蚊に刺され、かゆい。 外から吹く風、涼しい。 やらなきゃいけないこと、辛い。 今日は、そんな日。 よし、美味しいものに頼ろう。
ホッケが待っている。 いちばん大切な人が焼いてくれたホッケが待っている。 「食べても良かったんだけど、ひとりで食べちゃうと、ふたりで『しょっぱいね』『身がふわふわしてるね』とかも言えなくなっちゃうんだ、と思ったから、さみしくなって残しておいた」 と言って、その人は家をあとにした。 何かを言うことが、誰かと分かち合うことが大きな厄災の引き金となってしまう機会に溢れてた私からしたら、焼かれたホッケの塩焼き一人前とその人の存在は、とても大きかった。 その人があとにしたお家で、
やっとここまできた。 ついにここまで来られた。 もう半年も前になる自分のノートで書き記した 「『コスパ最強ドール」』からの脱却」 に、ようやく兆しが見えてきた。 先日、初めて自分の育ってきた環境が、身を置くしかなかった環境が 「最悪だねぇ…」 と権威のある方から認められた。 それは、私自身の経験・思考が 「一般論」「普遍的」 なものから透かして見えたときの1ピースにあれよあれよと勝手に変換されて、自分から自分の当たり前に持つべき「権利」を手放す、という負の連鎖の儀式からの
タイトルに記載の書籍はこちら 一般人が並べられる言葉の中で出来る、この書籍に関するざっくりとした解説は、たまーに耳にしたり様々なところで目にする ”精神科に受診する必要性は、心身共に健康状態を損なってしまった人物より、本当のところ、そうさせてしまった人物のほうにある” という言説が、なぜそうなるのか?という理由と、詳細説明が書かれてるもの、といえばいいだろうか。 わかりやすい例を挙げるとするなら、 学校でいじめ問題が発生した場合に、教室からの隔離措置を取るとするならば