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航空大学校は軍隊的?
航空大学校は大学校と名前はつきますが、大学とは大違い。自由な雰囲気は皆無です。というかシャバとは違う、塀の内側のような世間とは隔絶された世界です。
航空大学校の3次試験で初めて宮崎本校に行ったとき、職員はきちっとしていたし学校の対応もしっかりしていたけど、なんか固い雰囲気だなと感じた。静かで、無駄な音がしない感じで、高校の試験期間中の静かな感じ。もちろん3次試験だからなのだけれど、それだけではない。ワイワイ、ガヤガヤした大学らしい活気は感じなかった。
当時の3次試験は実際の訓練機を使っての試験だった。僕ら受験生はブリーフィングルームに連れて行かれ3人一組で座らされた。案内役の学生は最初はにこやかに相手をしてくれていたが、教官が来ると血相を変えて「起立、気をつけ、礼!」とやる。おおう、軍隊じゃん、と思っものだった。
その後、入学して座学が始まった。座学はそれほど軍隊チックを感じない。挨拶がわりにボディタッチをしてくる教官もいれば、普段はボーっとしてのんびりした感じの座学教官もいた。その教官はあまりにのんびりしているので、ズボンの裾を靴下に入れたままで、明らかに「たった今、私は和式トイレで『大』をしてきました」という姿で教壇に立つのだけど気がつかない。これはいつ誰が指摘するんだ、授業そっちのけで目配せしまくる学生。まるで授業が頭に入らない、そんな時もありました。そんな感じだから座学時代はまるで軍隊チックではない。体育ですら楽しくバトミントンばかりでした。シゴキのかけらもありません。
でも、帯広のフライト課程に入ったらやはり軍隊のようだった。地上での手順の予習では覚えるまで何度も練習やらされるし、実際に飛行機に乗る時には「プリフライトチェック異常ありません!おっさん学生他2名登場します!」と敬礼させられる。最初は「敬礼なんてやったことねえよ」と戸惑ったけど、そんな事を思っているのは最初だけでフライト課程が始まるとついていくので必死で、気にしている暇はない。一生懸命訓練をしているだけで、気がつかないうちにどんどん軍隊的な航空大学校に染まっていった。
その後、宮崎のフライト課程の学生になったときに、試験の案内役で受験生を案内した。自分が航空大の受験をした2年後くらいで、フライト課程が始まって半年ちょっとくらいだ。その時は、もうすっかり身も心も航空大学校の学生で、受験生がだらっとしながら足を投げ出しながら教官と話をするのをヒヤヒヤして見ていた。つまり、軍隊チックな事に違和感があったのは最初だけで、半年もすればその空気に染まりきっていたということだ。
軍隊チック、その時違和感はあったけど、後々考えると当たり前の厳しさだった。手順をできるまでやるのは、今考えれば手当たり前だし、危ない操作をしたら怒鳴られるのは当たり前だ。間違った操作をしたら、訓練でも命に関わる。フライト課程で厳しい目に遭うこともあったけど、今考えると、通らなければいけない厳しさだったと思う。その厳しさを軍隊的といえばそうかもしれないけど、それは必要な厳しさだったと思う。
卒業してから、自衛隊の教導隊という日本のトップガンのような組織についての本を読んだ。航空自衛隊の精鋭が集まるその部隊は、階級的に偉い人がきても足組んだまま「こんちは〜」みたいな感じで挨拶するらしく、自衛隊でいながらあまり階級差を感じない雰囲気だそうだ。やはり完全実力主義だから「上手い奴が偉い」みたいな部隊だそうだ。
航空大もそう考えてもらって良いと思う。もちろん、自衛隊のエリート部隊を引き合いに出すのはあまりに失礼だけど、実力主義で上手い奴は偉いのは航空大も確かにその通りである。上手い学生は教官に怒られないし、下手だと怒鳴られる。それだけの話だ。
これは航空会社に入っても、基本は同じ。エアラインになると、上手いには単に操縦が上手いだけではなく、それぞれいろんな基準がある。でも基本的に優秀であれば尊敬されるし、そうでないとそれなりの扱いになる。そういった意味では、今でも実力主義の世界。学歴も訓練ソースもそれほど重視されない。
以前、幼稚園の時の息子の友達でパイロットになりたい子がいたと書いた。その子が高校生になって、そのお母さんがまた連絡してきて「航空大学校は軍隊みたいで厳しいのはどうかと」というお話があった。でも知り合いだと厳しいことも言えず、家庭内の問題でもあるので、その時は適当に誤魔化した。このお母さんは何も知らない世界なので心配になり、軍隊的なことに目が入ってしまっているのだな、と思った。
でも本当に言いたかったのは、「パイロットになれるかなれないかの本質的な問題は、軍隊チックに慣れることができるかどうかではなく、その子にその能力があるのか、能力を身につける努力ができるかってことなんです」と言いたかった。そんなことにこだわらないで、躊躇せずに飛び込んでみたら、と言いたかった。