弱点に向き合えるか、そこが難しいんだよな
その副操縦士はガッチリとした逞しい体をしていた。筋トレが趣味なのだそうだ。乗ってみても、そのイメージ通りだった。とてもエネルギッシュで無駄によく動く。
コミュニケーションの取り方もエネルギッシュで丁寧だった。操縦する機長とそれをモニターする副操縦士には明確な作業分担があって、たくさんあるスイッチもどちらが操作するかが決まっているし、それ以外の確認作業においても、その作業内容によってどちらがやるか決まっている。でも上空でのパイロットはとても忙しいので、その分担の決まりを破って操作しなければいけない時もあるのだけれど、その時は「〇〇だからこっちでやるから」などと理由を言いながら操作を代わって行う。それくらい、作業分担は厳しく決められている。
その時も「これやっといたから」と分担を超えて僕が彼の仕事を手伝ったことをいうと「ありがとうございます!」と間髪入れず返ってくる。普通は「はい」とか「了解」で済ますケースだ。うん、今時珍しい昭和の体育会系の香りがする副操縦士だ。昭和の体育会系は僕の本来のノリではないのだけど、一緒に仕事する上で一生懸命なのは悪くない。
でも、そのうちに僕は彼が「ありがとうございます!」を連呼する人であること気がついてしまった。なんでも「ありがとうございます!」をつけてくる。そういえば昔注文すると「はい喜んで!」を必ずつける飲み屋があった。あまりにうるさいので「本当に喜んでるの?」と思ってしまったものだった。この副操縦士も「ありがとうございます!」が激しい。その作業が僕の担当のものであっても「ありがとうございます」って言ってくるのだ。その「ありがとうございます」は何に対しての「ありがとうございます」なの?突っ込みたくなったけど、堪える。熱いな〜騒々しいやつだな〜と思ってしまう。
そうはいっても、やはり悪い印象ではない。一生懸命やってくれるのは、たとえちょっと方向が違うかな、と思っても嬉しいものではある。
彼の操縦は、全くもって彼らしい操縦だった。以前床屋で「性格が切り方にでる」という話を聞いて、なるほど技術的な仕事はどれも同じなんだなと思ったものだ。性格は操縦にも出るのである。
1日目に操縦をお願いしたが、操作が荒いかな、という印象を持った。着陸前に速度が増えたのでエンジン出力を絞ったのだけど、絞りすぎていた。地上の風を考えれば、少しだけ絞ってそのまま待っていれば、だんだん目標の速度に近づいてくるのだけれど、その風の変化の予測ができていない。熱い性格の通り、リアクションは早いけどその先を見越していないような印象だった。
2日目の操縦も同じような印象を持った。雲を積極的に避ける。それはとても良い。でも、管制官が忙しい瞬間に空気を読まない気遣いのないタイイミングでリクエストをする。もうちょっと待ってあげた方が良いのだけどな、と思っていると、今度は自衛隊の訓練エリアで通れないところをリクエストしようとする。熱いのは良いけど、無駄な動きが多いな〜、ちょっと雑だな〜、もうちょっと繊細さがあれば良いのにな。
降下の局面に来た。ジェット旅客機の降下計画はちょっと難しい。いろいろなことを考慮しながら、また複数の計器を見比べながら計画を立てなければいけない。コンピューターが降下開始地点を計算してくれるけど、鵜呑みにしてはいけない。その時は到着機が僕ら以外に何機もあって混雑していた。前の飛行機が経路のショートカットをもらっていたので、僕らも同じように経路が短縮される可能性があった。しかも前の飛行機との距離があまり離れていなかったので、降下途中に減速の指示が来るかもしれなかった。もし経路のショートカットと減速の指示が同時に来ると高度処理がかなり厳しくなる。旅客機は大きくて重いので、降下開始の遅れの影響は大きい。最悪の場合着陸できないで再度上昇して、着陸のやり直しになる。「もう降下開始した方が良いのじゃないかな」と一声かける。彼はそこまで考えていなかったようで、ビクッとしながら慌てて降下を開始した。「この機長、早く降ろしたい派かな」と思ったかもしれない。
その後、結局経路の短縮の指示も減速の指示も来なかった。だから、適切な降下の高度よりも早く下ろした分、今度は高度が低くなってしまった。「ダイレクト来なかったから低くなったね、降下率を浅くしようか」と指示を出す。
そのあたりで、彼はちょっとイラッとしたようだ。矢継ぎ早にいろいろな指示を出し始めた。その指示の出し方で、彼がイライラしているのが分かった。彼はきっとこう思っている。「早く降ろせって言ったり、浅くしろって言ったり。どっちなんだよ!」。こちらの指示の理由が分からないので、右往左往してイライラするのである。
いやーよく分かるなその気持ち。自分の副操縦士時代を思い出すようだ。細々と指示を出された時は腹が立って「なんなの?これは俺のフライトじゃないの?そんなうるさくいうのならお前がやれよ!『You Have Controll!』って言いたい」と思ったことが何度もあった。パイロットには、こういった気の強さや操縦することの責任感は必要なので、このイライラは必ずしも悪いことではない。
