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スペイン語を通してローマのリンゴに思いを馳せる

Duolingoでスペイン語の学習をはじめました。もともとラテン語をちょっとだけかじっており、その後裔であるロマンス系の言語も見てみたくなったのです。

レッスンを進めていくと随所で「この単語はきっとラテン語のあれが語源だな」という発見があります。たとえば「兄弟」を意味する単語hermanoはラテン語germānusが起源です。

この単語はラテン語のgermen(芽ばえ)からきており、さらに印欧祖語の*ģenh₁-(産む)までさかのぼればgignō(産む)、gens(氏族)などともつながります。ちなみに同義語のfrāterは印欧祖語*bʰréh₂tērからきているため他人です。こっちは英語のbrotherと親戚ですね。


hermanoはラテン語との関連がわかりやすい単語でしたが、逆に語源がすぐにはわからないものも数多く出てきます。例としてmanzana「リンゴ」について見ていきましょう。

ラテン語でリンゴはギリシア語由来のmālum(マールム)です。ちなみにmălum(マルム)と短く読むと「罪」とか「邪悪な」という意味になりますが、『創世記』に登場する「善悪の知識の実」をリンゴとする解釈はmălumとmālumの混同からきていると言われます。

mālumという単語はリンゴだけではなく、木に生る果実一般をもあらわします。たとえばmālum Pūnicum(カルタゴの果実)はザクロのこと(余談ですが、カルタゴ絶対滅ぼすマンこと大カトーは、第二次ポエニ戦争で大打撃を与えたはずのカルタゴが急速に復興しふたたびローマの脅威になりうる懸念を元老院でアピールするさい、カルタゴ特産のイチジクを持ち出しました—ザクロじゃないのですね)。

manzanaの語源はmāla Matiāna「マティウスの果実(mālaはmālumの複数形)」です。Gaius Matiusはカエサルやアウグストゥスとも親交があった園芸家かつ食通。大プリニウスが『博物誌』に新しい果物をローマに持ち込んだ人物として彼の名前を挙げており、そこから「マティウスの果実」がリンゴの呼称として使われるようになったそうです。そしていつしかMatiānaの部分だけが残り、スペイン語のmanzanaになった。

語の成り立ちとしては「ハンバーグステーキ」が「ハンバーグ」と略されるようになった経緯と似ています。複合語のうち中心の意味をあらわす方が省略されて修飾語だけが残るパターン。


しかしここで疑問が浮かびます。マティウスがローマに新しく持ち込んだ果実がリンゴなのだとしたら、もともとのmālumは何を指していたのか。

いま思い付いた仮説ですが、マティウスが導入した果実はリンゴのうち食味が良い品種だったのではないでしょうか。ローマ時代にはすでに多くの品種改良のこころみがなされていました。ギリシアの植物学者テオフラストスはリンゴの栽培法を記述しており、大プリニウスもリンゴのさまざまな品種を記録しています。マティウスのリンゴもそんな改良種の一つであり、友であるカエサルやアウグストゥスの開く宴会に供され貴族たちのあいだで評判になったことからmāla Matiānaの名が遠いヒスパニアの地まで広まり、やがてリンゴの一般名として定着した。以上はすべて妄想ですが、実際のところどうだったのでしょうか。

少し調べてみたところ、16世紀フランスの植物学者ダレシャンはマティウスの果実を”Court Pendu Plat”という品種のリンゴに比定しているようです。著書"Historia generalis plantarum"の288ページにリンゴの挿絵が入れられているのでそこらへんをちゃんと読めば何かわかるかもしれません。いつか気が向いたら読んでみようと思います。


ちなみに「○○のリンゴ」という語法は他のヨーロッパ語にも見られ、フランス語ではジャガイモをpomme de terre「大地のリンゴ」と表現するのは有名です。オランダ語でもジャガイモはaardappel(aarde + appel)と同じ語構成であらわし、これが輸入されて東北方言「かんぷら、あっぷら」になりました。福島県には味噌かんぷらという郷土料理があるそうです。

ちなみにちなみにスペイン語でジャガイモはケチュア語由来のpapa、またはタイノ語由来のpatata(英語に入りpotato)です。新大陸原産の植物は現地語の呼び名とともに入ってくるケースが多いですね。タイノ語はカリブ海で話されていた言語で、ヨーロッパ人が最初に触れた現地語であったため多くの言葉が借用されました。ハリケーンやグアバはタイノ語由来です。

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