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花淵さんと大蛇【岩手の伝説⑮】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館


昔、花淵善兵工(ぜんべえ)という漢方医がおりました。

非常に腕が良いので評判になり、診察を乞いに遠くからも訪れる者もあって、先生先生と慕われておりました。

漢方医というのは、自分で薬を作ることをしていたものでした。

その薬の材料は、大抵山野に自生している草木から得ることが多いのでありました。

即ち野生の草の葉か根、または茎か実を乾かし、それを粉にして、幾種かを混合して飲むか貼るかというのでありました。

花淵善兵工は幾種かの薬剤が底をついているので、急いでそれを補充しなければならないと感じていました。

しかし次から次へと訪れる患者の治療に、寸暇のない善兵工には、薬草採集に一日を割くことが中々できませんでした。

ある日、善兵工はとうとう悲鳴を上げてしまいました。

薬はすっかり無くなっていました。

それなら誰かに頼んで薬草採集をやらしたらいいもの、と考える人もありましょうが、昔は薬草採集そのものがすでに医術でありました。

そんなことで善兵工は、その日最後の患者の診療を終わると、妻に明早朝、山に出かけることを話しました。

翌朝といっても、まだ外は夜明けになっておりませんでした。

早朝の鶺鴒が真っ暗な空を鳴きながら飛んでいるのが知れるだけでした。

※鶺鴒・・・せきれい。秋を代表する小鳥。鶺鴒鳴(せきれいなく)と言えば九月頃。

善兵工は弟子を急き立てて外に出ました。

薬草の採集場所はすでに決まっておりました。

類似の草はどこの山野にも生えてはおりましたが、土壌の関係などからして、効力には大分の差がありました。

ですから善兵工の採集の場所は、効力の多い薬草のある場所ということになり、自然、限定されておりました。

目的の場所に二人が着いたのは、出立(しゅったつ)してから二刻も時間が経ってからでした。

しばらく休んでから二人は採集にかかりました。

葉の色や開花の具合などにも、薬としての効力があるものと見えて、善兵工は細かに弟子に指示しておりました。

昼食時頃になると、二人の嚢中(のうちゅう)は薬草で膨れあがっていました。

それに相当疲れもしていたし空腹でもあったので、沼のほとりに腰を下ろして弁当を開きました。

弁当が終わると、非常に眠くなってきました。

二人は誰からとなく、沼のほとりの柔らかい草の上に横になりました。

横になると疲れがいっぺんに頭から、足から、胴から抜け去るのが分かる気がしました。

そうした気分の陶酔に浸っている二人の耳に、何か唸るような音が入ってきました。

「何か音がする。」

二人が気が付いて同時に頭を上げましたが、頭を上げると同時にその音は消えていました。

「気のせいかな。」

そう思って二人は再び草の上に横たわると、唸る音がすぐ耳に入ってきました。

その動作を二、三回繰り返しているうちに、あまり遠くない所に誰かいることに気が付きました。

しかも医師としての感から(勘から?)、明らかに病人と思われました。

善兵工は医師としての天職からも、じっとしていられなくなり、弟子を励まして、そこら辺りを懸命に探し歩きました。

※天職・・・天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業。

そして大きな薮の中に、何か横たわっているのを発見しました。

呻き声はそこかららしいのでした。

近づいてみるとその横たわっているというのは、大きなうわばみでした。

※うわばみ・・・蟒蛇。ニシキヘビのような、大きな蛇。大蛇。

二人は大蛇を見て仰天して飛び退きました。

そして遠い所からしげしげと眺めました。

大蛇はしかし少しも動きませんでした。

それのみか呻き声を大層高くしました。

二人は何かありそうだと思いながら、恐々(こわごわ)と近付いてみました。

大蛇はじろりと二人を見ましたが、その目は敵対的なものではありませんでした。

むしろ憐れさを求めるような、苦痛を耐えているような眼の色でありました。

二人は勇気を振って、ずっと近付いてみると、その大蛇はすごいハレモノができて、そのために苦しんでいることが分かりました。

善兵工は医師としての使命から、大蛇ということを忘れて、急いでいつも身から離さず持っている医具を取り出すと、そのハレモノを切開してやりました。

火の出るような眼をして涙をポロポロ流して苦しんでいた大蛇は、切開が終わって包帯をしてやると、痛みが治まったらしく、静かに頭を垂れていました。

善兵工も蛇とはいえ、いいことをしたと、次第次第に肌色の元気に戻っていく有様を、ニコニコと見つめておりました。

やがて元気が恢復(かいふく)した大蛇は、何度も頭をペコペコと下げながら、何か言うのでした。

善兵工は最初は気が付かずにおりましたが、大蛇の動作が一寸変わっているので注意していると、ふつふつ呟く大蛇の音が、人の声になりました。

それは人間が大蛇に咬まれた時、その毒害を消すためのまじないの言葉でありました。

善兵工は良いことを聞いたと、大蛇の頭を何度も何度も撫でてやりました。

大蛇は幾度も幾度も頭を下げながら、やがて沼深く沈んでいきました。

こうして善兵工は大蛇から教えられたまじないによって、毒蛇に咬まれた人々を多く救ってやりました。


大正になって、土橋(どばし)の祭りの日、ツギの木の阿部用吉という人が蝮(まむし)に咬まれたことがあり、ハイヤーで水沢に運んだが、その時は花淵さんの屋敷に一歩入っただけで、苦しんでいた病人が静かになったと言っています。

※ハイヤー・・・タクシー。

手入れは、咬まれた所を紙で絞っただけだと言っています。

花淵氏の家は水沢公民館の近くでありますが、善兵工という人は何代かの先祖であったと言われています。

今でも山を歩く時「花淵様のお通りだ」と言いながら行くと、蛇はコソコソと逃げると信じている人に会うことがあります。