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やることリスト ~遠野
あーあ、またやっちゃいましたよ、まずバナ。
つい最近になって遠野市立博物館の企画展で『遠野物語と異界』をやっていると知って急きょ遠野行きを決めた情弱っぷりはさておき現場もしっかり見ておかないといかんだろうということで資料集めに奔走したところ近所の図書館にて音声資料(CD的なもの?)を検索で見つけてさっそくリクエストしてきたわけですよってのがあらましなんだけど。
別の図書館所蔵のものであっても取り寄せてメールで報せてくれるってのが便利。
で、連絡が来たので行ってみたら、これが見事なまでにカセットブック。
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遠野物語殺人事件って何だよ
LDプレーヤーは捨てずに持ってるけどカセットプレーヤーはさすがに処分した。
「すみませんっ。リクエストしておいてなんですが、こちらは借りずにこのまま返却ということでお願いします」
「はあ」
「CDだと思ってたんですけど、カセットだったもんで」
ここの図書館員さんは真面目な方が多くて、理由を説明すると急に真顔になってキーボードをカタカタ打ちはじめた。
図書館といっても正しくは公民館に併設された図書室で、利用者も少ない。
後ろに並んでいる人がいなかったのは何よりだけど、こういうときは無言でカタカタやられるよりは「あはは、本当だ。いまだにカセットなんてあるんですねえ」ぐらいに笑ってくれたほうが、俺としては救われる。なんとも、気まずい。
「えーと、CDは別の図書館にありますね。取り寄せましょうか?」
え、そうだったの?
お願いしますとだけ伝えて、手ぶらでそそくさと立ち去る俺。
廊下を歩きながら思った。
まずバナには、個人の言動で周囲を気まずくさせるパターンもあれば、個人の失敗により周囲に対してひたすら気まずい(気恥ずかしい)思いをするパターンもあるのだなと。
ここはそのやうな遠野市民の気まずさ(気恥ずかしさ)に満ちたる出来事を本編百拾九話、拾遺弐百九拾九話として採集することで、わが國の民俗学に新たな潮流をもたらしめんとするコオナアであることを宣言するものなり。しかも文語体で書き連ねたるものなり。←嫌すぎるナリ
■遠野でやることリスト■
その壱 企画展のパンフレットを買う
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地方の博物館のパンフなら首都圏の国立歴博界隈のミュージアムショップで買えたりもするけど、遠野市立博物館の場合は現場でしか買えない。
(いつからそうなったのか、今年度だけの措置なのかどうかは不明)
呪術(術は展示できないので呪物ということになるのだろうが)は術者の想念や感情に影響されるパーソナルな領域だと思う。
誰かを呪う術があるとして、ある個人が手順通りに術をかけたとしても、必ずしも思った通りにはならないという意味では術者の能力やスキルも問われてくる。
一方、異界は個人ではなく環境の問題。
誰かが「トイレは異界なんだよ」と力説したところで、はいそうですねとはならない。
ただし、『トイレの花子さん』みたいにフィクションではあっても具現化することで、この世ならざる者が存在する場としての意味を持ってくる。
恐山では、(現世において)地獄と極楽は紙一重であることを学んだ。気の持ちようなのだと。
聖地と異界はどうか。
見た目が美しい場所は聖地になり得る。宇曽利湖がそうだ。
でも、その周囲には岬があって海があってお山もある。異界と呼ばれる場所でもある。
聖地と異界の成立条件を考えるうえで、遠野という環境は格好のケーススタディになってくれるのではないか、という期待があるのですよ。
その弐 なるべくたくさんの場所をめぐる
ケーススタディなのだから事例をたくさん集めた奴が強い。
『遠野物語』で紹介されている場所の中には観光客向けに整備されすぎているところも多々ある。ある意味、玉石混淆。
そうはいっても、地元の人々や市が整備してくれたおかげで現在も景観が残っているのだから、それは感謝するべき。
何が玉で何が石かなんてことは個人の主観でしかないのだから、いろんなものを見て見まくって洞察力を養うしかない。
そこを今回がんばってみようかな。
その参 遠野三山を見てくる
遠野三山とは、早池峰(はやちね)山 (1917m)、六角牛(ろっこうし)山(1293m)、石上山(1037m)の三つのお山。それぞれの麓に神社がある。
NHK『にっぽん百名山』で早池峰山回を見てぜひ登りたいと思ったけど、登山に時間をとられると他の場所に行けなくなっちゃうので、一巡目の旅では考えないようにしてる。
遠野のお山の祭神は瀬織津姫ということになっている。
でもそれは明治の神仏分離令以降に神社庁に届け出た一部の祭神名であって、元いた神さま(早池峰大神)がそうであったかどうかについてはわからない。
『遠野物語』に瀬織津姫の「瀬」の字すら出てこないこともあって、むしろ違和感すらおぼえる。
現場を見ないことには話にならないので、まずは神社を見てこようかと。
その肆 遠野七観音を踏破する
これは超努力目標。というのも、
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「遠野七観音は全てまわると100km強の道のり(遠野七観音案内より)」とのこと
もちろん今回も自転車。行けるかなあ(不安
七観音のお堂には慈覚大師・円仁による手彫りの観音像が納められていた。
過去形で書いているのは、火災で焼失してしまったから。
それでも、第三代天台座主でもある円仁の名前で遠野を包囲するかのように観音堂が建てられているという事実がすごいよ。元からあった寺院との小競り合いもすごかっただろうし。
恐山を開基した聖地ビルダー・円仁のお眼鏡にかなう何かがあるんだろうね、遠野には。
■その伍 せめて宮沢賢治記念館に行く■
遠野市への電車アクセスは東北新幹線・新花巻駅よりJR釜石線に乗り換え。
花巻市といえば宮沢賢治生誕の地。俺にとっては、こちらのほうがよっぽど聖地。
本来ならゆっくりめぐりたいところだけど、今月中旬に千葉で見ておくべき祭りが立て続けにあることと、下旬には山形に行きたいということもあって今回は諦めた。
ただの乗換駅にしてしまうにはあまりに忍びないので、せめて帰りにでも記念館に寄る。
以上、遠野のやることリストでした。
冒頭のまずバナだけど、実はつづきがある。
CD版が届いたとの報せを受けて図書室に向かったところ、出てきたのは遠野とは縁もゆかりもない井上ひさしさんの講演会のCD。
あのとき調べてくれた図書館員さんはタイトルよりも著者名で検索して見つかったと思ったんだろうな。っていうか確認しない俺が悪い。100パー悪いけれども後の祭り。
この日の図書館員さんは別の方だったし、いちいち事情を説明するのもめんどうなので、こう切り出すことにした。
「すみませんっ。こちら、間違えてリクエストしちゃったので……」
【おしまい】