【短編恋愛小説#46】恋の棚卸し
段ボール箱を開けたら、まさかこんなものが出てくるとは思わなかった。
彼と一緒に撮ったプリクラ。
映画のパンフレット。
お揃いで買ったマグカップ。
そして、なぜか無駄に多い文房具の数々。
引っ越しって、こんなにも過去と向き合う作業だったっけ。
失恋から三ヶ月。
気分転換にと始めた部屋の大掃除が、いつの間にか本格的な「人生の棚卸し」になっていた。
友達は「それ、引っ越しじゃなくて、失恋掃除だね」と笑う。
確かに。今、私は恋の引っ越し真っ只中なのかもしれない。
思い出の品々を仕分けしていると、面白いことに気づいた。
例えば、彼とのデートで買った服。
当時は「可愛い!」と思って着ていたのに、今見ると明らかに私の趣味じゃない。
彼の好みに合わせようとしていた自分が、なんだかちょっと滑稽だ。
「これは捨てる箱」「これは取っておく箱」「これは迷い中の箱」。
三つの段ボールを前に、私は人生初の「恋の仕分け作業」に没頭していた。
迷い中の箱に入れたマグカップを手に取る。
よく見ると、既に欠けている。
これって、私の心の比喩?なんて考えていると、突然吹き出してしまった。
ドラマみたいな展開を妄想している自分が、あまりにも様になっていない。
でも、もしかしたら失恋って、こんなふうに笑えるようになるまでの道のりなのかもしれない。
段ボールの山を片付けながら、思い出話に花を咲かせる友達との電話。
「そういえば、あいつの趣味って、なんかダサかったよね」
「あ!私もそう思ってた!でも言えなかった(笑)」
「やっと言えた!」
笑い合える。これって、案外素敵な進歩かもしれない。
失恋直後は、思い出の品々を見るたびに胸が締め付けられた。
でも今は、どれも「あの頃の私」を形作るピースのように感じる。
全部が必要だったわけじゃない。
でも、全部が私という物語の一部だった。
捨てる箱に入れた服たちは、近所のリサイクルショップへ。
「誰かの新しい思い出になってね」という密かな応援を込めて。
取っておく箱には、意外にも写真が多い。
でも不思議と、二人で撮った写真より、友達と撮った写真の方が多かった。
当時の私は、気づいていなかったけれど、いつも誰かに支えられていたんだ。
迷い中の箱は、しばらく押入れで「熟成」させることに決めた。
自分の気持ちに正直になることも、案外時間がかかる。
それでいい。急がなくていい。
掃除の終わりに見つけた古い手帳には、彼との予定でびっしりだった週末。
今は、自分の予定で埋まり始めている。
陶芸教室。ジム通い。友達とのランチ。
そして、妙に増えた美術館巡り。
全部、元々やりたかったことだった。
ふと、スマートフォンから音楽が流れ始める。
シャッフル再生で偶然かかった曲は、なんと失恋ソング。
でも、思わず踊り出してしまった私がいる。昔なら泣いていたのに。
窓を開けると、春の風が部屋に吹き込んでくる。
段ボールから舞い上がった埃が、夕陽に照らされて、まるで金色の粉のように輝いている。
そうか。これが「恋の引っ越し」の終わり方なんだ。
思い出は段ボールに詰められない。
だって、それは私の中で、もう違うものに生まれ変わっているから。
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夕暮れが近づき、窓から差し込む光が部屋の空気をオレンジ色に染める。
埃っぽい段ボールの間で、一つのマグカップが静かに光を浴びていた。
欠けた縁から、細い光の線が机の上に落ちる。
見慣れた傷跡が、今は不思議な存在感を放っている。
なぜこれだけが、あの時の「私たち」の中から、生き残ったのだろう。
手に取ると、ふっと懐かしい重みが手のひらに残る。
欠けた部分に、そっと指を這わせる。
表面のざらつきは、やっぱり私の心の傷跡のよう。
でも、不思議とその感触が愛おしい。
数ヶ月前より、どこか味がある。まるで、私自身のように。
傷を隠そうとしてきた日々を思い出す。
でも今は違う。この欠けた部分まで含めて、確かに私の物語の一部。
だから、誇らしげに「傷あり特価品」と名付けることにしよう。
私だけの、特別な一品として。
明日は、新しい棚を買いに行こう。
今度は、このマグカップが一番光る場所に置けるような、素敵な棚を。