馬追を愛する理由がよくわかった。
5年前の俺は、相馬野馬追を漫画で描きたいという彼の思いに応えることができなかった。
今は友人として助言できることがある。
甲冑競馬を終えた騎馬武者たち。この写真が意味するところは何か。
5月開催で夏の猛暑は回避できたものの、快晴とあっては初夏の暑さは変わらず。
先ほどの写真は、そんな青年に応えるかのように鼻をすり寄せ甘えている馬の姿である。
その間もスタッフ(馬主さん?)はホースで水をかけて馬の脚を冷やし続けている。
馬と同じ水を浴び、馬と同じ水を飲む。
馬と語らい、そして笑う。
これこそが、人馬一体ではないだろうか。
甲冑競馬や神旗争奪戦の迫力に満ちたシーンを描いてもいい。
でも、彼に描いてもらいたかったのは、この写真のような光景であり、テーマだ。
この場所に来ることができて、相馬野馬追を知ることができて、本当によかった。
G氏が描く漫画を読むことは、もうできない。
絵心もなく、一介の書き手にすぎない俺に何ができるのか。
答えを見つけるためにも、旅を続けようと思っている。
不思議をめぐる旅を。
[2024年5月25日~27日]