そんなことを思い出して、僕はちょっと苦笑いをしながら彼の指示の操作をした。
彼はこうも思っているかもしれない。「結局、俺が正しかったんじゃないのか。早めに降下しなければ、ちょうど良い高さで降下できんじゃないのか」確かにそうだ。早めに降下開始をしなければ、何も操作しないでもちょど良い降下ができたはずだ。
でも、それは結果論だ。管制官が経路短縮のの指示を出すか、出さないかは管制官の判断で決まることである。僕らは前後の飛行機の距離しか分からないけど、管制官はレーダーで空域全体を見て判断をする。パイロットはそこまでは分からないので、予想できる中での最悪のケースを予想しながら降下計画をするのである。
その後羽田空港のレーダーを管轄するエリアに来た。羽田空港には守らなくてはいけない、いろいろな高度や速度の制限がある。彼はそれを意識して積極的に対応しようとしていた。それは良かったのだが、次の高度制限に対して「スピードブレーキを使います!」と言い出した。次から次へと来る制限にアップアップで、それくらいの降下率が必要かの計算が追いつかない。「ああ、次の高度制限が近づいてきた。もういいや、計算面倒くさい。スピードブレーキだ」という感じだ。
スピードブレーキというのは、主翼の後縁を立てて、空気抵抗を大きくして降下率を大きくする方法だ。空気抵抗を大きくするということは燃料効率が悪くなるので、必要でない時しか使わない。
僕は「いらないよ、この風でこの重量だから絶対この降下率出るでしょう?」と言ってコンピューターの画面に表示された、求められた降下率を指差す。「あ、はい」といって彼はスピードブレーキを戻した。彼は、その画面に目がいっていない。降下においては、その飛行機が計画より高いか低いかは計器のいろんなところに情報がある。一つの計器のみを指標にすると見誤る。いろんな計器を見て判断する必要がある。
終わってからも、彼はちょっと怒っていたような気がする。「うるせーよな。早く降ろせって言ったり、浅くしろって言ったりガタガタ言って」と思っていたと思う。降下時のモードの選定や降下レートの設定のし方で、何度か注意をした。機長の僕としては必要だから指摘したのだけれど、頭に来ている彼は「降ろせているんだから良いじゃないか、何も違反はしていない」そう思っていたと思う。
でも、それはちょっと違う。結果的に航空法違反をしていないから良い、ということではない。その都度状況に合わせたベストの判断をできているか、という事なのである。普通に飛んでいるように見えても、実際にはいろんなリスクが隠れている。パイロットはそのリスクを予想して、その潜在的なリスクが本当に起こっても、対処できるようにするべきなのである。彼にはパイロットとして望ましい、熱い気持ちがある。パイロットには、その熱意は重要である。気流が悪い時は、前向きな熱い気持ちがないと負けてしまう。でも、同時に冷静に先を見通す能力も必要である。それに気づいて欲しいと思った。
フライトが終わってからデブリーフィングと言われる反省会がある。パイロットは熱血漢が多いと思う。特にフライトから帰ってきた直後はその熱が残っていて、副操縦士指導にも熱が入りすぎてしまう人もいる。特に若手の細かい機長だと、副操縦士のよくなかった点を微に入り細に入り、地上の準備段階から上昇降下着陸まで順番に列挙していくので、聞く方はうんざりだったりする。僕も副操縦士時代散々やられたが、「長いよ、まだそこ?早く離陸してよ」とか「この機長僕のやった事をよく覚えているな、すごい記憶力だ、ビデオカメラか?」と思ったものだ。でも、そんな細かいどうでも良いことをダラダラ言われても心に刺さらないから、まるで記憶に残っていない。
だから僕は細かいことは言わないようにしている。あまりに細かいことを言わなすぎるので、もしかしたらのんびりした、ちょっと抜けてる機長と思われてるかもしれないが、気にしない。やっぱり自分の弱点には、自分で考えて向き合わないといけない。自分で弱点に気が付かないと上手くならないのである。
その時も僕からは指摘しないで「何か反省点はありますか?もう、忘れちゃったよ」と、彼に投げかけた。すると「雲を避けるのにHDGとDirectとどちらが良いでしょう」と、どうでも良いことを聞いてきた。彼の本来の弱点には触れない、当たり障りのない質問だ。本当は彼もこの点を疑問には思っていないのだろう。だから僕も一般的な回答をして終わった。そして、ちょっと残念な気持ちになった。
そう思っていたら、操縦の実施記録が送られてきた。副操縦士はフライトが終わるたびに反省点を書いて機長にメールを送ることになっている。そこで書かれていたのは質問したHDGとDirectの件ではなく、「降下のモードと降下率を考える」と書いてあった。良かった、気が付いてくれたようだ。