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エンタイア(使用済み絵葉書)を買ってみる

『エンタイア』という言葉をご存知だろうか。もともとは郵便用語で、切手などが貼られている、使用済みのハガキや封筒のことである。紙モノの古物を蒐集する人々の間でも使われている用語で、オークションサイトなどでも『戦前 絵葉書 エンタイア』などと書かれて出品されているのをしばしば見かける。

『未使用のものならともかく、使用済みのハガキなんて買ってどうするんだ?』と思われる諸兄もいるかもしれないが、世の中には使用済みの方が価値が出るものがある。例えば貴重な切手や消印が残っているハガキはマニアには垂涎のモノだし、あるいは文豪・政治家・芸能人などの著名人が出した/受け取ったハガキというのもエンタイアで、そうした人々のごくごくプライベートなことが書いてあったりするわけだ。こと絵葉書も含めた『ハガキ』古物全体のジャンルでいうと、飛び抜けた高額が付くのはそうした『エンタイア』の方が多い印象がある。


ところで自分の蒐集はというと、絵葉書も少々集めてはいるものの、もっぱら使われている絵柄や写真が気に入ったかどうかが全てであり、未使用か使用済みかは大して気にしていない。切手や消印に関する知識もないし、宛名面を事細かにチェックして著名人かどうかを確認するほどの気力もなければ記憶力もない……というありさま。ただ、そんな中でも何通かは『おっ』と思って、『エンタイア』であるがゆえに購入した絵葉書がある。以下に紹介するのは、そうした『おっ』と思うような、ちょっとしたエンタイアである。


1:お姫様のエンタイア


まず紹介するのは、こちらの使用済み絵葉書である。

作者は蕗谷虹児。大正から昭和にかけて少女たちに絶大な人気のあった、画家で詩人である。


豪奢なドレスを纏い、扇を持ち、髪をゆるやかに巻き、手にはバラ。まさにこれこそ理想の『お姫様』と言うべき1枚であろう。オークションで見かけて購入したもので、絵柄も気に入っているのだが、それに加えて宛名面に書かれていた文章が非常に良かった。

差出人/受取人の詳細な住所と名前は、プライバシー配慮のためモザイクをかけてある。

アラレが降ってると云ふのに こんな繪は
どうかと思ふですが ちょっと可愛でせう
オトギの国のおヒイ様。なんとなく可愛ですね。
今度生れて来る時は まくる遊びの女王様に
生んで頂戴 母さまと 願った時代もありましたね。
貞ちゃん、貴女だってあったんだろう。
バイハイ。


おそらくは既に成人した女性が、同じくらいの年の女性に出した手紙である。消印から、昭和9年の11月13日に投函されたもの。葉書の絵から自身の少女時代を思い出して、女王様に生まれ変わりたいと願ったこともあったわねと懐かしんで、友に同意を求めている。その少女時代を回想する様子こそがまさに『少女的』であるのが、どこか可笑しく可愛らしい手紙だ。特に用事や約束をするでもなく、ただそんなことを伝えるためだけの葉書を送れる相手がいるというのは、たいへん羨ましいことだと思う。

(※『まくる遊び』の部分は意味がよくわからなかった。『遊びまくる』を言い換えたものだろうか? そもそもの崩し字の読解が間違っているのかも)


2:戦時中のエンタイア


2枚目は、そこから時代が下って、第二次世界大戦中に出された絵葉書である。先に宛名面の切手と消印部分だけ見せるが、このように消印が擦れており、正確な日付がわからくなっている。

切手は東郷五銭と呼ばれるもの。1942年に導入され、敗戦後の1946年にGHQによって
使用することを禁止された『追放切手』である。

消印の真ん中に『20、?、19』と数字が書いており、昭和20年?月19日とまでしかわからない。昭和20年はまさに終戦の年なのだが、わずかなインク跡と後述する手紙の内容から判断して、戦時中の5〜6月に出されたものだと推測する。間違っていたらゴメンなさい。


絵葉書の絵柄面は、少女たち二人が踊るモノクロ写真である。

文字が擦れているが、かろうじて『(チ)ャルダッシュの踊り』と読める。

外国人の写真であるが、日本語のキャプションがついており、また裏面にも『きがは便郵』とあるため、日本で発行された絵葉書であるとわかる。『チャルダッシュ』とは『酒場風』という意味の、ハンガリーの音楽ジャンル。民族衣装に身を包んだ少女たちが裾をはためかせて踊っている姿が愛らしい1枚だが、この葉書が出されたのは第二次世界大戦中※である。

(※ちなみにハンガリーは1940年に日独伊の三国同盟に加わり、枢軸国側として参戦している)


