【短編恋愛小説#44】一目惚れ
「この人、素敵」
深夜二時、スマホの画面を見つめたまま、私は動けなくなっていた。
友達の友達の投稿に「いいね」をつけた人のプロフィール。
たったそれだけなのに、心臓が早鐘を打っている。
写真は一枚だけ。
古い本屋の前で、片手に積み上げた古書を抱えている。
セピア調のフィルターがかかっていて、まるで誰かの思い出みたいだ。
プロフィールには「日常の物語を探しています」という一行と、フォロワー143人という数字。
スクロールする指が震える。
投稿は少なめ。
でも、一つ一つが丁寧で、独特の温かみがある。
古い映画館での感想。
路地裏で見つけたキャベツ畑の写真。
雨の日に読んだ詩の一節。
「フォローしますか?」
画面に浮かぶボタンが、私を試すみたいだ。
でも、押せない。
その瞬間、この不思議な感覚が消えてしまいそうで。
まるで、雲を手で掴もうとするかのように。
「おはよ!昨日の深夜、すごい時間まで起きてたでしょ。最終オンライン3時間前って。」 朝一番に親友の美咲からLINEが来る。 「誰かストーカーしてたの?笑」
「違うよ」 嘘をつく。 「ちょっと夜更かししただけ」
返信しながら、また彼のプロフィールを開く。
昨夜から新しいストーリーが一つ。
朝もやの中で撮った駅のホーム。
キャプションには
「始発電車を待つ人たちの横顔が、小説みたいだった」
思わず、いいねを押してしまう。
すぐに取り消そうとするけど、通知はもう届いているはず。
スマホを枕に投げ込んで、顔を覆う。
数分後、画面が光る。
「フォローされました」
心臓が止まりそうになる。
お気に入りの小説を、誰かに覗かれたみたいな感覚。
ランチタイム、美咲が不思議そうな顔をする。
「なんか今日、ずっとスマホ見てるね」
「あ、ごめん」
「もしかして、気になる人?」
箸が止まる。
「まさか」
その日の夕方、彼から最初のDMが届く。
「昨日の深夜、同じ投稿にいいねしてましたね。『星めぐりの歌』、好きなんですか?」
既読がつかないように、通知だけで内容を確認。
返信の仕方を考えて、下書きを三回書き直す。
「はい。特に、最後のシーンが好きです」
送信ボタンを押す時、手が震えた。
そこから、少しずつ会話が続いた。
夜の九時、カフェで待ち合わせ。
「週末、この辺りの古本屋を巡るんですが、良かったら」
行くべきじゃない。
知らない人と会うなんて、危ないに決まってる。
でも、プロフィールに貼ってある本屋の場所を、私は知っている。
実家の近くの、いつも人のいない、小さな店。
「いいですね」
返事を送る前に、美咲に場所と時間を送っておいた。
土曜日、待ち合わせの十分前に着く。
緊張で胸が苦しい。スマホの画面に映る自分が、他人みたいに見える。
「こんにちは」
後ろから声がする。
振り返ると、セピア色の写真そのままの人が立っていた。
「あの、これ」
私の方から差し出したのは、『星めぐりの歌』。
「私も、この本屋で買いました」
彼が少し驚いた顔をして、それから優しく笑う。
「運命みたいですね」
スマホの向こうで見つけた人が、現実の光の中で笑っている。
フィルターはかかっていないのに、世界が温かな色に染まっていく。
この出会いは、SNSの偶然が作った必然なのかもしれない。
でも、きっとそれも、現代の魔法の一つなんだ。
夕暮れの本屋で、私たちは同じ本を探している。
画面の中で見つけた人と、現実の人が、少しずつ重なっていく。
スマホの通知音が鳴る。美咲からのメッセージ。
「大丈夫?」
「うん」
返信しながら、私は微笑む。
「素敵な人に会えた」
本棚の間から漏れる夕陽に、ページがオレンジ色に染まる。
現代の一目惚れは、画面の向こうから始まるのかもしれない。
でも、心が震える瞬間は、きっといつの時代も同じ。
その夜、彼との初めての投稿。
古い本屋の前で、二冊の『星めぐりの歌』を並べて。
「時々、偶然は必然の仮面をかぶってやってくる」
いいねの数より、この瞬間の方が、確かに愛おしい。