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旅のけいかく ~中部

みんな、中部の取り扱いの難しさについてはわかってもらえたかなー?

三重ちゃんと新潟くんと静岡ちゃんについてはとくに配慮してあげてね☆

ここからは旅行計画の実際について。

中部地方は、岐阜以外は過去に行ったことがあります。

とはいっても仕事の出張やプライベートな旅行であって、文章を書くための取材とは意識の持ちようが違うのですよ。

2008年頃、長野旅行で立ち寄った善光寺にて撮影
(Nikon COOLPIX S210使用)
タイムマシンがあるなら過去に戻って当時の自分を再教育してやりたい

まず資料を読むべし

旅程を組む前に、その土地についての資料をたくさん読みます。

2024年の夏は暑くてどこにも出かける気がしなかったので、中部地方の伝説や昔話についての本を図書館で借りまくって読んでました。それか、かき氷を作って食べるか。そんな夏の思い出。

ところが、何を読んでも頭に入ってこない。

暑いから? それもある(笑)。

印象に残ったのは、

八百比丘尼(福井)→人魚の肉を食べて不老不死になった少女
しっぺい太郎(長野、静岡)→人の幸せを守るべく怪物と戦った正義の霊犬
鬼女紅葉(長野)→罪人として流された呉葉という美女が鬼になり人を襲う

どれも面白そうなんだけど、結末がどうにも悲劇的で読んでいていたたまれないんだよね。

思ったのは、これは中部地方の豊かさの裏返しなのかなと。

東北の場合は、遠野物語のように陰惨な話もあるにはあるけど、優しい鬼がいたり(青森・鬼神社)、法師に追い出された龍が別の湖で幸せに暮らしたり(秋田・八郎太郎)、征服者であるはずの征夷大将軍・坂上田村麻呂が尊敬されていたり(各地)と、結末に救いを求める内容のものがあって印象に残りやすい。

東北という土地の生活環境のきびしさからくる人々の願望のあらわれなんじゃないかって気がしたな。

鬼神社(弘前市鬼沢)社殿の鬼瓦
鬼が集落の守護神なのだ

中部の場合は逆で、豊かだからこそ救いのない物語に何かを見いだそうとする人の心の不思議さっていうか。

ポテチ食べながらホラー映画見るような怖いもの見たさなのかなー。←え?

行きたい場所を決める

デビュー戦の相馬野馬追やチャグチャグ馬コはイベントレポートだから現場が決まってるし、あとは周辺取材するだけの簡単なお仕事でした。

いやいや簡単じゃないよー
とにかく大変だったんだから(汗
(盛岡八幡宮にて)

問題は、過去に行ったことがなくて土地勘がない場所をどうするか。

東北の場合は伝説や昔話の現場も訪ねているし、なんだったらイベントものよりもそちらの記事のほうが読まれていたりもする。たしかにそっちのほうが不思議な世界だもんね。

ところが中部では印象に残った話が少ないこともあって、この手が使えない。

さて、どうするか。

10(ten)Qはベビーベッドの上でくるくる回転するおもちゃを見ながら考えました。←そのネタ、まだ引っぱるか

――すやすや眠っているだけなのでは?
いいえ、目を閉じて考えているのです

そうだ。各県を令制国単位に分割してめぐればよいのだ!

中部地方の県と令制国
北陸
富山:越中
石川:能登、加賀
福井:越前、若狭
甲信越
山梨:甲斐
長野:信濃
新潟:越後、佐渡
東海の3県
静岡:伊豆、駿河、遠江
愛知:三河、尾張
岐阜:飛騨、美濃


――おやおや、10(ten)Qくん。せっかく中部を9県にして三重県行きを先延ばしにしたのに旧国時代(計16国)に戻しちゃうのはさすがに悪手ではないのかな?

