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杉山になった田圃【岩手の伝説⑪】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

※田圃・・・たんぼ。


昔、新里の宮の下という所に、若い夫婦が住んでおりました。

もう近所では田植えを始める話がポツポツ語られているのに、その家では未だ田掻きも始めておりませんでした。

※田掻き・・・たかき。田んぼに水を張り、土を細かく砕き、丁寧に掻き混ぜ、田んぼの表面を均平にする作業。昔は馬や牛に鍬(くわ)を引かせた。


それには色々訳がありました。

親類に不幸があったり、近所に慶事が重なったりして、どうして今年はこんなに祝儀、不祝儀が続くのだろうかと、つい愚痴が出るほどの義理合があったためでした。

※義理合・・・ぎりあい。義理に絡んだ付き合い。


今日もこれ以上、田掻きを遅らす訳にはゆかないと、夫は馬を出して田に出てはみたものの、急に親類に不幸があって、妻はその方に行き、肝心の口取り(させとり)がなくて困惑しているのでありました。

※この地方では、馬を導く口取り(させとり)と、馬鍬(まぐわ)を操作する尻取りの二人で作業した。馬の鼻に、口取り棒という竿のような道具を付けた。


しかしなんとかなるだろうと、馬に馬鍬を引っかけて、さてこれからと手綱を引っ張りながら、叱ッと馬を追いますと、いつの間に来たのか、十二、三才の女の子が、口取りの竿を握って馬の前に立っていました。

男は不思議だと考える暇もなく、助かったと喜んで、口取りをしてもらいました。

田掻きの最中、男は「お前どこだ」とか「歳、なんぼになる」など、ありふれた問いをしましたが、その女の子はただ笑っているだけで、何も答えませんでした。

昼食の時刻になりましたので、男は馬を洗ってから、女の子を食事に誘いましたが、女の子は何処に行ったのか、いくら辺りを見ても見えませんでした。

勿論名前も分かりませんので、「オーイ」とただ声高に呼んでみましたが、返事はありませんでした。

妻のいない昼食が終わると、男はまた田に出てまいりました。

するとさっきの女の子は、いつの間に来たものか、馬の傍に立っているのでした。

「なんだ、お昼を誘ったのに、腹減らねか。」

男のその声に、女の子は午前と同様何も答えないで、ただニコニコと笑っているだけでありました。

その日も日が暮れて、男は女の子に、お蔭様でこんなに田掻きができたと声をかけながら、ヒョイと顔を上げてみると、其処には女の子の姿は見えませんでした。

もう帰ったのかと、男はあまり気にもしないで、馬を洗うと家に帰ってきました。

家では妻が帰ってきて夕飯の仕度をしていました。

男は今日の出来事を話すと、妻も大変喜んでくれました。

そして、親類の家では明日もぜひ来て手伝ってもらいたいそうだ、と伝えました。

男は困ったなとは思いましたが、或いは明日もあの女の子が来て手伝ってくれるのではないかと思って、承諾いたしました。

果して女の子は来て、手伝ってくれました。

そして昨日と同じように、昼食になると見えなくなり、田掻きが始まるとまた出てくるのでありました。

昼食の時男は、今日は田掻きも終わることだし、女の子もただ使ってもいられないと思い、一厘銭を百枚ほど縄でくくったのを持っていきました。

※厘・・・りん。1円の1000分の1が1厘。1厘銭100枚で10銭。


田掻きの終わったのは、未だ日の高いうちでありました。

お蔭様だったなと、男は夕食を勧めても応じない女の子のために、準備しておいた一厘銭の繋(つなぎ)を、女の子の帯にくくりつけてやりました。

女の子はいつもと違って、その時は笑いませんでした。

翌朝男は、田掻きの終わった田を見廻りに行きました。

ところが、田掻きの終わった男の家の四反歩ばかりの田は、杉山に変っていました。

※反歩・・・たんぶ。田畑の面積を反(たん)を単位として数えるときに使う言葉。1反が約300坪。だいたい1200坪くらいという意味。


そしてその杉山の前には、一厘銭百枚のくくりをさげた神様が立っておりました。

男は古老たちの勧めで、神として祀ることにしました。

幸いその時、新山神社が移転改築される話が具体化されている最中でありました。

新山神社は七百余年も前、一夜にして出現した山に建てられた神社でありました。

その後、松山寺というお寺も建ったりしましたが、火災で焼失したのを機に、その所より四百米(メートル)程西方(五丁目)に改築されたのでありました。

部落の人達も男の願いを喜んで受け入れてくれ、合祀することができたのです。

※合祀・・・ごうし。ある神社の祭神を、別の神社で合わせて祀ること。


十月十九日は祭日で、善男善女の参詣で社前は終日賑わっております。