ふつうに歩けるということは
お正月だ〜…と、なんやかやしてたら
今日からもう2月だ…早い💦
現在は3週間に1度の通院と、レンビマ服用のスケジュールがあるせいか
特に日にちが過ぎるのが早く感じる。
昨年の今頃は、私、ふつうに歩けていた。
ううん…もっと言えば、手術室へ向かう時までは
痛みこそあれども、ふつうに歩けていた。
6時間半の手術の後、一昼夜ICUで過ごして(これも書いておきたいコト)
病室のベッドに戻り
それから間も無くだったと思うんだけど、看護師さんの見守りで
立ち上がってみたら…
愕然!!!!!
歩くどころか、立っていることさえできないほどだ。
ショックだった。
術前の説明は聞いたし、リハビリが用意されてることも理解していた。
それは、こういう事態になるためだったんだ。
リハビリの担当の理学療法士さんに付き添われ
点滴台につかまって、コルセットを付けて歩行訓練を始めると
「すごいすごい!たかびんさん、これなら1人で歩けるよ!」と褒めた。
えっ!そういうことだったんだ…と、現実を初めて理解したのだった。
思えば3月の後半、少し前からの足の痺れが気になって家族に訴えていたのだけど
夫は「すぐ病院病院って…少し様子を見てたら…」
娘は「何でも病気に結びつけて…血行がよくないのでは?ストレッチしてみたら」
ただでさえ私ばかりに医療費が集中してる我が家。健気にも、朝・晩のストレッチに励んでいたのだったが虫の知らせ…っていうの?何かありそうで、夫の呆れた顔に見送られて整形外科へと向かったのだった。
名医と信じてる医師は、話を聞いて「脊柱管狭窄症」を疑ったようで
近いうちにMRIを撮ろうと言ったけど、なんたって虫の知らせで来てるわけで。
「すぐに撮ってほしい!」とお願い。
翌々日の朝イチで予約が取れて、しばらく待って画像が上がると
医師はすぐにわかったようで、「少しでも早く甲状腺でかかってる病院へ行くこと。データと手紙も持たせてくれた。」
奇しくも金曜日の午後のこと。
土日は病院は休みだ。
それでも、月曜日の朝イチで予約が取れたのは幸運としか言いようがない。
第2腰椎がひしゃげて折れていた。一刻も早い手術が必要。
甲状腺がんの転移だったのだ。
この時、サイログロブリンは10000を超えていた。(正常値35まで)
1年前から倍々と増えていたし、分子標的薬も勧められていた。
だけど、甲状腺濾胞がんの私に使える薬は、レンビマ一択。
できるだけ引き伸ばして、使用を遅らせたかったのだ。
薬の耐性が付いたら、そこでお終い…と思っていたから…。
グズグズしてるうちに、新たな転移が起こって
それも、もっともQOLの低下を招く腰椎だったから
泣きたい気持ちだった。
あれから1年近く経っての現在の私は…
家の中での家事などは、椅子に腰かけたり、アッコッチつかまりながらも
自力歩行ができるようになった。
外出は、杖は必須である。(転倒防止も兼ねて)
でも、ショッピングモールやホームセンターなどの広い場所は
10mも歩けば、苦痛に顔が歪む。
最近はお店に備え付けの車椅子を借りることが多い。
つまり…
1人で買い物に出ることは、不可能になったわけだ。
それでも元気な夫の高速車椅子に乗って、子供目線での買い物も
まんざら悪くない。
姿勢良く立っていなくてはいけないが、家事労働は前屈みに行う作業が
いかに多いのか、痛感したのも事実。
歩けない・運動できないで、筋力低下ばかりの私だけど
子育ても終え、夫の現役も終えての年金生活の2人暮らしの現在で
ホントに良かった…と実感している。
ただ…
主治医や現在の担当医が、化学治療を勧めてくれた時に始めていたら
私は今も、自由に1人で歩けていたのではないかと思うと
悔しい…。