そんなことはありませぬ(汗)。旧国を訪ねればその土地の風土がわかり、地域性が見えてくるのです。今回は佐渡国に渡れませんでしたが、いずれそのうちに。

そんなこんなで、一巡目の旅では旧国時代の国府、一宮、総社、国分寺などをめぐることで国の中心がどこにあったのか見てこようと決めました。

2024年10月30日の石川を皮切りに、富山、山梨、長野、新潟、岐阜、福井、静岡、愛知の順に旅をして、9県踏破できたのが12月21日。いやあ、大変だった。

前回の記事より

大変だったのが、まさにこれ。国府も一宮も総社も国分寺も片っぱしからめぐっていたから。しかも、まだ終わってないし。

もちろん行った場所はそれだけじゃないってことは前回の予告通りなんだけど、あれなのかなー。旅慣れてくるにつれてどんどん内容が過酷になっていくのは少年まんがにおけるバトルのインフレーションみたいな感じ? ←それは人にもよる

やることリストを作ろう

行き先が決まったら列車の指定席と宿を確保するのが最優先ですよ。

これについてはどこかで書いた。

お祭りなどのイベントものでなければ、そんなに焦らなくても大丈夫。

土日祝日や年末年始に出かける場合は早めの対応が吉。これも常識☆

俺の旅は折りたたみ自転車を担いで鉄道やバスで移動する輪行スタイル。

伊豆国一宮・三嶋大社(2025年1月10日撮影)
社号標のデカさも一宮

徒歩の旅行者よりも機動力があっていろんなところに行けたりもするけど、欲ばりすぎて食事する時間がどうしても犠牲になってしまう。

場所によってはコンビニどころか自販機すらないところもあるので、携帯食と水筒は必須アイテム。

空腹で行動していると低血糖状態に陥って、集中力がとぎれてくる。

結果、大事なものを見忘れたり写真を撮り忘れたりすることも多々あるので、ノートにやることリストを書いて持って行くようにしている。

新潟県糸魚川市(2024年11月13日)のやることリスト

この日の朝は糸魚川駅06:55発のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインで梶屋敷駅に移動して、フォッサマグナミュージアム行きのバス発車時刻(09:30)に間に合うように糸魚川駅に自走(自転車)で戻りつつ、いろいろ見てまわった。

「奴奈川(ぬなかわ)神社(田伏)まで600m」ってのは自転車で走る距離のこと。

ヒスイ海岸→日本海展望台を経て、奴奈川姫の像が糸魚川駅周辺に2体あるのでそちらの写真も撮りつつ。

フォッサマグナミュージアム見学後はふたたび自走で糸魚川駅に戻って、ひすいラインで能生(のう)駅へ。

で、右のページに移って直江津駅に移動。

居多(こた)神社(2km)の右に「ダメなら五智国分寺」とあるのは、七五三シーズンで人が多くて社殿の写真が撮れなかった場合を考慮している。

その場合は翌朝に撮影するのでプランBとして行くべき場所を赤でいろいろ書き込んでいる。

で、翌10:48発の特急しらゆきで東三条駅に移動したと。

左上に赤で「11.13(水)修正」とあるのは、雨を想定して自転車に乗らず鉄道&バス移動のみによるスケジュールも立てていたけど、前日の予報で降らないことがわかったから欲ばってみた。

