わかってくれるひとがひとりいればいい
「感性とか価値観が人の目に見えるものだったら、人間同士の付き合いは、今よりずっと楽なものになるかもしれないなぁ…」。
「詩のすきなコウモリの話」(ランダル・ジャレル /作 岩波書店)を読み終えたとき、わたしはそんな思いを抱きました。
〈クリーム入りコーヒーのような〉茶色の小さなコウモリくんは、他の仲間のように、昼間眠ることをしません。
だって昼間の世界はコウモリくんにとって刺激的な世界だから(それでも時々まどろんでしまうこともあって)そのまどろみの中で聴いた、モノマネドリの歌声や彼がつくる詩に心を奪われてしまいます。
そしていつしか、自分も詩をつりたいと真剣に思うようになります(モノマネドリというカリスマ的芸術家によって、コウモリくんの眠っていた感性が呼び覚まされたってことでしょうねー)。
詩を作るようになったコウモリくんは、仲間のコウモリたちに(昼間の世界をうたった)詩を聴いてもらいたくなり、みんなを呼び集めるのですが、そのコウモリ軍団、感性どころか、言葉を理解する力も持ち合わせておらず、まったく興味を示しません。それどころか、彼らは昼間の世界を知っているコウモリくんをバカにし、仲間外れにして、ひどい言葉を浴びせかけます。
そもそもコウモリたちは、コウモリくんが日頃考えていた「なぜ自分たちは夜活動するのか、なぜ納屋でねむるのか」という「なぜ」の部分にまったく無関心。要するに何も考えないで暮らしているのです。
小さく輝く宝石のような感性を抱いて、コウモリくんはひとり途方に暮れます。
「詩のすきなコウモリの話」 ランダル・ジャレル/作 モーリス・センダック/絵 長田弘/訳(岩波書店)
その後、尊敬するモノマネドリに詩を聴いてもらう機会を得たコウモリくん。
ささやかな褒め言葉を頂戴したものの(韻の数がどうのこうのという)小難しい評価をぶつけられ、いまひとつ心が晴れません。
それは、モノマネドリが詩の技巧的なことばかりに注目し(プロ的なのでしょうが)どう感じたかという、コウモリくんが最も聞きたかったことを伝えてくれなかったから。
いよいよ、コウモリくんの創作欲求は募ってきて、「とにかく、誰かに自分の詩をきいてもらいたい」と切実に思い悩むようになります。
そこに登場するのが、人のいいシマリスくん。
シマリスは、詩を聴いたあとの感想を「体がふるえてくる」とか「気に入った」という表現で伝えてくれます。芸術家は、芸術のわかる人を求めてやまないんだよね。
シマリスという親友を得てコウモリくんは、森じゅうの動物たちのために詩をつくり、それをみんなに聴いてもらおうとするのだけれど、うまくいきません。
やがて初心にかえり、やっぱりコウモリ仲間にコウモリの詩(うた)を聴いてもらおうと巣に戻っていくコウモリくん。さてさて、どうなる?
「問題は詩をつくることじゃないんだ。その詩をちゃんと聴いてくれるだれかをみつけることなのさ」というモノマネドリの言葉が作中にあります。
それは、作者のランダル・ジャレルが最も伝えたかったことなのかも。
詩人ジャルレが森の中で書いたというこの物語は、読む人をそっと力づけてくれます。
子どもだって、大人だって、自分を心底理解してくれる人が欲しいもの。
たくさんの友だちは要らない。シマリスくんにように、わかってくれる友が一人いれば…ね。
「素敵!すごい!気に入った!」と感じたら、素直に相手に伝えられたらいいですね。
その連鎖が創作人(びと)を生んでいくような気がするから。そうやって芸術は育っていくのだと感じます。
長田弘さんの訳もセンダックの挿画も素晴らしくて… 地味な本だけど…ジンジン響きます。
ぜひ、ご一読を!