宛名面はこちら。東京都葛飾区の女性が、鹿児島県出水郡の女性に宛てた手紙である。

POST CARDと英語が書いてあるが、敵性語でもポストカードは大丈夫だったようだ。
戦地から送られた検閲済み軍事郵便でも、思いっきりPOST CARDと印刷されているものがある。

お元気ですか私も元気です。
実は先のお便りで大野様の所 御通知申上げましたが
此の十三日に火災に逢ヒ 御引越して間もなく全焼致し
御気毒の事ですが皆様お元気でハリキッて居ります
私達もいつかそうゆう時がまゐるかわ存じませんが
これも御国の為 何がなんでも頑張りますわ
恭子様も元気で御働き下さいませね。
ではお機嫌様又お便り致します
大野様の所はよくわかりませんのでわかりしだい
お知らせ致します お家の皆々様によろしく
サヨウナラ

大野という共通の知り合いの家が火災に遭い全焼したが、皆無事だという知らせである。この火災が通常のものなのか、戦争によるものかはわからないが、『御国の為』という言葉からは否応なしに戦時中の匂いが漂ってくる。先に紹介した、ちょうど10年前のお姫様の手紙と違い、こちらは完全に情報を共有するための、きちんとした用件があっての手紙であり、絵柄面の『チャルダッシュの踊り』についても一言たりとも触れていない。それだけ日本全体に余裕がなくなっていたと言うべきなのだろうか。彼女たちはこのすぐあとに終戦を迎えることになる。


3:塗りつぶされたエンタイア


最後に紹介するのは、ちょっと変わった一枚である。

暗い部分にモヤがかかっているように見えるのは、シルバーゼラチンプリントの写真の表面に
銀が浮いてきているからである。経年劣化によるものだが、一方でこれがあるということは、
本物の写真を使った絵葉書の証拠でもある。

まだ年若い少女が、羽子板を持っている姿である。おそらくは芸妓の見習いだろうが、京都か東京かの判別がつかないため、舞妓と呼ぶべきか半玉と呼ぶべきかわからない。こういうの、詳しい方がいたらご教授ください……ともあれ、だいぶ劣化しているとはいえ、なかなか良く撮れている写真である。が、問題はやはり、宛名面。


宛名面はこれ。

貼られている切手の額面から、かろうじて明治32年から昭和12年の間に
投函されたものだとわかる。

真っ黒である。切手を残して墨で塗りつぶされており、宛名も差出人も、メッセージの内容も、何一つわからないようになっている。ここまでするのならば捨てれば良かったのではと思うのだが、それでも残しておいたのは何か理由があるのだろうか。だいたい律儀に切手だけ避けている※のは何なのか。本当に意味がわからない。

(※明治時代には、書き損じはがきの宛名面を真っ黒に塗りつぶし、上から赤字で正しい宛名を書いて出すこともあったそうだが、これは正しい宛名を書いた痕跡もないし、だいいち消印が押されているので既に配達済みであるため、それとは違うもののようである)


宛名面の下部、メッセージ欄に、僅かながら紫のインクで判が押された跡が確認できる。観光地か、あるいは何かのイベントの記念印だろうが、これも判別が難しく、何なのか全くわからない。

本当に何なんだこれ。


また、絵柄面の四隅には、フォトコーナーと呼ばれる、写真をアルバムに固定する際に使うシールの痕跡が残っている。

フォトコーナーは現在でも販売していて色々便利なのだが、
そういえば昔は何て呼んでたんだろう。これもだれか知ってたら教えてください。

つまりこの葉書の持ち主は、宛名面を真っ黒に──自分の名前も差出人の名前もメッセージも全てわからぬよう──真っ黒に塗りつぶしたうえで、写真の面を表にして、アルバムに貼って保存していたのだ。なんで??


この『宛名面真っ黒塗りつぶし絵葉書』は、古書市で絵葉書の棚を漁っている際に見つけたのだが、思わずゾクっとした。今でも見返すと、ちょっとゾクっとする。ただ、こういうのは外野があれこれ想像したところで、実際は案外と他愛もない内容を、ちょっとした気まぐれから塗りつぶしただけかもしれない。すべては藪の中、なのである。


 時代も差出人も受取人も全く違う絵葉書が、一箇所に集まっている不思議。

古書市の絵葉書の棚には、こうしたエンタイアと、未使用の絵葉書とが、分け隔てなく混ざり合って※ギッシリと詰まっている。そういうのを1枚1枚引っ張り出しては、これは何だろう、あれはどういう理由だろうと、あれこれ考えるのもまた、蒐集の楽しみのひとつである。それがピタリと当たっているのか、とんだ的外れかなのかは、また別の話として。

(※絵葉書を売っている業者の中には、エンタイアをきちんと読んで差出人などを調べ、わざわざ解説をつけた上で売ってくれているお店もある。ありがたいですね)

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