実際には現場の判断でもっといろんなところに行ってるんで、詳しくは後日投稿予定の記事を読んでくだちゃい☆

心に大きな絵図を描く

旅に出る理由は人それぞれ。

俺の場合は書くための取材っていう実利的な部分もあるけれども、旅への憧れやロマンというものを忘れてはいけないと思うのですよ。

いつも自分に言い聞かせているのは、心に大きな絵図を描くんだってこと。

どういうことか。

日本の白地図を開いて、自分が行った場所を都道府県別でもいいから塗りつぶす。

すべてを塗りつぶすことができれば、今の自分よりもう一歩成長できる

そんな淡い期待があるわけです。

でも、東日本を旅してわかってきたのは、それだけでは不十分だってこと。

旅に出る者がいる一方で、旅に出たくてもいろんな事情があって出かけられない人たちだっている。

5年前の俺がそうでした。

そんな人たちが俺の記事を読むことによって、いつか状況が変わって出かけられるようになったときに旅の参考にしてもらえたならば、書き手としては最高です。

だから取材は取材(インプット)としていろいろやりつつ、表現(アウトプット)の部分では読み手のみんなが現場を追体験できるように工夫していこう。

なんて気づきがあったことを忘れないように、ある時期から記事のタイトルに「。」をつけるようにしました。

それが秋田→青森編の『鬼と仏と。』のシリーズです。

いかんせん表現とは技法であるだけに、気づいたぐらいではなかなか向上するはずもなく。

たとえば泳ぐというスキルは泳ぐことによって培われるわけで畳の上で身につくものではないのだから、書くスキルを向上させようと思ったら、問題意識を持ちながらも記事を書き続けるしかない。

遠野で悪戦苦闘しているうちに山の神に気合いと根性を認めてもらえたのか、帰りに花巻で取材した『賢治ゆかりの地をめぐる。』で、ようやく手ごたえがつかめてきました。

基本は、

・情報を丁寧にひろう
・わかりやすく伝える

加えて、

・過程(プロセス)をしっかり伝える

『山形、ぐるり。④』では出羽三山神社三神合祭殿をレポートするのに使用した写真が100枚超え。

まあ、やりすぎだよね(笑)。

でも、情報を丁寧にひろい、わかりやすく、過程の部分もしっかり伝えるというコンセプトからすれば過不足なく書けていると思います。

雑誌は誌面のレイアウトによって文章量と写真点数が制限されてしまうので、過不足なく仕事するのは無理。毎回、不足だらけでそれがストレスでした。

だから、記者時代の俺には勝ってるぞと胸を張れることが幸せ☆

あとは読者さまだよねー。

長い記事なんて読む気がしないよーって拒絶反応は閲覧数としてフィードバックされるわけだけど、山形県の他の記事と遜色なく読んでもらえてる。

どこビュン山形旅の『山形、ふたたび。④』では山形城をとりあげています。

お城めぐりはいろんな人がいろんなことを書いているので、ありきたりでない見せかたをどうするかという難しさはあるけれども、「お城を見に行く」という主旨で先ほどのコンセプトを当てはめてみると、わりと独自性が出せたんじゃないかと思います。こちらもよく読まれてる。

【結論】結果を出すためには過程を大切に

時短が求められたりタイパを追求する昨今ですが、それは目的によります。

旅においては、道中で何を思い感じたのかってことも大切な思い出として胸に刻まれるわけで、少なくとも俺は「○○に行ってきたよー」的な結果ありきの旅行は2008年に卒業しました。

今は心にニッポンという大きな絵図を描くために旅をしています。

【次回予告】
――まだ見ぬ聖地を求めて加賀の町を訪れた10(ten)Q。彼にはかつて、金沢旅行で兼六園の写真を雑に撮ってしまったという苦い過去があった。

客が見切れているのはいいとしても構図が中途半端
看板を撮るか石碑を撮るのかどっちかにしなさい
(2008年頃、金沢旅行にて。Nikon COOLPIX S210)

――リベンジのために兼六園に立ち寄るも、そこは南蛮渡来の旅人であふれかえる無国籍地帯と化していた。果たして10(ten)Qは、大人気観光地の雑踏をくぐり抜け、金沢の地名発祥の場所へとたどり着けるのか!?

次回「なぜだ!? 愛と哀しみの兼六園」に、ご期待ください。←えええーっ!?

ちょっと待って。だいたい合ってるけどサブタイトルがいろいろおかしいし、最初の記事(①)はいつもの概論的なやつですよー(汗

[毘沙門天大祭(富士市)のイベントレポートをはさんで①につづく]



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